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47都道府県縦断!全国オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業 #8 夢を叶えるために、今できること

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北海道公立小学校教諭

藤原友和
連載「47都道府県縦断!全国オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業」バナー

全国各地の「ひと・もの・こと」を教材化し、子どもたちの感情、思考、価値観を大きく揺さぶる道徳授業を提案。さらにそれらを集めてアーカイブ化しようという野望に満ちたリレー連載です。今回の執筆者は、北海道千歳市の松本さおり先生です。

編集委員/藤原友和(北海道函館市立鍛神小学校教諭)
執筆/松本さおり(北海道千歳市立みどり台小学校教諭)

はじめに

みなさん、こんにちは。北海道の千歳市で小学校教員をしている、松本さおりと申します。

千歳市と言えば、みなさんは何を思い浮かべるでしょう。鮭? 支笏湖? たくさん素敵なものがありますが、やっぱり欠かせないのが新千歳空港だと思います。国内外からたくさんの旅客を受け入れている新千歳空港。今や北海道の観光、ビジネスになくてはならない存在です。この記事をご覧になっている方の中にも、利用したことのある方がいらっしゃるのではないでしょうか。

2026年、千歳市は空港開港100年という節目の年を迎えます。この道徳の授業を通じて、千歳市や新千歳空港のことをもっと知ってほしい。そして、千歳市に暮らす子どもたちに、自分の地域やふるさとのことを誇りに思ってほしい。そんな思いで授業づくりを行いました。

 教材について

北海道の空の玄関口、新千歳空港が今のような国内線、国際線を兼ね備えた大規模な空港になるまでに、たくさんのできごとがありました。現在の新千歳空港の歴史は今から100年前にさかのぼります。1926年10月22日、千歳村に小樽新聞社(現在の北海道新聞社)の飛行機「北海」1号が千歳村に降り立ちました。当時、飛行機はとても珍しい乗り物で、簡単に見られるものではありませんでした。それでも、千歳村民の「飛行機を見たい!」という強い思いに、小樽新聞社の操縦士、酒井憲次郎が応え、飛行機の着陸が実現しました。

毎年のように樽前山が噴火し、火山灰が降り積もる、作物の栽培に適さない不毛の土地が広がる千歳村。しかし、固い地面は、飛行機の着陸にぴったりでした。幅110m、長さ200mの土地を、千歳村民の勤労奉仕で、わずか2日で着陸場にしてしまったのです。

さらに、空港開港を記念したモニュメントに「鍬ふるう 村人の夢 空に舞う」という言葉が刻まれています。飛行機の着陸場を作るために、機械もない時代、鍬や鎌をふるい、木の根や草を取り払った功績がたたえられています。
そんな、夢に向かって逆境をものともせずに努力した「スピリット・オブ・チトセ」と称される先人のあゆみ。そこから着想を得て、「希望と勇気、努力と強い意志」という内容項目を設定しました。

 授業の実際

対象:小学4年
主題名:夢を叶えるために、今自分ができること
内容項目:A-5 希望と勇気、努力と強い意志

導入:みなさんには、こうなりたい、こんなことがしたい、という夢がありますか。

①空港公園のモニュメントと、それに関わる歴史について紹介する。

画像 空港公園にあるモニュメント
空港公園にあるモニュメント

千歳市の公園にあるモニュメントです。とあるできごとを記念してつくられたものです。どんなことがあったか、知っていますか。

今から100年前、1926年10月22日、千歳村に小樽新聞社(今の北海道新聞社)の飛行機「北海」第1号が降り立ちました。当時、飛行機は大変珍しいもので、人々は村をあげて歓迎しました。

画像 「北海」第1号着陸の様子と、「北海」第1号の機体
画像 「北海」第1号着陸の様子と、「北海」第1号の機体
画像 「北海」第1号着陸の様子と、「北海」第1号の機体
「北海」第1号着陸の様子と、「北海」第1号の機体

右上の写真に、飛行機を取り囲むように人々が写っています。

人口5000人ほどの千歳村に恵庭、苫小牧、札幌などから人がおしかけ、1万人もの人が飛行機を見に集まったとも言われています。

当時の千歳村は、樽前山のたび重なる噴火により、火山灰が降り積もってできた、痩せた固い土地が広がっていました。米をはじめとした作物は育たず、誰も耕そうとしない、不毛の土地。今の千歳市とは違って、人も少なく、さびれた村でした。

発問1:どうして、当時こんなに珍しい飛行機が、千歳村にやってきたと思いますか?


画像
右:飛行機が着陸した際の小樽新聞記事
左:酒井憲次郎さんの写真
中央:空港公園にある酒井さんのモニュメント
右:飛行機が着陸した際の小樽新聞の記事
左:酒井憲次郎さんの写真
中央:空港公園にある酒井さんのモニュメント

この日、千歳村に降り立ったのは、小樽新聞社の操縦士、酒井憲次郎さんです(新潟県出身、当時22歳)。空港公園のモニュメントのモデルになっている人です。

村のみんなに飛行機を見せたい!という村長の思いに応え、千歳村の中で飛行機が着陸するのにふさわしい場所を探して、着陸場の作り方を教えてくれました。

千歳村と小樽新聞社の関わりが、空港誕生に大きく関係しています。

➁千歳村に飛行機が降り立つまでのエピソードから、村民の努力について考える

1926年8月、千歳駅ができ、鉄道が開通しました。汽車に乗って、小樽新聞社の人たち、約300人が千歳村に来ることになりました。

画像 小樽新聞社
小樽新聞社
画像 鉄道が開通した年の千歳駅
鉄道が開通した年の千歳駅
画像 自社観楓会の様子を報じる小樽新聞の記事
自社観楓会の様子を報じる小樽新聞の記事

千歳のさけますふ化場を見学する観楓会を開きたいので、飲み物と食べ物を用意してほしい。との依頼に、千歳村は特産品の三平汁、山ぶどう、芋料理をふるまうこととし、当時大規模な食堂がなかった千歳村にとって、最大のもてなしを約束しました。

当時の観楓会の様子が新聞の記事にも掲載されています。

小樽新聞社の人たちは大変感激して、千歳村の人たちにお礼をしたいと思いました。
小樽新聞社の記者は言いました。

「わが社も、最新の飛行機を導入したんです。お礼に、千歳村の上空を飛んで、歓迎のビラをまいてあげますよ。」

当時、飛行機は大変珍しいものでした。それを聞いた当時の千歳村の村長は、
「ぜひ、その飛行機を、千歳村に着陸させてはもらえませんか。千歳村の人にも、飛行機を見せてあげたい。」
と頼みました。しかし、当時の千歳村には、飛行機の着陸場がありませんでした。そこで着陸場の作り方を教えに来てくれたのが、酒井憲次郎さんだったのです。

着陸場には、幅110m、長さ200mの広くて平らな土地が必要です。酒井さんは、村長たちと一緒に、千歳の様々な土地を視察した結果、飛行機が着陸するのにぴったりの場所を見つけました。

「ここなら、飛行機を着陸させられます。しかし、木の根をすべて取り除いてください。」
村長は、千歳村の人に協力を依頼しました。「飛行機が見たい!」と村民は大賛成。
機械もない時代なので、大人も子どもも、鍬、鋤、鎌をふるい、わずか2日間で手作りの着陸場を完成させました。
そして、手作りの着陸場に飛行機が来る日、遠くの空にきらっと光る物が見えて、ぐんぐん近づいてきました。そして、村民手作りの着陸場に、「北海」第1号がやってきたのです。

発問2:千歳村の人々は、どんなことを頑張りましたか。

③飛行機が見たい、という100年前の村民の思いが、その後の飛行場、空港の発展につながったことをおさえ、夢をもつことの大切さについて考える。

火山灰で覆われた痩せて固い不毛の大地が、千歳村民の希望に変わった瞬間でした。
飛行機が見たい、という情熱に突き動かされ、熱狂に包まれた千歳村。
村民は、この日の感動を忘れることができず、みんなで作った着陸場をこれからも使ってほしいと考えました。

1939年 海軍航空基地設置
1939年 海軍航空基地設置
画像 1934~1936年、3期にわたる村民による着陸場拡張工事
1934~1936年、3期にわたる村民による着陸場拡張工事
1939年 海軍航空基地設置
1939年 海軍航空基地設置
1951年、終戦に伴う民間航空再開
1951年 終戦に伴う民間航空再開
1992年 新千歳空港ターミナルビル
1992年 新千歳空港ターミナルビル
2010年  新千歳空港国際線ターミナルビル
2010年 新千歳空港国際線ターミナルビル

空港の規模はだんだん大きくなっていき、多くの人が飛行機や空港を利用するようになりました。
「北海」第1号が千歳に着陸して100年。新千歳空港は、「北海道の空の玄関口」として親しまれ、多くの観光客、ビジネスマンが、国内外から訪れるようになりました。

画像 新千歳空港の近影
新千歳空港の近影
画像 千歳市のカントリーサイン
千歳市のカントリーサイン

昨年の空港利用者は約2480万人。空港と飛行機は、千歳市を象徴するシンボルとして、カントリーサインにも採用されています。100年前のできごとが、現在の新千歳空港と千歳市の発展につながっているのです。

画像 空港公園にある、「北海」第1号と酒井さんのモニュメント
空港公園にある、「北海」第1号と酒井さんのモニュメント

飛行機着陸と、酒井さんの功績を記念して作られたモニュメントは現在、千歳市の空港公園にあります。ここにある石碑には、ある言葉が刻まれています。

「鍬振う 村人の夢 ここに舞う」
空港公園にある石碑
空港公園にある石碑

発問3:100年前の村人は、どんな夢を心に思い描きながら着陸場を作ったと思いますか。

④千歳市空港開港100年記念にふれ、未来を見すえ、夢のために頑張ってみたいこと、挑戦したいことについて考える。

千歳市空港開港100年記念ロゴマーク
千歳市空港開港100年記念キャッチコピー
千歳市空港開港100年記念ロゴマーク
千歳市空港開港100年記念ロゴマーク

2026年、千歳市空港開港100年の記念の年を迎えます。キャッチコピーにも「夢」という言葉が使われています。新千歳空港は、100年前から、そして100年後も続く、夢の途中にいるのかもしれませんね。

発問4:あなたが夢を叶えたいと思った時、今がんばってみたいこと、挑戦してみたいことはなんですか。

3 どこにどのようにつなげるか

4年生の社会科では、その地域の歴史、活躍した偉人について学習します。千歳の歴史を学ぶ際に合わせて、この道徳の授業を行うことで、先人の粘り強い努力があったからこそ今の千歳市の発展があるということを実感させやすいと考えます。

また、小樽新聞社の千歳村訪問は、鉄道が開通したことと、札幌農学校(現:北海道大学)初代教頭ウィリアム・スミス・クラークに師事した初代北海道庁水産課長の伊藤一隆が、千歳にさけますふ化場やインディアン水車(捕魚車)を設置したことに起因します。

「お雇い外国人」クラークを北海道に呼んだのは、北海道の発展のために力を尽くした開拓使長官、黒田清隆です。そうした一連の北海道開拓の歴史の中に、千歳村の物語があります。開拓の歴史は、子ども達にとっては複雑で理解しにくいところもありますが、様々な人のつながりの中で空港が発展してきたことを実感しながら学習を進めることができます。

さらに、学習発表会などで、空港の歴史を題材とした劇を行う、ということも考えられます。その際に、導入として本授業を行うのもおすすめです。100年前の千歳村の人々の思いを考えながら演技する中で、さらに千歳の歴史、先人のあゆみへの理解が深まることでしょう。

おわりに

現在、人口10万人に届きそうな勢いで発展している千歳市。新千歳空港も、年々利用者を伸ばしており、昨年の利用者数は、開港以来最多となっています。市全体でも、空港開港100年記念を祝うべく、ロゴマーク、キャッチコピー制定、記念動画制作、空港や千歳市の歴史を知るイベントなど、様々な催しが行われています。

私自身も、空港の歴史を知る中で、千歳の空を飛んでいる飛行機をながめながら、千歳市に空港があることは当たり前ではない、奇跡のような巡りあわせが引き寄せた結果なのだなあと感じています。そこには、荒野を切り拓き、飛行機の着陸場を作った100年前の千歳村の人々の心が息づいているような気がするのです。

道徳の地域教材づくりを進める中で、北海道はとにかく広く、その地域ごとに歴史や文化があること、そこに暮らしていた人々のおかげで今があることを実感するばかりです。これからも「地域の宝」を掘り出す気持ちで授業づくりに取り組んでいきたいと思っています。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。次回の更新もお楽しみに!

参考文献、Webサイト

編集委員・藤原友和先生による共著・編著、好評発売中です。

単行本「オリジナル地域教材でつくる!「本気!」の道徳授業」カバー
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