#38 三つの『勇気』が必要です【連続小説 ロベルト先生!】
今回は持久走大会の当日のシーンです。最下位で走る加奈子にも、また1位を期待されていた花崎さんにもそれぞれの思いとドラマがあります。
第38話 当日の朝
本番当日の朝を迎えた。
健康観察で全員の様子をチェックする。全員ちゃんと学校に来ている。そして、全員持久走大会には参加する予定である。
持久走大会は3時間目。2時間目休みになっても体調不良を訴えてくる子どもはいない。
子どもたちはスタートラインに立った。
「皆さん、よくこのスタートラインに立ちました。もしかしたら、出るのを止めようかなと思った人もいるかもしれませんが、こうしてスタートラインに立った皆さんは立派です。
この持久走大会に出場するには、三つの『勇気』が必要です。
一つは、持久走大会に出ることを決める勇気。二つ目が、今日いつものように学校へ登校する勇気。そして、スタートラインに立った今、もう一つの勇気が試されようとしています。それは、最後まで力を出し切って走る勇気です。
走っている途中で苦しくなり、諦めて自分に負けそうになる時があるかもしれません。そこで自分と戦い、是非勝って走り抜いてくださいね。その結果として、自分の目標が達成できると思います」
「それでは…位置について! 用意!」
パン! ピストルの音がこだました。まず、男子約60名が一斉にスタートした。
最初から飛ばして先頭グループを形成する子。そのスピードに惑わされずに、自分のペースを守ろうとする子。そして、早くも遅れ出す子。それぞれである。
三組の子どもたちも自分の目標の達成に向けて黙々と走っている。私は子どもたちに声をかける。
「いいぞ、その調子!」
「苦しくなったら、前の人の足を見ながら走れ!」
「自分に負けるな!」
どの子どもたちも、息をハアハアさせながら、必死にゴールを目指して走っていく。
さあ、校庭の大回りと呼ばれる外側のコースから、内側の200メートルトラックに入ろうとするところでトップ争いの混戦から抜け出した子がいた。雅也だ。
しかし、それを追いかけるように飛び出した子がいた。一組の蓮沼賢司だ。賢司は雅也の後ろをピッタリとくっついて離れない。そのまま残り100メートルとなった。雅也の表情は苦しそうである。
「ちょっと早く出過ぎたか? このままでは、最後の20メートルで賢司に抜かされるか?」
そう思ったときである。なんと雅也が賢司をグングン引き離し始めた。見事な走りっぷりだ。そして、そのままぶっちぎり、ゴールイン。
心配した私よりも雅也の方がはるかに上手で、雅也は優勝を自分の努力でつかみ取った。
次々にゴールに入ってくる。最後の20メートルの猛ダッシュで三人をごぼう抜きし、10位以内に入った亮太は大喜びだった。これも作戦が功を奏したと言えよう。
ほとんどの子がゴールする中で、あと三人が残った。それぞれの差は30メートルから50メートルくらい離れている。止まってしまうくらいのペースだが、何とか走り切ろうとしている。
「負けるな!」
私は心の中でつぶやく。そして、二人がゴールし、残すところあと一人。
それは三組の吉橋彰夫だった。私は彰夫に自分を重ねた。
私が小五の時に走りながら見た景色が今でも蘇ってくる。すでに走り終わった子がみんなで私に拍手をしてくれた。「がんばれ~」という声が聞こえてきた。女の子の声も聞こえてきた。
でも…本当は…そんなふうに注目されることが一番恥ずかしかった。みんなに気づかれずにゴールしたかった。
「彰夫。この経験は、持久走大会に参加した者の中でたった一人しか味わえない貴重なものなんだよ。味わったものでしかわからない気持ちがあるんだよな」
そんなことを心の中で彰夫に語りかけていたら、自然に涙がこぼれてきた。そして、彰夫はゴールにたどり着いた。
「彰夫、ナイスファイトだ!」
思わず彰夫を抱きしめた。
続いて女子の番だ。
優勝候補は三組の花崎真理だ。二年生から五年生までずっと優勝している。ところが六年生になってからは調子が今一つ上がらず、下馬評だと二組の久保聡美さんが優勝しそうな勢いでタイムを上げているようだ。この本番で初めて二人は顔を合わせた。
ピストルの合図とともにレースが始まった。
予想通り、レースの中盤からこの二人を含む五人が先頭集団をつくって引っ張っていく。この先頭集団だけが、ぐんぐんと後続を突き放していく。決して負けまいと必死で付いていく。いや、引き離そうともしている。
ついに一人、そしてまた一人と、先頭集団からはがされていく。先頭集団は三人に絞られた。花崎さんもその中で懸命に走っている。とても苦しそうだ。
残り200メートル。
ついに、花崎さんが、
あの花崎さんが…
引き離され始めた。
そして久保さんが両手を挙げて1位でゴール! 2位は、一組の橋本さんが入った。
ニューヒロインの誕生である。そして花崎さんは、3位でゴールにたどり着いた。
花崎さんはゴールをした瞬間に泣き崩れた。
あの花崎さんが泣いている。人目をはばからずに泣いている。
私はちょっと驚いた。これまでよい成績を修めてきた人は、その人なりに相当なプレッシャーがあるんだと思う。ずっと負け知らずで来ていた花崎さんにしてみれば、言われなくても親や友達からのプレッシャーを感じていたのだろう。苦しかっただろうと思う。それに負けまいと必死に努力してきた花崎さん。
今は声をかけるのをやめようと思った。正直言うと、花崎さんにかける言葉が見つからなかった…。
さて、最下位は、これまた三組の木村加奈子さんだ。
最後の一人が残されたその瞬間だった。三組の女子が一斉に加奈子のところへ行き、伴走し始めたのだ。
「あらららら…」と思った。みんなに励まされ、加奈子のペースは一気に上がる。
そしてゴールイン!
みんなで加奈子のがんばりを讃えている。素直にとても微笑ましい光景に見えた。
執筆/浅見哲也(文部科学省教科調査官) 画/小野理奈
浅見哲也●あさみ・てつや 文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官。1967年埼玉県生まれ。1990年より教諭、指導主事、教頭、校長、園長を務め、2017年より現職。どの立場でも道徳の授業をやり続け、今なお子供との対話を楽しむ道徳授業を追究中。