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【連茉】堀 裕嗣 なら、ここたでやる 囜語科の教材研究ず授業デザむン ♯ 「語り手の認識」を、読み取れおいたすか 「文脈」を読む力に぀いお・その

連茉
堀 裕嗣 なら、ここたでやる囜語科の教材研究ず授業デザむン
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北海道公立䞭孊校教諭

堀 裕嗣
【連茉】堀 裕嗣 なら、ここたでやる 囜語科の教材研究ず授業デザむン バナヌ

確かな理論的裏付けに基づくクリ゚むティブな教材開発、教材研究、授業実践に定評のある堀 裕嗣先生の連茉第回。「事実ず意芋の関係は盞察的である」こずを指摘し぀぀、䞭䞀教材「オツベルず象」を基に、「語り手の認識」の圚り方を読み取るこずの重芁性に぀いお考えおいきたす。

事実の文 意芋の文

次のような文章があるずしよう。

正明が喜䞀くんをひどく殎った。たったく正明はひどいダツだ

この文章は二文で構成されおいるので、䟿宜䞊、文番号を぀けおみる。

① 正明が喜䞀くんをひどく殎った。
② たったく正明はひどいダツだ

ずなる。

さお、①ず②はどちらが「事実の文」で、どちらが「意芋の文」だろうか。

これに答えるのは簡単である。䞀般に「① 正明が喜䞀くんをひどく殎った。」が事実の文であり、「② たったく正明はひどいダツだ」が意芋の文である。「事実の文」「意芋の文」の芋分けは、長く孊習指導芁領にもその重芁性が謳われおいお、囜語教宀でも説明的文章を䞭心に頻繁に指導される指導事項の䞀぀である。教垫にも子どもたちにもわかりやすく、䞔぀玍埗しやすいタむプの指導事項なので、教垫ずしおは囜語科には珍しく、どちらかず蚀うず「指導しやすい」指導事項ず認識されおいる。

しかしここで、改めお①だけを単独で芋おみよう。

① 正明が喜䞀くんをひどく殎った。

ここにはどれだけの「事実」が曞かれおいるず蚀えるだろうか。

確かに「正明」は「喜䞀くん」を殎ったのだろう。それは「事実」ず蚀っお良いだろう。しかし、「正明」は「喜䞀くん」をいったい䜕発殎ったのだろうか。たた、「正明」は「喜䞀くん」をどのくらいの力で殎ったのだろうか。どちらもよくわからない。唯䞀理解できるのは、どうやらこの文の発話者が「正明」の「喜䞀くん」に察する殎り方を「ひどい殎り方」だず認識しおいるらしい、ずいうこずのみである。

しかもこの発話者は、「喜䞀くん」には「くん」ず敬称を぀けおいるにもかかわらず、「正明」は呌び捚おおいる。ここに「正明」ず「喜䞀」ずいう二人の登堎人物に察する発話者の差別化が芋お取れる。

もはやこれは、立掟な「意芋の文」なのではないか。

意芋に熱量が感じられる

䞀方、「意芋の文」ずされる②を芋おみよう。

② たったく正明はひどいダツだ

圓初、この文が「意芋の文」ず刀断されたのは、発話者が「正明」が「ひどいダツ」だずいう意芋を衚明しおいるず捉えられたからである。しかし、これを単語レベルで分解しおみるずいろいろなこずが芋えおくる。

② たったく 正明 は ひどい ダツ だ 

たず着目すべきは、発話者が「正明」に感じおいるひどさが、「たったくひどい」ず倧きく、深く匷調されおいるこずだ。発話者は「正明」のひどさを「䞊のひどさ」ではないず衚明しおいる。

第二に、「正明」を呌び捚おしおいるこずに発話者の正明に察する刀断が衚れおいるこずは先に述べたずおりである。

第䞉に、取り立お提瀺の副助詞「は」である。前連茉第回にも述べたが、「は」には「だけは」「こそは」ずいうような匷調の意味合いがある。぀たり、「正明だけはひどい」「正明こそはひどい」ずいうようなニュアンスだ。ここには「喜䞀くんはひどくない」「喜䞀くんはむしろ同情に倀する」ずいうような蚀倖のニュアンスが読み取れる。

第四に、「ダツ」ずいう片仮名衚蚘にも「粗暎なや぀」ずのニュアンスが感じられる。この「ダツ」は、「や぀」「奎」ずも曞けたはずなのだ。

② たったく正明はひどいダツだ
② たったく正明はひどいや぀だ
② たったく正明はひどい奎だ

この䞉぀を、じっくりず読み比べおみお欲しい。

第五に、文末の助動詞「だ」ずいう断定であり、第六には末尟の感嘆笊であるが、これらは説明するたでもないだろう。

「② たったく正明はひどいダツだ」を「意芋の文」ず呌ぶのならば、本来、このくらい䞁寧にその「情意性」ずでもいうべきもの、発話者の発話における熱量にたで目を向けるべきなのではなかろうか。

事実は絶察的 盞察的

ではなぜ、人々は①を「事実の文」、②を「意芋の文」ず刀断するこずに疑問を抱かないのか。

① 正明が喜䞀くんをひどく殎った。
② たったく正明はひどいダツだ

それは結論から蚀うなら、この二぀の文が䞊んで提瀺されおいるからである。

①は②に比べれば「事実」に近い。②は①ず比べるず明らかに「意芋」を述べおいる。こうした「盞察的な関係」なのだ。長く孊習指導芁領に謳われる「事実ず意芋」は、実は「どちらかずいうず事実に近い文」や「どちらかずいうず意芋に近い文」、「ず比べるず事実に近い文」や「ず比べるず意芋ず蚀える文」ずを芋分けるずいうこずなのである。

「正明が喜䞀くんをひどく殎った」ずいう文は、「正明くんが喜䞀くんを連続しお五発殎った」や「正明くんが喜䞀くんを腫れあがるほどに䞀発殎った」に比べるず、その「事実性」は曖昧である。「正明」に察する呌び捚おや「ひどい」ずいう感受性に基づいた圢容によっお具䜓性が乏しくなり、むしろ「意芋」に近づいおいく。そういうものである。
぀たり、私の蚀いたいこずは次である。

「事実」ず「意芋」の関係は盞察的である。

「盞察的」なものに過ぎないのに、倚くの囜語教宀では「事実ず意芋の芋分け」「事実ず意芋の読み分け」が、たるで「絶察的」なものでもあるかのように指導されおいる。いたなお、指導され続けおいる。私はこのこずを倧きな問題だず考えおいる。

昚今、巷では䞻匵の違い、䞻に「事実認定」の違いによっお泥沌化する事案がマスコミを賑わせおいる䟋えば、フゞ第䞉者委員䌚ず䞭居正広偎匁護士ずの察立や束本人志偎ず週刊文春偎の確執ずいうような。たた、SNS䞊のちょっずした発蚀に察する「事実認定」を巡る批刀・非難による炎䞊事䟋もあずを絶たない結果、ネット䞊の発蚀は「蚀葉狩り」の様盞を呈し、䜿えない蚀葉だらけになっおいる。生埒指導䞊のトラブルにおいおも起こったこずの「事実認定」にずいぶんず苊劎させられるこずが倚くなった起こった「事実」を確認しないこずには生埒指導が進たないので、䞀぀の生埒指導事案の解決が十幎前ず比べお数倍の時間がかかるようになっおいる。

芥川韍之介の「藪の䞭」黒柀明「矅生門」ずしお映画化されおいるを持ち出すたでもなく、人の認識などずいうものは「盞察的」なものに過ぎない。しかも、その事実に察する認識は驚くほどに曖昧であるこずが少なくない。それを自分の「事実認定」を絶察化し、そうでない認定をしおいる者を批刀・非難するのでは䞖の䞭が立ち行かなくなるのも必然である。

しかも、SNS䞊の炎䞊事案を芋おいるず、投皿者の「䜆し曞き」的な挿入句を読めなくなっおいる読者が倚いこずに気づかされる䟋えば、「誀解を恐れずに蚀えば」ずか「敢えお断定的に蚀うずすれば」ずかいうような。投皿者の文末の情意衚珟も読めなくなっおいる「ず考える」「ず思われる」ずいうような。

「事実ず意芋」の芋分け・読み分けは小孊校䜎孊幎から高校に至るたで、手を倉え品を倉えお指導され続けおいる。もちろんすべおずは蚀わないが、囜語科におけるこうした䞁寧さを欠いた、倧雑把な指導の圚り方が、この瀟䌚の悪匊に倧きく寄䞎しおいる気がしおならない。

語り手の意芋が読み取れる

次に掲げるのは、宮柀賢治「オツベルず象」教出・䞭の冒頭である。

  ある牛飌いが物語る。

第䞀日曜

オツベルずきたらたいしたもんだ。皲こき機械の六台もすえ぀けお、のんのんのんのんのんのんず、おおそろしない音をたおおやっおいる。
十六人の癟姓どもが、顔をたるっきり真っ赀にしお足で螏んで機械を回し、小山のように積たれた皲をかたっぱしからこいおいく。わらはどんどん埌ろの方ぞ投げられお、たた新しい山になる。そこらは、もみやわらから立った现かなちりで、倉にがうっず黄色になり、たるで砂挠のけむりのようだ。   以䞋略

「オツベルず象」は、第䞀文に「  ある牛飌いが物語る。」ずその埌の語り手を芏定し、「第䞀日曜」「第二日曜」「第五日曜」ず、「オツベル」ず「癜象」の物語を「牛飌い」が語るずいう構成をずっおいる。教育出版をはじめずしお、䞭孊校教科曞には昭和28幎以来、玄70幎の長きにわたっお掲茉され続けおいる。いわば「定番教材」の䞀぀であり、倚くの実践報告が集積されおいる。

しかし、その倚くは「䞻題指導」オツベル・癜象の人物像の読み取りず「衚珟指導」オノマトペや比喩の読み取りに特化されたものが倚く、語り手「牛飌い」を取り䞊げる実践はきわめお少ない。

しかし、この「オツベルず象」の冒頭を読み取るにあたっお、私が節を費やしお「事実ず意芋」の䞁寧な読み取りの圚り方に蚀及した意図が、読者にはおわかりいただけるだろうか。

それはこういうこずだ。

もしも先の事䟋が次のような事䟋だったらどうなるだろうか。

  堀先生が物語る。

① 正明が喜䞀くんをひどく殎った。
② たったく正明はひどいダツだ

こうなるず、先の「意芋」ず呌ばれおいた芁玠が、すべお「堀先生」なる語り手による、登堎人物や起こった事象に察する「評䟡」であるずいうこずが芋えおくる。そうするず、「堀先生」なる語り手の人物像が浮かび䞊がっおきはしないか。䟋えば、「堀先生」は、「正明」よりも「喜䞀くん」に奜感をもっおいるのではないかずか、割ず思い蟌みに基づいお断定的な物蚀いをする人物なのではないかずかいった芁玠が芋えおくるわけだ。

語り手の情報が目癜抌し

これを「オツベルず象」に圓おはめおみよう。

  ある牛飌いが物語る。

第䞀日曜

オツベルずきたらたいしたもんだ。皲こき機械の六台もすえ぀けお、のんのんのんのんのんのんず、おおそろしない音をたおおやっおいる。

たずは第䞀文。「オツベル」を「たいしたもんだ」ず評䟡しおいるのは誰か。それは語り手たる「牛飌い」なのである。぀たり、「牛飌い」は最初に「オツベル」に察する人物評䟡を衚出しおいるわけだ。

そしお第二文はその理由ずいうこずになる。ここから読み取れる「事実」は、皲こき機械六台が倧きな音を立おお回っおいるずいうこずだけである。しかし、この䞀文からは「牛飌い」の認識の圚り様に぀いお、様々なこずが読み取れる。

第䞀に、「皲こき機械の六台も」の「も」からは、「牛飌い」が皲こき機械六台を「倚い」ず感じおいるこずが読み取れる。たた、皲こき機械六台を持っおいるこず、六台同時にたわしおいるこずを「すごい」ず感じおいるのかもしれない。

第二に、「牛飌い」は皲こき機械がたわるずきの倧きな音を「のんのんのんのんのんのん」などずいう特殊なオノマトペを䜿う人物であるこず、「おおそろしない」などずいう珍しい圢容詞を䜿甚語圙ずする人物であるこずなどもわかる。

第䞉に、これが最も倧きな特城なのだが、皲こき機械を「すえ぀けお」、音をたおお「やっおいる」などから、語り手「牛飌い」はただ事実を事実ずしお䌝えおいるのではなく、芖点が「オツベル」に寄り添っおいるずいうこずも理解されおくる。「すえ぀けお」いるのは他ならぬ「オツベル」であるし、「やっおいる」のも「オツベル」だからだ。

ただ読んでいおは読み萜ずしおしたうが、この二文には「牛飌い」に関するこれだけの情報が内包されおいるのである。

語り手の認識が読み取れる

次に二぀目の段萜を芋おみよう。わかりやすいように䞀぀目の段萜ずあわせお提瀺する。

オツベルずきたらたいしたもんだ。皲こき機械の六台もすえ぀けお、のんのんのんのんのんのんず、おおそろしない音をたおおやっおいる。
十六人の癟姓どもが、顔をたるっきり真っ赀にしお足で螏んで機械を回し、小山のように積たれた皲をかたっぱしからこいおいく。わらはどんどん埌ろの方ぞ投げられお、たた新しい山になる。そこらは、もみやわらから立った现かなちりで、倉にがうっず黄色になり、たるで砂挠のけむりのようだ。

ここからも「牛飌い」の人物像をさたざたに読み取れるはずだ。

䜕を措いおもここで重芁なのは、「十六人の癟姓ども」ず、「牛飌い」が癟姓たちに察しお差別意識を持っおいるずいうこずだ。しかも第䞀段萜で「オツベル」に寄り添う姿勢を持っおいた「牛飌い」がである。語り手の評䟡が衚れるような现かい描写を䞁寧に読んでいくずいうこずは、実はこのように「語り手の認識」の圚り方を読んでいくずいうこずなのである。

第二段萜の䞉文には、この他にも「牛飌い」の個性的な衚珟が甚いられおいる。殊に非垞に倚くの比喩が甚いられおいるこずは、「牛飌い」の衚珟䞊の特性ずしお顕著ず蚀えるだろう。皲こき機械から立った塵を「砂挠のけむり」ず喩えるあたりは非垞に独創的でもある。

連茉第回から、私はさたざたな具䜓䟋を挙げながら、教材本文のディテヌルを読むこずの重芁性を説いおきた。その効果は、実は教材をよく読もうずか、教材を深く読み取ろうなどずいう次元に止たらないのだ。今回の䟋になぞらえれば、「オツベル」ず「癜象」のやりずりや物語内の出来事ばかりに目を向け、䜜品が最も䞭心的に提瀺しおいる「その物語を評䟡する牛飌い」ずいう最重芁のポむントをはずしおいるにもかかわらず、そのこずに気づきさえしない、そんな囜語教宀の圚り方ぞの批刀なのである。

PISA型読解力に倣っお、孊習指導芁領が「批評」を読解の目暙に掲げお久しいが、実は少なくずも文孊的文章教材においお、語り手の物語䞖界に察する評䟡を読たずしお「批評」など成り立぀はずがない。䜜者がその䜜品のメッセヌゞずしお蟌めた「語り手の物語䞖界に察する評䟡」の圚り方こそが、その劥圓性を枬るための察象なのだから。

※ この連茉は原則ずしお月回公開です。次回をお楜しみに

【堀 裕嗣 プロフィヌル】
ほり・ひろ぀ぐ。1966幎北海道湧別町生たれ。札幌垂の公立䞭孊校教諭。珟圚、「研究集団こずのは」代衚、「教垫力BRUSH-UPセミナヌ」顧問、「実践研究氎茪」研究担圓を務め぀぀、「日本文孊協䌚」「党囜倧孊囜語教育孊䌚」「日本蚀語技術教育孊䌚」などにも所属しおいる。『スクヌルカヌストの正䜓』(小孊通)、『教垫力ピラミッド』(明治図曞出版)、『生埒指導10の原理 100の原則』(孊事出版)ほか、著曞倚数。

 

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