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【指導のパラダイムシフト#28】主体的な学びを学ばせる③意図的に不十分であること

連載
指導のパラダイムシフト~斜め上から本質を考える~

京都橘大学教授

池田 修

北海道公立小学校教諭

藤原友和

1988年の大西忠治による分類以来、授業者の基本技術として定着してきた「発問・説明・指示」について、パラダイムシフトすべきときが来た――と池田先生は言います。学習者主体の授業づくりのため、それらをどう変えていくべきか? 大胆かつ刺激的な提案が為され、この連載もクライマックスを迎えます。

執筆/京都橘大学発達教育学部児童教育学科教授・池田修
   北海道函館市立万年橋小学校教諭・藤原友和

池田 修

池田 修(いけだ・おさむ)1962年東京生まれ。国語科教育法、学級担任論などを担当。元中学校国語科教師。研究テーマは、「国語科を実技教科にしたい」「楽しく授業を経営したい」「作って学ぶ」「遊んで学ぶ」です。ハンモッカー。抹茶書道、ガラス書道家元。琵琶湖の話と料理が得意で、この夏は小鮎釣りにハマってます。

藤原友和

藤原友和(ふじわら・ともかず)1977年北海道函館市生まれ。4年間の中学校勤務を経て小学校に異動。「ファシリテーション・グラフィック」を取り入れた実践研究に取り組む。教職21年目の今年度は、教職大学院で勉強中。教師力BRUSH-UPセミナー、函館市国語教育研究会、同道徳研究会所属。

主体的な学びを行う学習者はどのように育てたらいいのか。
このことについて考えてきました。これまでに、自信を持たせる、子供のやっていることを認める、子供が自らしているフタを外す、これらのことが有効ではないかと考えてきました。

今回は、本丸に進むことになりそうです。

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指導言はどうなるのか

教師主体の学習と学習者主体の学習で、教師の指導言は大きく変わるのではないでしょうか。

そもそも指導言は、大西忠治先生の分類によれば、「発問・説明・指示」の三つに分けることができます*1。簡単に説明しますと、説明する内容を説明せず質問の形にして学習者に問う発問、授業のフレームを伝えたり、物事の様子や状態を詳しく伝えたりする説明、学習者の動きを命令する指示。これらが指導言です。

大西先生によって1988年に出版された『発問上達法ー授業つくり上達法PART2』に挙げられたこの指導言は、それ以来30年以上も授業づくりの基礎基本の技術として、教師ならば身に付けなければならないものとされてきた、と考えています。

しかし、誤解を恐れずに言えば、この指導言は、教師主体の授業づくりにおいて必須の技術となるわけです。つまり、学習者主体の授業づくりが行われているクラスにおいては、使うことが重視されないものになる可能性があるという仮説を持っています。

学習者主体の授業づくりにおいて、まず、説明は、どのようになるのでしょうか。

教師主体で授業を進めるときの「~は~なのです」という説明は、学習者主体の授業においては「~は、どうなのでしょうか?」と質問になるのではないかと考えています。

よく見てください。発問ではありません、質問です。
発問は、教師が答えを持っています。その答えを隠して質問をして、教師があらかじめ用意してある答えに学習者が辿り着くための指導言です。

ここで質問としているのは、教師もあらかじめ唯一の正解を持っていないことを意味しています。

もちろん、教師が授業全体をファシリテートするための説明は、残ります。しかし、授業内容での説明は、質問に代わるということです。

次に、指示ではどのようになるでしょうか。

教師主体の授業では「今日は、~をします」と目標の提示をした後に、「では、~をしなさい。(確認の後)次は、~をしなさい」のように行われます。教室にいる学習者は、学習の歩調を揃えて学習をします。
一方、学習者主体の授業では、「今日は、~をします」と目標の提示をした後に、「では、そうなるように、なんとかしてください」となるのではないかと考えます。学習者の歩調はまちまちになることでしょう。

もし、大西先生がご存命で、「では、そうなるように、なんとかしてください」などという指示を出したのを聞かれたならば、思い切り叱られたことでしょう。「なんて適当で曖昧でいい加減な指示なんだ!」と。

はい、確かに「なんて適当で曖昧でいい加減な指示なんだ!」なのです。
教師主体の授業における指示は、指示を受ける側に想像する余地を与えてはなりません。指示で全員が同じ行動をしなければなりません。「鉛筆を持ちなさい」と指示を出したとき、学習者が「どうしようかな?」と思ってはなりません。「赤鉛筆を持ちなさい」というときに、赤のボールペンを持っていてはダメ、というのが教師主体の授業での指示です。

しかし、学習者主体の授業における指示では、その目標に至る過程で、学習者自身が最適と思われるものを選択することが推奨されます。法的に倫理的に、さらにコストの面や危険性を考慮して問題がないのであれば、自分に合った方法を選ぶことが推奨されます。それを推奨する指示が「なんとかしてください」ではないかと考えています。

最後に、発問はどうなるのでしょうか。

教師主体の授業では、「ごんは【こ狐】ですが、この【こ】を漢字で書いたらどうなりますか?」という発問が考えられます。
学習者主体の授業では、「ごんぎつねを教材とすると、何が学べるでしょうか。各自で問いを立てましょう。そしてその問いを解きましょう」となるのでしょうか。
または、「もし、ごんぎつねをアニメにするとしたら、その声優は誰にしますか? 声優の名前(または今やっているアニメのキャラクター)と推薦した理由を教えてください」のようになるでしょうか。

おそらく、思考コードのCゾーンの問いがここに来ることになるでしょう。あらかじめ一つの正解が用意されていない問いです。そして、その問いに対して学習者たちが意見を言い合い、最も納得のいく答えを出す。そんなアクティブ・ラーニングになるのではないでしょうか。

私が中学校の現場にいた頃、勉強して身に付けてきたこの指導言は、教師を続けていくために基礎基本的なスキルで、退職するまで不動のものだと考えていました。
しかし、それは教師主体の授業づくりのときに、という前提で言えるのではないかと、今は考えています。学習者主体の授業で使うものとは違うのではないかと考えています。

ただ、「主体的な学びを学ばせる」のときに説明した通り、最初から主体的な学習をする学習者は少なく、そこに向けて育てていく必要があります。そうだとしたら、まだ教師主体の授業づくりに必要な指導言も大事で、使えるようになっておく必要はあります。

しかし、学習者主体の授業づくりを目指すのであれば、授業者は、学習者主体の授業づくりでの指導言についても理解し、使えるようになる必要があると私は考えています。

また、この指導言で行われる学習者主体の授業は、学習者主体の授業の一つのゴール場面で行われるものだとも考えています。最初からこれで授業を進めたら、学習者は混乱してしまうでしょう。それでは元も子もありません。最適だと考えられる授業の場面で学習者の様子を見ながら、ゴールを目指して使っていくことが現実的ではないかと考えています。

パラダイムシフト。
教師主体の授業づくりから、学習者主体の授業づくりに移るのであれば、教師主体の授業づくりを前提にして使われていたこの指導言も、パラダイムシフトする必要が出てきたのではないかと考えています。

この学習者主体の授業における指導言については、私自身が、まだまだ精度が高まっているとは思えません。学習者主体の授業づくりは具体的にどのように行えばいいのかを試行錯誤しながら行っているところもあります。ただ、その中で、いくつか見えてきたことがあります。

学習者主体の授業を、どうデザインすればいいのかということです。そのヒントは、有田和正先生の言葉にあると考えています。

一手間抜く

「(授業をデザインするとき)一手間かけるではなく、一手間抜く」*2と有田先生は言われました。この言葉を見た時、我が意を得たりと思ったものです。

私は、入門期のディベート指導方法を開発しました。それは、シナリオ方式のディベートというものです*3。ディベートの試合のシナリオを学習者に与え、そのシナリオを読みながらディベートの試合をして、ディベートの構造や用語を理解させるというものです。この時の論題は【〇〇鉄道は、電車の優先席を廃止すべきである。是か非か】というものです。

このシナリオには二つの特徴があります。一つは、肯定側でも否定側でも勝てるように勝率が同程度になるような内容であること。もう一つは、使っている証拠資料が古いものであることです。ディベートの試合では、勝敗がつきます。この時、負けになった生徒はちょっと気分が良くないのです。なぜならば、池田が作ったシナリオで負けになっているからです。しかも、あんまり強い議論のシナリオになっていない。

そこで私は語ります。

「このシナリオ、あんまり強くないでしょ。それに資料も古い。そこでです。次の時間までに、新しい資料を探して入れ替えてみてください。そうすると強くなると思いますよ」
と。

最終的にはメリット、デメリットのラベルや議論の進め方まで改良させます。これを「改良」シナリオ方式のディベートと名付けてあります。

これまでの指導では、ディベートに限らず、教師がベストの例を提示し、その例を早く正確に受け取って再現できる学習者が、優秀な学習者とされていたと思います。しかし、私の「改良」シナリオ方式のディベートでは、最初から与えられているシナリオは不十分なのです。学習者がその不十分を補うために、自分で改良していくことになります。

この構造は、有田先生の言われた「一手間抜く」に非常に似ていると、畏れ多くも思った次第です*4

学習者主体の授業、主体的な学びをつくる授業は、意図的に不十分にデザインされた授業がキーワードになるのではないかと考えています。

次回は、学習者主体の授業が行われるとき、学習者にはどのような姿を見ることができるのかを示して、考えてみたいと思います。
そろそろ、この連載もゴールが見えてきました。頑張れ俺、よろしくね、藤原先生。

*1 指導言を、助言を加えて四つにすることもあります。ここでは、池田が最初に勉強した『発問上達法-授業つくり上達法PART2』(大西忠治 1988年 民衆社)で示された、三つで説明しています。
*2 私たちが主催する教育研究会(現在はNPO法人)「明日の教室」に有田先生をお招きしたのは、2011年5月14日。この日の講座で話されたのを覚えています。
*3『中等教育におけるディベートの研究 ー入門期の安定した指導法の開発ー』(池田修 2008年 大学図書出版)
*4 早逝した畏友の瀧本哲史さんも、この改良シナリオ方式を絶賛してくれていました。「教師が完成品を出さないで、不十分なものを出してそれを学習者がバージョンアップしていく。こんな授業方法は見たことがない。これからの授業はこれですよね、池田さん!」と滅多に人をほめない彼がほめてくれました(^^)。

現場教師によるキャッチボール解説 by 藤原友和

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