現役校長が語る!学校を変えるためのヒント【シリーズいじめのない学校づくり5】

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【シリーズいじめのない学校づくり4】でいじめ予防教育の一例として、教育漫才についてご紹介しましたが、教育漫才の実践を行えば、それだけで「いじめのない学校」が作れるわけではありません。学校はどんな取り組みを行う必要があるでしょうか。小学校で「いじめのない学校づくり」に取り組んでいる埼玉県公立小学校校長・田畑栄一さんに聞きました。

田畑栄一校長の顔写真
田畑栄一校長

学校教育目標を変える

いじめのない学校をつくるために、現在、本校で行っていることは教育漫才の他にもたくさんあります。

まず、本校の2021年度の学校教育目標をご紹介します。

学校教育目標

今年度は、コロナ禍を意識して、学校教育目標を変えました。特にコロナ禍での経験をもとにして、「創造してたくましく生きる」を大きな柱としました。先行きが不透明な時代となり、今まで通りが全く通用しなかった教育現場、そこにこそ、創造性が求められ、どんな困難に対しても笑顔でたくましく生きる力が必要だと痛切に感じたからです。これを達成するために、三つの視点となる言葉を入れ込みました。

一番目に入れたのは「自律」です。自分でしっかり考えて行動することを意味します。いじめのない人間関係をつくることも含みます。二番目は「相互承認」です。一人一人の個性や特性を認め合う、ということです。子どもたちをひとつに束ねるのではなく、それぞれの子どもの存在を認め合うという視点を入れたのです。三つ目が「表現」です。自分をしっかり表現しよう、相手が言ったことをちゃんと聞こう、そのための一つのツールとして、前回ご紹介した教育漫才の取り組みがあります。

学校教育目標を変える意義は大きいです。なぜなら、学校の姿勢が、子どもたちや保護者、地域の皆様に伝わるからです。そして、この新しい上位目標に向かって、教育活動が始まるからです。

何十年も変わっていない学校教育目標があるとしたら、見直してみてはどうでしょうか。社会的視点、地域の実態、保護者の願い、子どもの実態などを考慮し、どんな教育や生きる力が今の子どもたちに必要なのかについて、教職員たちを始め、多くの人たちと時間をかけて話し合い、合意形成を図りながら、決定していくことが大切だと思います。

「一人一人を尊重する教育」を行う

小学校1年生であっても、不登校になってしまう子どもがいます。これは、学校を拒否している、ということです。不登校は学校教育が行き届かないから起こっている、と捉えることが、学校を預かる校長としての私の見解です。

不登校には、「積極的な不登校」と「消極的な不登校」があります。前者は、自分の可能性を学校教育ではない場所で見つけたり、広げていったりするためにする不登校です。日本の学校教育は明治以降、基本的な形態がほとんど変わっていません。同質集団で教育をするので、それに対して「ちょっと合わないな」と感じる子どももいますし、子どもの才能をもっと伸ばしたいと考える保護者もいます。これからは多様性が求められる時代ですから、少しずつ積極的な不登校を認める方向に変わっていくのではないでしょうか。

これに対し、後者はいじめなどにより、本当は学校に行きたいのだけれども、行けなくなる不登校です。これは防がなくてはなりません。

子どもたちがいじめのようなマイナスの方向を向いてしまうのは、学校がおもしろくないからです。多くの学校では、みんな仲良くしましょう、心をひとつにしましょう、みんなで協力しましょう、などと綺麗な言葉を並べ、子どもをひとくくりにして同じことをやらせようとしますが、それよりも、一人一人の個性を認め合うような教育をする必要があるのではないでしょうか。「個別最適な学び・協働的な学び」という言葉の持つ本当の意味を理解し、できるところから、学校、授業に落とし込んでいくべきときが来たのだと思います。本校もこれに向かって動き始めています。

総合的な学習の時間に、何を探究するのかを子ども自身が決める

学校教育目標を踏まえ、今年度は、3年生から6年生までの子どもたちを対象に、体育館を学びのベース基地として、「総合的な学習の時間」の授業を一緒に行っています。そのねらいは、二つあります。

一つ目は、一人一人の子どもが関心を持ったテーマを選び、探究することです。

多くの学校では、総合的な学習の時間に、子どもが何を学ぶのかを決めているのは「学校の年間指導計画」だと思います。例えば、この学年は福祉、この学年は国際理解というように、先生たちが決めたことを学ぶのでは、子どもはあまりワクワクしないのではないでしょうか。

本校では今年度のテーマを、「SDGs」としました。学習指導要領の前文と総則で「持続可能な社会の創り手」の育成が掲げられています。子どもたちには、世界共通の課題17項目をどう解決するかを自分事として捉え、持続可能な社会の担い手となる役割が期待されているのです。本校では、SDGsの17項目の中から、子どもが関心があるものを選びます。そして、地域の人を招いての講演を聞いたり、YouTube を見たり、インターネットで情報を集めたりしながら、探究していきます。最終的には研究の成果をプレゼンしてもらうことになっていますが、その手法も自分で考えます。パワーポイントを使ってもいいし、演劇にしてもいいのです。教育漫才の手法を使う子どももいるかもしれません。

来年度は、それぞれの子どもが選んだテーマに沿って、プロジェクト化を図り、地域と連携して体験的に取り組んでいく予定です。今後が楽しみです。

二つ目は、異年齢の子どもがチームをつくって協働することです。異年齢の子どもたちが混じり合って活動すると、6年生は下級生の面倒を見なければいけないので、優しい気持ちになります。3年生は6年生の言うことを尊重しなければいけない、などと考えるようになります。そうやって人間関係を学んでいくのです。

学校はそろそろ、子どもを同質集団にして行動させることをやめたほうがいいのではないかと私は感じています。なぜなら、同質の集団では、勉強やスポーツができる・できないで競い合うような、心理的にライバル関係になってしまうからです。違う学年の子どもたちが集まると、自分とは明らかに違う存在となるので、競い合う必要がなくなります。子どもが自分の課題や学びたい内容を選択し、様々なメンバーと学ぶことによって、本来の学びたいという感情が生まれるのではないでしょうか。

最近では、日本でも異年齢で学ぶイエナプラン教育などを導入する学校もつくられています。自分の学習の進度によってクラスを選択するなどの、大胆な教育改革が求められるのではないかと思います。本校でも、いいところをつまみ食いしながら活用し、子ども一人一人が生き生きするプログラムを創意工夫しているところです。これからも一人一人の学びの意欲を大切にしながら、子ども同士がつながって、表現し合える関係性を模索し続けていきたいと考えています。そこには、いじめが起きにくくなる環境や心情が育つことを期待しています。

子どもが学校の主人公になる

また、いじめをなくすには、子どもが本当の意味で、学校の主人公になることが重要です。子どもたちは、家庭環境からくる様々な問題、同調のプレッシャーなどがあって、ストレスをため込んでいます。さらに、「大人に何を言っても無駄だ」との思いがあるために、友だちをいじめてストレスを発散しているとも考えられます。

ですから、もっとプラスの、楽しいことを考えるようになれば、子どもは変わっていくのです。それには、学校行事や、決まり事なども、先生が決めたことをやるのではなく、子どもたちが中心になって話し合い、そこに、先生たちも入り、必要に応じて保護者も交えて、意思決定をして実行する経験をすることが重要です。自分たちの意見によって学校を創っていけること、それが民主主義社会の根底を支える理念だと思うからです。

例えば、本校では、昨年度はコロナ禍でも、「6年生提案による『1年生を迎える会』」や、「6年生提案による『文化祭』」を実施してきました。今年度7月には、「6年生提案による『水かけ祭り』」をしました。これは以前、行われた行事だったのですが、6年生からコロナ退治を願い、「復活させたい」と提案があったのです。1年生から6年生まで、1時間ほど校庭で水をかけ合い、追いかけっこをして遊びました。ストレスを発散し、笑顔があふれました。

11月には「6年生提案による『秋祭り』」を行いました。これまでは月1回程度、1年生から6年生まで異年齢集団の活動を行ってきたのですが、「もっとやりたい」「みんなと仲良くなりたい」と、子どもから提案があったのです。先生たちで相談して、コロナ禍ですから外で、密にならないように配慮して「秋祭り」を実施することにしました。実行委員の子どもたちが中心になってゲームを考え、異年齢集団のグループに分かれて校舎の中と外で楽しみ、その様子を保護者が授業参観として見に来ました。

このような活動を通して、「話合い⇒合意形成⇒意思決定」をする経験を数多く積ませることが、とても大切だと思います。やりたいことを認めてもらえると、子どもは「自分たちが学校を動かしていける」と理解し、「もっと楽しいことを考えよう」と思うようになり、思考がプラスに動き始め、いじめをするのがつまらなくなります。子どもがそう考えるような、自然にそうなるような自治活動の土壌を作っていくことも重要なのです。

授業を変える

学校で子どもは毎日、1時間目から6時間目まで授業を受けています。授業こそ、学校教育の命ですから、一人一人を尊重するような授業に変えていく必要があります。

本校では「意見をつなぐ学び合い授業」を実施しています。どんな授業かと言いますと、教師はファシリテーターに徹し、30人のクラスであれば、課題や質問に対して30人全員が考え、全員が意見を言い、それらの考えを共通点のあるグループごとに分類します。そこから、より正しい答えは何か、なぜ違うのかなどの討論を展開しながら、最後は各自が自己内対話をして、文章に整理します。納得解にしていくのです。

例えば、国語科の「ちいちゃんのかげおくり」という教材を使うとしたら、「ちいちゃんは、幸せだったのだろうか」を考えます。そうすると、それぞれの子どもたちから出る意見は、A幸せだった、B幸せではない、C幸せでも不幸でもない、の3つに分かれます。これらの意見について、まずはグループに分かれて自由に話す時間をとり、その後、教科書の文章を見て検証するのです。クラスの中に、A、B、Cという複数の意見があるとわかると、思考や視野が広がり、これが深い学びの前段階の「広がり」となります。A、B、Cのそれぞれの意見を比較し、共通点を見つけたり、違いを見つけたりする中で、「深い」学びにつながり、多面的・多角的な見方も身に付けていくのです。

ただし、このように自分の意見を言い合えるクラスを作るためには、心理的な安全性が必要です。教育漫才で温かい笑いに包まれてお互いの存在を認め合い、探究の時間で自分のやりたいテーマを選び、学級活動や行事などで様々な自主的な活動が認められる、そんな環境を作ることで、実現する学びなのです。その結果、学校教育目標にあるように、自律し、お互いに認め合い、それぞれの表現方法で自分を表現していく、そんな子どもを育てていくことにつながるのです。

いじめのない学校をつくろう

今の学校教育は、善い子どもの育成を目指す、「善い」教育だと思うのです。そのため、教育課程も盛り沢山で、勉強のできる子を育てようという方向へ進んでいきます。しかし、それだけでは足りないと思うのです。

私は校長として、義務教育では、自己肯定感を育み、人生の「根っこ」を作ることが重要だと思っています。根っことは、生きるエネルギーであり、明るいほうに向かって成長していくための土台となる力です。学校教育はその「きっかけ」づくりをする場所なのですが、知識をいくら増やしても、子どもが自ら「やろう」(内的動機付け)と思わなければ、きっかけにはなりません。例えば、「教育漫才がおもしろかったから、お笑い芸人になろう」と思ったり、「担任の先生が大好きだから、先生になりたい」と思ったり、「SDGsに興味がわいたから、研究者になってもっと調べて人に伝えたい」と思ったり、そういうきっかけをつくる場所です。

なりたい自分像が決まると、自分にとって必要な学習の意味が次第に見えてきます。教科で学ぶ価値が肌で感じられます。そういった教育の本質を実感できる学校を創造していきたいと考えています。

子どもが自ら「やろう」と思うために必要なのは、「快」の教育です。これは、自己選択ができる、自分たちで行事を作り上げる、みんなで笑うことができる、などを可能にする楽しい教育です。この教育を学校に入れ込み、善い教育と快の教育のバランスを取ることが重要であり、それがいじめや自殺、不登校などを減少することに、いや、なくしていくことにつながるのではないかと考えています。

田畑栄一(たばた・えいいち) 早稲田大学第一文学部卒業後、埼玉県の公立中学校教諭(国語)となる。養護学校教諭、中学校教諭(5校)、埼玉県教育局東部教育事務所の指導主事などの経験を経て、平成25年4月より小学校の校長となり、現在は3校目となる。平成27年度より教育漫才の実践に取り組む。著書に『教育漫才で、子どもたちが変わる―笑う学校には福来る』(協同出版)、「クラスが笑いに包まれる 小学校 教育漫才テクニック30」(東洋館出版社)などがある。

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取材・文/林 孝美

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