#22 成功体験を味わわせたい【連続小説 ロベルト先生!】
親善運動会のために長縄の練習を重ねてきた子どもたち。いよいよ本番当日です。今回は前半のお話、午前中に行われる個人種目の100メートル走などです。
第22話 親善運動会
昨日は、あまり眠れなかった。果たして、どんな結果になるのか。
せっかくここまでクラスが一つになって練習してきたのだから、子どもたちには成功体験を味わわせたい。しかし、勝負の世界はそう簡単なものではない。他の学校もこの大会のために一生懸命練習してきている。
また、例年と比べてみても、今の三組の記録が、優勝するための記録には、まだ到達していないということも薄々感じていた。
とにかく、子どもたちのこれまでのがんばりを考えれば、こうして優勝を目指して大会に臨むという本気モードのステージに上がれたことが合格点だ。後は、本番で新記録が出せることを願う。
苦しいときの神頼みではないが、いつもより早く家を出て、学校に行く前に、近くの神社にお参りに行った。
「どうか、子どもたちにとって、すばらしい思い出になりますように…」
私は昔から、何かお願いごとをするときのお賽銭は、十分にご縁(円)がありますようにと、15円と決めていた。ずいぶん安上がりではあるが…。
学校へ到着し、子どもたちを迎えた。幸いにも体調をくずすなどして欠席する子は一人もいなかった。
その後、緑ヶ丘小学校の六年生は大型バスに乗り込み、親善運動会の会場となる陸上競技場へ向かった。
会場に着くと、まず、待機場所となる応援席に集まり、荷物を下ろした。早く到着した学校は、すでにウォーミングアップを始めている。
午前中、トラックでは、100メートル走、60メートルハードル走、200メートル走。フィールドでは、走り幅跳びや走り高跳び、ボール投げが同時に行われる。
そして、午前の最後の種目が「学級対抗長縄跳び」となっていた。
一般用のスタンドの応援席を見ると、保護者の方々も今日は応援に来てくれている。きっと仕事を休んで来てくれている方も大勢いると思うと、それがプレッシャーにもなるが、4月後半から始まった家庭訪問の時から、「是非、応援に来てくださいね」と案内して回ったのは、この私である。
他の学校のクラスでは、すでに長縄跳びの練習を始めているところもある。子どもたちの視線はそちらに向けられた。
「速い」
「すげえ…」
緑ヶ丘小学校では、常に自分たちのクラスが1番だったので、自分たちの跳ぶスピードよりも速く跳ぶ姿など見たことがなかった。
子どもたちの顔は一気に硬直し、口には出さないが「優勝なんか無理だ」と言わんばかりの表情になった。
「さあ、みんなも練習しようか」
私が冷静に子どもたちに声をかけると、子どもたちからは、いつものような元気な返事もなく、ただただ練習をしようと動き始めた。
練習を始めると、縄がいつもよりも速く回り、ミスが多くなっている。子どもたちは焦るばかり。完全に空気に飲まれていた。見かねた私がまた声をかけようとしたその時である。
「ちょっと待って! いつもよりも縄が速く回っているよ。これじゃあミスも多くなって記録も出ないよ。とにかく、速く跳ぶことよりもミスをしないように跳んだ方が、きっといい記録が出るよ。だから、いつも通りでいこう!」
そう、みんなに言い放ったのは花崎さんだった。こんな状況の中で、みんなの前で堂々と意見が言えるのは花崎さんしかいない。さすがだ。みんなもその言葉に納得し、いつものペースで跳び始め、浮き足だった気持ちが、すーっと地に着いた。
開会式が終わると、個人種目がスタートした。三組からも5名の子が選手になっていた。
「フレー、フレー、タ・ク・ト!」
三組から100メートル走に出場したのは、塚越巧透くんだった。予選のレースのタイム順で、上位の8人が決勝レースに進むことができる。
「位置について、用意、パン!」
一斉にスタートをした。巧透のスタートも悪くない。しかし、さすがに選ばれて出てきた子たちの集まりとあって接戦だ。あっという間にゴールを駆け抜けた。
巧透は3位でテープを切った。全部で4レースあり、予選で3位となると決勝進出は難しい。
「巧透、よくがんばったぞ!」
悔しそうにしている巧透には、そのくらいの言葉しかかけてあげることができなかった。結局、巧透は決勝レースに進むことができなかった。
60メートルハードル走には、島田奈々さんが出場した。奈々は、予選レースで見事1位となり、上位8名による決勝レースへの進出を決めた。
フィールドでは、金子雅也くんがボール投げで55メートル飛ばし、3位に入った。大健闘である。中村翔平くんと岩井茜さんは走り高跳びに出場したが、残念ながら8位以内の入賞を果たすことができなかった。それでも子どもたちは、応援席に帰って来た選手たちを温かく迎え入れていた。
午前の種目は、100メートル走と60メートルハードル走の決勝レース、そして、学級対抗長縄跳びを残すのみとなった。
「奈々は決勝レースに専念しろ! みんなは、長縄跳びのウォーミングアップ開始だ!」
クラスのみんなも奈々のレースを応援したい気持ちがあったが、少しでも体を温めて慣れておこうと、応援席から移動し、練習を開始した。
男女の100メートル走、そして、男子の60メートルハードル走の決勝が終わり、最後の女子決勝レースが始まろうとしている。
「奈々! ファイト!」
私は、一人残された形となった奈々に、人目を気にせず大きな声援を送った。それに気づいた奈々は、照れくさそうにこっちを向いて手で合図を送った。
「位置について。(緊張感が走る)用意、パン!」
第1ハードル目がけて一斉にスタートした。第1ハードルを跳び越える8名の振り上げ足が横一戦にピタッと並んだ。第3、第4ハードルを通過するあたりで少しずつ差がつき始めた。そして、第5ハードルを最初に跳んだのは二人、その中に奈々がいた。
「奈々! がんばれ!」
残されたハードルは一つ、ミスをした方が負けだ。第6ハードルを通過した時、奈々の抜き足が微かにハードルに触れた。その瞬間バランスを崩しかけたが、すぐに体勢を立て直し、ゴールを駆け抜けた。私は、スタート地点から見ていたので、どちらが先にテープを切ったのかはわからなかった。
計測が終わり、第5コースに残っていた奈々が、突然、両手を突き上げて跳び上がっている姿が見えた。奈々が優勝したのである。思わず私は、奈々がいるゴール地点まで駆け寄った。
「奈々、やった~、おめでとう!」
すると、意外な言葉が返って来た。
「先生、次は長縄跳びだよ。みんなはどこで練習しているの?」
「あ? はあ~、そうだ、あっちだ!」
私は奈々と一緒に三組の子どもたちがいる場所に向かった。
「奈々が優勝したぞ!」
「わ~、奈々すご~い!」
クラスのみんなが祝福してくれていた。
執筆/浅見哲也(文科省教科調査官)、画/小野理奈
浅見哲也●あさみ・てつや 文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官。1967年埼玉県生まれ。1990年より教諭、指導主事、教頭、校長、園長を務め、2017年より現職。どの立場でも道徳の授業をやり続け、今なお子供との対話を楽しむ道徳授業を追求中。