学校の「癒し機能」確保していますか?【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #74】

執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
学校が勉強をするだけの場所になっていませんか? 学力向上への期待が高まる一方で、子どもたちが本来求めているはずの「安心できる居場所」としての機能が学校から失われつつあります。中高生の9割が何らかの悩みを抱え、お楽しみ会も姿を消した今、学校に必要なのは何でしょうか? 今回は赤坂真二先生が、学校の「癒し機能」の重要性と、明日からチェックできる5つの具体的な視点をお届けします。
目次
学校への期待が高まる中、置き去りにされつつある「癒し機能」
この秋も多くの学校からお声掛けいただき、学校の様子を拝見させていただきました。先生方の献身的な教育活動に心より敬意を表すばかりです。少子高齢化、そして予測不能な社会へと変貌する中、学校への期待は高まる一方です。特に学力向上と進路実現という「目標達成機能」の強化は、時代の要請として強く求められています。その結果、学校は先生方の意図に添っているのか反しているのかは定かではありませんが、いつのまにか「勉強をするだけの場所」の様相を呈していないでしょうか。
教室は競争の場となり、カリキュラムは過密化を進めています。国際学力調査などの結果を見ると、確かに成果は出ているかもしれませんが、その陰で、子どもたちが本来学校に求めているはずの「癒し機能」、すなわち、無条件の安心感や、ありのままの自分を受け入れてくれる居場所としての機能が、置き去りにされつつあるのではないかと危惧しています。
こども家庭庁(2023)は、「児童虐待の相談対応件数の増加や不登校、いじめ重大事態の発生件数の増加、自殺するこども・若者の数の増加など、その環境は一層厳しさを増すとともに課題が複雑かつ複合化しており、こどもの権利が侵害される事態も生じている。とりわけ厳しい環境で育つこども・若者は、居場所を持ちにくく、失いやすいと考えられる」と子どもが、居場所を見出せなくなっていると述べました。そして、こうした事態を受けて、「こどもにとって、学校は単に学ぶだけの場ではなく、安全に安心して過ごしながら、他者と関わりながら育つ、大切な居場所の一つであり、実際に、一日の大半を過ごす場所として、学校は多くのこどもにとっての居場所となっている。とりわけ資源の少ない地方部においては、居場所という観点では学校がこどもにとってのセーフティネットとなっていることもある」として、多くの子どもにとって学校が居場所になっていることを指摘しました[i]。
また、動機づけに関する文献をまとめた、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部は、それらの文献を用いて人間の基本的な欲求として「獲得への欲動」(社会的地位など無形なものを含む、希少なものを手に入れる)、「絆への欲動」(集団や個人の結びつきを形成すること)、「理解への欲動」(好奇心を満たすこと、自分の周りの世界をよくすること)、「防御への欲動」(外部の脅威からわが身を守ること)の4つを挙げ、これら4つの欲動が我々の行動の基盤になっていると言いました(2009)[ii]。4つの欲動のうち「獲得」と「理解」の欲動は、勉強ができること、好奇心を満たすことと捉えると、成長や向上を求めるエネルギーであり、「絆」と「防御」の欲動は、個人の思いを重視するという意味で、関係性や安心などの尊重への配慮を求めるエネルギーだと言えるでしょう。
本来、公教育は、こうした子どもの向上や配慮といった基本的な欲求を満たし、実現することを期待され、学校というところは、子ども個人の能力を伸ばすだけではなく、成長のためのエネルギーを整え、溜める場所として機能してきたと言えないでしょうか。成長したいという願いが満たされ、同時に癒され元気になる場所であるからこそ、多くの子どもたちが足を運んだのでしょう。今、学校の居場所としての機能が問われていると思われます。
子どもたちにとって「癒し」とは?
階段を登るためには体力が要ります。ずっと階段を上り続けることはできません。だから、踊り場で休憩したり、水分や栄養補給したりすることが必要なわけです。一般社団法人 徳志会(2025)が、全国の中高生に心の健康に関する調査をしたところ、9割が何らかの悩みを抱え、その悩みのトップは42%で「学校の人間関係」でした[iii]。大人にとっても人間関係の調整はエネルギーをかなり削り取られますが、子どもたちも同様です。日々、学校で気を使いながら、姿の見えない資質・能力の育成という長い階段をへとへとになりながら登っているのでしょうか。
学校の先生方にお聞きすると、かつてはどこのクラスでも実施されていたお楽しみ会は姿を消し、子どもとおしゃべりをする時間もないと言います。子どもたちにとって、学校生活における「癒し」とはなんなのでしょうか。そこで、私の授業を受講する大学生(2年生)たちに、小中高等学校時代の「癒し」とは何だったのか、たずねてみました。
〇これまでのどの学生生活でも癒しになったものは友達の存在です。友達との人間関係に悩み苦労したことは多々ありましたが、それよりも友達に助けられたことの思い出が強く残っているほど「癒し」になっていました。今でもそれは変わらず、一緒に話したりご飯を食べたり課題をしたりと、何をするにも「癒し」になっていて大きな存在です。また、友達からの影響で好きなものが増え、それがまた癒しになるということもありました。
〇私は今までの学校生活を通し、友達と話す時間がいちばんの「癒し」となっていると感じる。応援団や部活、修学旅行はとても楽しくて、学校生活の思い出を語るには欠かせないものたちだ。しかし日々の癒しとして最も効果的であったものと考えると、授業と授業の間の10分休み、お昼ご飯を食べるとき、帰りの電車まで教室で暇をつぶすとき、これらの何でもないような時間に友達と雑談をしているときが私にとって癒しであったように思う。「この話を友達にしたいな」と学校に行くモチベーションにもつながっていた。
〇私の中学生のときの「癒し」となっていたものは部活動だった。美術部で仲間とおしゃべりをしながらイラストを描いたり、遊んだりする時間が毎日楽しみで、欠かせないものだった。しかし高校生になり、美術部の活動は週一であると聞いたときは、そんなことがあり得るのか、私は耐えられるだろうかと絶望していた。実際、高校生活は勉強ばかりで日々の癒しが減り、中学生のときほど毎日が楽しいとは感じられなくなった。
他の学生たちのコメントにも多く見られたのが、友達と過ごす時間のことでした。部活動や特別活動場面のことも書かれていますが、それが癒しとして機能するとき、学校生活においては、友達の存在の優先順位は高いと言えそうです。
