性教育って、どんなイメージ?【教室から始める性教育~“いのち”と“多様性”を育てる授業】#1
今回から「教室から始める性教育~“いのち”と“多様性”を育てる授業」の連載が始まります。執筆いただくのは、小学校や中学校で性教育の指導に長年携わったスペシャリストである、帝京平成大学教授・郡吉範先生です。この連載では、安心して実践できる基礎的・基本的なことがらやすぐに使えるヒント、ちょっと背中を押す言葉などをお届けします。第1回のテーマは「性教育って、どんなイメージ?」です。小学校で性教育が大切なことは分かっているけれど、教え方が難しいと考えている先生方のヒントになることでしょう。
執筆/帝京平成大学人文社会学部教授・郡 吉範

目次
はじめに
「性教育」と聞くと、どこか身構えてしまう方も多いかもしれません。でも、私のスタートはごく普通の――いや、むしろちょっとバタバタした新任教師でした。
教員人生の始まりは、中学校の保健体育科。配属された学校では、校内研修のテーマが「性教育」だったのですが……。当時の私は授業準備に、部活指導に、学級経営にと大忙しで、「性教育の研修? うーん、まあそのうちに……」と、正直スルー気味。新任あるある、ですね(笑)。
そんな私が、次に赴任したのが東京・新宿のある中学校。実はここ、かつて“性教育の先進校”として全国的に知られていた学校だったのです。その頃はもう特別な取組はしていませんでしたが、OB・OGの先生方の中には、当時の熱意と理念をしっかりと受け継いでいる方が多くいました。
そして、赴任して間もなく、ある「事件」が――。「保健体育科の先生でしょ? じゃあ、性教育の授業、よろしくね!」……え、誰!? と思う間もなく、まるで「天の声」のような指示が……(笑)。
迎えた初回の授業日。教室の後ろをふと見ると、ずらりと並ぶ、OB・OGの先輩方! しかも全員、かつて性教育をけん引してきた猛者たち! あのプレッシャーと汗は今でも忘れられません……。
でも、あの日が私のターニングポイントでした。「天の声」と、背後に立つ先輩方の姿がなければ、私はここまで性教育に本気で向き合っていなかったかもしれません。そこから、性教育は私の教員人生の「芯」となり、歩みの軸になりました。
その後、小学校での管理職を経験したことで、また新たな学びもありました。子供たちの発達段階をより広く見通すなかで、「性教育って、“点”じゃなく“線”なんだな」。そう、強く感じるようになったのです。
この連載では、私のそんな実体験も交えながら、今の学校で求められる“性教育”について、特に「ジェンダー」や「LGBTQ+」などのテーマをどう扱えばよいのかといった現場のリアルな温度感とともに、お届けしていきたいと思います。忙しい先生方がちょっとした隙間時間に、スマホ片手で気軽に読めるように――そんな思いでつづっています。
ちょっとした笑い話や失敗談も混ぜながら、「肩肘張らずに、でもちゃんと本気で」語っていきます。どうぞ、気楽に読み進めてください。
「性教育」って、どんなイメージ?
みなさんは、「性教育」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?
「からだの話、第2次性徴、妊娠や性感染症の知識」
「保健の授業だから体育や養護教諭が担当」
あるいは、「ちょっとエッチな話?」──そんな印象をもつ人も、まだまだ多いかもしれません。
実際、私の教員仲間には、こんなふうに私を紹介する人がいます。
「郡先生です。体育の先生で、性教育をやっています。…ふふふ、“エッチな先生”です!」
ウケねらいのつもりらしいのですが、紹介された私の立場はどこへやら(笑)。
そして思春期男子の想像力は、さらにたくましいものです。私の息子が高校生だった頃、友人に「うちの父ちゃん、性教育やってるんだ」と話したら、その友人たちがこう言ったそうです。
「え、父ちゃんのパソコンに“お宝”入ってるんじゃね? 何とか見られないの?」
──いやいや、そんなもん入っていません!
このように、「性教育」という言葉には、想像以上に幅広い(そしてときにズレた)イメージがつきまとっています。それは、一般の方だけでなく、教育現場の中でも同様です。
でも、この「ズレ」や「固定されたイメージ」を、そのままにしておくのはもったいない。今の時代の子供たちにとって、本当に必要な性教育ってなんだろう? それを大人自身が見つめ直すことこそ、最初の一歩ではないでしょうか。「固定されたイメージ」から少し距離を置いて、性教育を「今の子供たちに合った、未来につながる学び」として、一緒に読み解いていきましょう。
