「てびき」をキイワードに再発見する 伝説の教師 大村はまの国語授業づくり #7 大村はまのほめことば

日本教育史上突出した実践を展開し、没後20年を経た今も伝説として語り継がれる国語教師、大村はま。現役時代の教え子であり、その逝去の二日前まで身近に寄り添った苅谷夏子さんが、今、改めて大村はまの国語授業づくりの「凄み」を語る連載です。
執筆/苅谷夏子(大村はま記念国語教育の会理事長・事務局長)
目次
簡単にはほめなかった
前回、「ほめことばの研究」の単元を取り上げたので、大村はまが子どもをどうほめたか、ということを書いておきたい。
ひとことで言うなら、大村はまは簡単にはほめない人だった。世の中では、子どもはほめて育てようという温かな配慮から、小さなことでも大げさにほめ、「そんなことまでほめるか!」というほど些細なことを探し出し、最初から何かほめるつもりで臨んでいる様子さえ伺えることもある。ほめられたら子どもは嬉しいし、自信がついて成長する、だからどんどんほめればいいではないか、という考え方ももちろん真っ当だろう。しかし大村はまはその対極にいた。
「中学生くらいになると、たいしたことのないことでほめられると、ムッとしたりしますよ。頼もしいものです。ほめればいいというものではない」と言ったりしていた。実際、ほめられるのが苦手という子どもは少なくない。大げさなほめことばを居心地悪く感じる感性が子どもにもちゃんとあったりする。しかし同時に、ほめることが素晴らしいギフトになることも確かにある。大村はまはそういうギフトとしてほめることを別格扱いにし、つまらぬ日常茶飯事にしなかった。
ほめられた思い出 1回目
連載第1回で書いたが、私は中学1年の夏休み明けに転校生として大村教室の生徒になった。その初日の授業は、夏休みの宿題の提出から始まった。
「夏休みの宿題、いくつもありましたね。作文の題材集め、読書生活の記録、ことば集めなど、全部そろって今日提出できますか? 本当はそれがいいわけですが、もしも、〇〇はあと少し整理しなければならないので今日は出せません、とか、〇〇はわけがあってこれしかできていません、とかいうように事情がある人もいるかもしれません。机の上の用紙に、提出物についての簡単なメモ――全部そろっているのか、何か提出できないものがあるのか、いつ出せるのか――などを書いて、もちろん名前も書いて、そのメモを宿題の一番上に乗せて、この机に置いてください。
長い夏休みが挟まりましたが、1学期に話したことを覚えていますか。みなさんは中学校で大人になる練習をしています。大人は、大事なことは一度で聞いて、ちゃんとわかって、黙ってやるべきことをするんでしたね。その練習をみなさんはしているんです。さきほどの提出物の話も、一度でわかるようにお話ししたはずです。だから、お友だちと「これはどうするんだっけ?」「何を書けばいいの?」「ここはこうするといいよ」なんて相談したり、おせっかいをやいたりしないで。みなさんは自分のことは自分でやりきれる人ですよ。さあ、黙って「提出物についてのメモ」を書いて、それを上に乗せて宿題を出してください。」
心細い転校生の私は、びっくりした。先生の、怖いというわけではないけれども、引き締まった話しぶり。同級生たちはそれを平然と聞いている。それだけでなく、ぱっとメモ用紙(短冊状に居切ったわら半紙だった)を手に取ると、何やら記入し始め、驚くことにざわざわと私語を交わすこともない。先生の言うとおり、たいへん大人らしい様子なのだ。東京の子はすごいな、と思った。石川県金沢の郊外から転校してきた私は圧倒された。
圧倒されながら、さて自分はどうしたらいいのか、と困った。転入生が何一つ提出できないのは当然のことだ。私に非は無い。でも、みんなが大人っぽい顔をして自分のすべきことをしている中で、私がすべきことは何なのか。何もしなくていいのか。聞きに行こうかと思い先生の方を見てみたが、うまく視線が合わず、甘えられない気がした。早くも宿題の束を抱えて先生の元にクラスメイトが並び始めている。私は困った挙句に、用紙に「転入生なので何も提出できません」と一行書き、名前を添え、その寂しいメモ書き一枚を持って列にならび、黙って提出した。
全員がそうやって提出し終えると、宿題の話はそれっきり終わりになって、大村先生のヨーロッパの土産話が始まった。「大人になる練習、話を一度で聞く、隣の人におせっかいしたりしない」という引き締まった雰囲気が一気に変わって、先生のことばはいかにもいきいきと、躍動感のあるものになり、私を心底驚かせたことは前にも書いた通りだ。この1時間の授業のことは忘れたことがない。
けれどもこの日のエピソードには後日談があった。
確か2、3日後のことだ。休み時間に、クラスの元気のいい女子グループが私のところに賑やかにやってきた。まだまだ転入生として地味に片隅で過ごしていた私にとっては、ちょっと緊張する場面だった。何の用だろう……。
「大村先生がね、『今度転校してきた前田さんは、力のある人ですよ。クラスの仲間として楽しみね』って言ってたよ!すごいね。」……何の話だろうか。転入してから「力」なんていうものを示すようなことは何もしていないのに、と面食らっていたら、クラスメイトはもう少し説明をしてくれた。「宿題の提出のとき、『転入生なので何も出せません』っていうメモを、誰に相談することもなく黙って出したのは、りっぱなものですよ。『力』ですよ、って。」
すぐにはぴんと来なかったが、徐々にわかってきた。例外的な自分の立場でどうするのがいいのか、先生に頼ろうか、と迷った末に必要最小限と思える簡単なメモを出した、これを大村先生は「力」って呼ぶのか、そうわかってくるととても嬉しかった。クラスメイトたちが、明るい調子でほめてくれるのも一層嬉しかった。
前にも書いたとおり、私は国語という教科を甘く見ていて嫌いだったが、旅の話を聞いて驚きのあまり認識がひっくりかえり、先生を大いに尊敬し始めていた。その先生に一時間目でこんなふうにほめられたわけであるから、私は密かによしっと思った。あの先生にほめられるのは喜んでいいことだ! 順調にスタートを切った、この調子でいこう、と甘い観測を持った。
しかし、その甘い観測をよそにこれほど正面切ってほめられるようなことは滅多に起きなかった。なんとそれから卒業までの間にあと2回しか起きなかったのだ。1年に1度のペースである。私はあんなに熱心に、力を込めて打ちこんだのに、それなりに力のある生徒であったのに、1年に1度だった。
ほめられた思い出 2回目
2回目は、2年生の時。ことばについての感覚を磨き、見方・考え方を育てる、という目標で、「ことばについて『問題』『考えてみたい』と思う例を集める」という中期的課題が出されたことがあった。実際の言語生活の中でこれという興味深い実例を見出すわけだが、明らかな誤用や重複、過度な敬語、変な外国語といったことはすでにクラスで共有された消化済みの認識になっていて、今さら取り上げるようなことではなくなっていたから、それを超える実例というのはなかなか見出しづらかった。授業のたびに何人かが報告するが、本当に興味深い、みんなでじっくり考えてみたい実例を拾いだしてくることは難しく、生徒の私たちも先生もじりじりしてきた。
ある日、とうとう私は意を決して自分の拾った実例を出してみることにした。それは微妙なニュアンスを扱うもので、自分でもうまく説明する自信はなかった。気になる言語事例であることは間違いなかったものの、なんとも掴みがたい感じがして、発表するにはかなり勇気を要した。
「込み入ったことを誰かに説明する時、なかなか相手がわかってくれず、しかたないからもう一度説明するという時に、最初に『だ、か、ら、』って言うことがありますよね。私はあの『だから』が嫌いなんです。横で聞いていてもいやな感じがする。『だから』ということばそのもののせいではないと思いますけれども」
これをちょっと自信なさげに発表した直後、大村がほめたのだ。
「そう! こういうことです。こういうところに目を向けて、ことばについての感覚を磨き、考えを深め、そうやってことばの生活を豊かにしていきたいものです。たいへんいい例を見つけてきましたね」
あれは本当に光栄な瞬間だった。みんなであんなにじりじりと目の付け所を探し求めてきた中で、「これだ!」と即座にはっきりと肯定された。微妙なことを対象にしていたからこそ、この断定はありがたく、腹に落ち、ことばとの付き合い方を一つ会得したように感じたものだった。これが2度目だ。

ほめられた思い出 3回目
3度目はそれからまた1年後のことだった。
当時、日本経済新聞社からまとまって刊行された『私の履歴書』(今も日本経済新聞に連載されている著名人の自叙伝である)を一人が一冊担当し、「この人はこういう人」と短いフレーズに結晶させて報告する、という単元に取り組んでいたときのことだ。
まず単元の導入の授業が実に鮮やかだった。大村は「自叙伝というものを読む前に、まずそれぞれ自分の15年間を振り返ってみましょう」と声を掛け、各自、題材集めから取り掛かることになった。短冊に切った紙に後から後からトピックを書きこんでいく。そういうことは3年生にもなればどんどん進めることができた。材料はいくらでもある。面白いようにエピソードが思い浮かぶ。けれどもそんな中で、意外にも悩ましい状況に突き当たった。「本当のことだけど、これはとても書けない、書きたくない」という題材がある。思春期ということもあって、自分にとってはそれが一番なまなましい題材であっても、先生や友だちも読むかもしれない作文に書くことはしたくない。そうかと思えば、「まわりからこんなふうに見られたい」という変な意識も働いて、そのためには何を書いたらいいだろうとか、などと考える。自分自身を描くことが単純明快な作業でないことが見えてきて、なんとも複雑な心境を味わっていた。ちょうどその時に大村が声をかけた。
「はい、ではそこで終わりにしましょう。題材のメモはなくさないように。いつか書いてみるといいですが、今はそこまででいいです。……どうでしょう。あったことを全てそのまま書くわけじゃないでしょう? 迷って、選んで、捨てる、そこに、あなたという人がいるのではないでしょうか? 書くことを選ぶのも、書かないことを選ぶのもあなたでしょう。これから『私の履歴書』を読みますが、書いてあることそのものがその人だと思ったら、違ってしまいます。あったことが書かれていないかもしれない。そこにあることをそのように選んだこと、それ自体がその人らしさなのだと思いませんか。」
まさに目から鱗が落ちたようだった。教室がしーんとした。表現するということは、選ぶこと、捨てること、構成すること、それを初めて正面から受け止めた経験となった。そんな目覚ましい気づきから入ったから、『私の履歴書』を読む単元は普段にも増して皆が張り切って取り組むことになった。
私は、女性運動家で後に国会議員になった神近市子さんを担当した。神近さんは、誰に何を言われても堂々と自分の信じる道を行く、確固としたアイデンティティーを持った女性だった。その神近さんは自分の半生記を綴る中で、普通は漢字で書く有名な団体や新聞社の名称などをカタカナで書いたり、かぎカッコに入れて表記したりしていることがあった。「世間でいうような権威としては受け取っていません」ということを、そんなふうに表記を変えることで表現しているように感じた。文字というものは習った通りに書くことが当然と思っていたので、これはおもしろい発見だと私は密かに喜んでいた。
いつも単元学習が佳境に入ってくると、教室はかえって静まり返り、大村は足音も立てずに教室をめぐっていろいろな生徒の相談に乗ったり、助言をしたりしていたと思うが、たいてい私は集中しきっていてクラスの様子など目に入らないことが多かったし、やりかけていることを大村に見られたくないとも思っていた(そして実際、そういう生徒のもとに大村が無理に声を掛けることはほとんどなかった)。
けれども神近市子さんの文字遣いと表現について発見したその時、大村が「何をしているところなの?」と声を掛けてきた。興奮しながら、「どういう文字遣いで書くかということにも、この人らしさが現れている、と思ったんです。決まったルールからわざと外れて書くということがある、と」とたどたどしく説明すると、大村は「まあ、そんなにいいことにどうやって気づいたの? たとえばどういうところ? 例を示してみて」と聞き出してくれて、私が、「たとえばこれや、……こんなのも」とページを繰りながら示すと一緒にうんうんと頷いて、「よく気づいたわねえ。自分一人で考え付いたの? ぜひしっかりまとめなさいね」と言ってくれた。クラスの誰の耳にも入らない、先生と私、二人の間だけのやり取りだったが、私が顔を赤らめるほど、大村は心から熱くほめてくれた。これが3回目のことだ。
ほめことばという太鼓判
こうして3つの出来事を振り返ると、どれもが、私が持っている力と知恵を振り絞り、それまでの自分の考えからおずおずと、しかし確かに一歩踏み出したその時を大村が逃さず捉えていることがわかる。当たり前の平凡な正解を出したわけではない。ほめられて当然とは本人も思っていないチャレンジだった。それをすかさず大村が正面からほめた。太鼓判を押してくれたようなものだった。あの3回の嬉しさと晴れがましさ、光栄な気持ちは、半世紀以上経った今でもありありと思い出される。
勉強家で熱心で、それなりに優秀な生徒だった私が、一年に一度のペースでしかほめられなかったということについては、何の文句も不満もない。それで良かった。「大村はま先生がほめる」ということは、それだけの価値のあることだと皆がわかっていて、乱発によって価値が下がることなど誰も願っていなかった。
それでも大村先生のほめことばは、思いがけない場面でいろいろなクラスメイトに向けられた。話し合いの流れの中でのささやかだが的確な発言に対して、作文の題材のよさや優れた書きぶりについて、期末試験の鮮やかな答え方について、読書の幅広さについて、発言の冒頭の語りだしの魅力について……。いろいろな人がいろいろなタイミングでほめられた。先生がほめると、皆が「ほう」という顔をした。友人の達成にはっと驚かされ、うらやましく思い、嫉妬に近い感情を覚えることもあったが、それ以上に共有されたのは尊敬の念だった。すごいな〇〇君は! やるなあ〇〇さんは! 素直にそう思った。そういう機会が優等生だけのものでなかったことも大事なことだった。優等生にはできないことを、控えめな友だちがやってのけることもあったのだ。
当時の私は十分には周りへの目配りが出来なかったけれども、ひょっとしたら、誰もが一年に一度くらいの割でほめられていたのかもしれない。それは別に大村先生が公平を保つためにチェックシートを作っていたというようなことではなく、おそらく、一人ひとりに活躍の場があるように願いながら進められていたあの国語教室で、みんなが力をこめて課題に取り組んでいれば、そしてそれを大村先生がその眼力で細かく、丁寧に見守っていたら、きっと一年に一度くらいの割でほめられるべき瞬間が訪れるということなのではないか。
繰り返しになるが、あの教室でほめことばは安売りはされなかった。ほんとうにほめられるべきことだけが、心からのことばでほめられた。それはとても大事な事実であったと思う。
ほめることは「てびき」だった
この連載のキイワードは「てびき」だが、実は、ほめるということは「てびき」そのものだった。「そうそう、こういうのがいいのだ!」「これこそ良い着眼だ!」「こういう方向で考えるのが大事!」「それでいいそれでいい!」と、その時その時のなまなましい文脈の中から取り出され、示され、心からのほめことばで価値づけられる。「良さ」「いい文章」「優れたことばの使い手」は、そんなふうにして抽象的な概念から具体的な理解に結びついて共有されていったのだ。たとえば転入生の私が黙って提出したメモについて、大村が私にではなく同級生にそれをほめたのも、てびきとしての意識が感じられる。大村は女の子たちがそれを聞いたら、転入生にさっそくそれを伝えるだろうことも読んでいたに違いなく、そうやって大事なことを絶妙な方法で示していった。伝説の国語教師大村はまの見識と瞬発力が、いかんなく発揮されていたのだ。
そのように見るならば、ほめことばが確かな判断に基づく特別な価値を持つことは、どうしても必要なことだった。安売りをする余地はなかった。
ことばが信の置けるものでありつづけること
さらにもっと広い意味で、ことばがいい加減でないこと、ことばが正真正銘その意味を担っていること、嘘も誇張もごまかしもないこと、ことばを信じていいこと、信じていいことしか言わないこと、そういう手ごたえを大村はまは子どもたちに伝え続けていた。ことばというものの本質を外さなかった。大村はまは自分のことを不器用と称することがよくあったが、ある意味ではその通りで、思っていないことはすんなりとは口にできず、社会生活を送る上でそれで損をすることもずいぶんあったと思う。
けれども、そういう人だからこそ、ことばというものの手ごたえを伝えることができたし、発することばには不思議なほどの力と熱があり、大村はまという人と確かにつながっていた。結局、それが最も大事な大村はまの教育だったと言えるのかもしれない。

<大村はま略歴>
おおむら・はま。1906(明治39)年横浜市生まれ。東京女子大学卒業後、長野県諏訪市の諏訪高等女学校に赴任。その後、東京府立第八高等女学校へと転任。すぐれた生徒たちを育てるが、戦中、慰問袋や千人針を指導、学校が工場になる事態まで経験する。
敗戦後、新制中学校への転任を決め、後に国語単元学習と呼ばれるようになった実践を展開。古新聞の記事を切り抜いて、その一枚一枚に生徒への課題や誘いのことばを書き込み、100枚ほども用意し、駆け回る生徒を羽交い締めにして捕まえては、一枚ずつ渡していったと言う。1979(昭和54)年に教職を去るまで、単元計画をたて、ふさわしい教材を用意し、こどもの目をはっと開かせる「てびき」を用意して、ひたすらに教えつづけた。退職後も、90歳を超えるまで、新しい単元を創りつづけ、教える人は、常に学ぶ人でなければならない、ということを自ら貫いた。著書多数。
2005年、98歳10ヶ月で他界。その前日まで推敲を進めていた詩に、「優劣のかなたに」がある。
<筆者略歴>
かりや・なつこ。1956年東京生まれ。大田区立石川台中学校で、単元学習で知られる国語教師・大村はまに学ぶ。大村の晩年には傍らでその仕事を手伝い、その没後も、大村はま記念国語教育の会理事長・事務局長として、大村はまの仕事に学び、継承しようとする活動に携わっている。東京大学国文科卒。生きものと人の暮らしを描くノンフィクション作家でもある。
主な著書に『評伝大村はま』(小学館)『大村はま 優劣のかなたに』『ことばの教育を問い直す』(鳥飼玖美子、苅谷剛彦との共著)『フクロウが来た』(筑摩書房)『タカシ 大丈夫な猫』(岩波書房)等。

ロングセラー決定版!
灯し続けることば
著/大村はま
「国語教育の神様」とまで言われた国語教師・大村はまの著作・執筆から選びだした珠玉のことば52本と、その周辺。自らを律しつつ、人を育てることに人生を賭けてきた大村はまの神髄がここに凝縮されています。子どもにかかわるすべての大人、仕事に携わるすべての職業人に、折に触れてページを開いて読んでほしい一冊です。(新書版/164頁)
大村はま先生の貴重な講演動画!「忘れ得ぬことば」大村はま先生 白寿記念講演会 5つのことばがつむぎ出す、国語教育の源泉【FAJE教育ビデオライブラリー】〈動画約60分〉がこちらでご覧いただけます。
