【木村泰子の「学びは楽しい」#35】「主体性」と「当事者性」を大切にした学びの場に!

子どもたちが自分らしく生き生きと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載の35回目。今回は、「子どもの自殺」「不登校」過去最多の残念な事実を今年こそ止めるために、今私たちがすべきことについて考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
目の前の子どもの声を聴く
新たな年がスタートしましたね。みなさん、少しはリフレッシュできましたか。私は年末におせちをつくって、我が家(2世帯)の子どもたち(高校生と小学生)のリアルな姿を目の当たりにしていました。普段はあまり話す時間もないのですが、じっくり子どもの声を聴かせてもらえる貴重な時間を過ごしました。大人には分からない子どもの声はすべての子どもが秘めています。家族も学校も、案外分からないままに、正解を出そうとするのですよね。正解なんてないはずなのに!
昨年も全国の多くの子どもたちから学び、目の前の我が家の子どもの声も聴きながら、今年は子どもの「自殺」「不登校」過去最多の残念な事実だけは止めなくてはならないと決意して、この原稿を書いています。
社会では「無理して地域の学校に行かなくてもいいよ」とあちらこちらでささやかれ、そのことが当たり前になったかのような風潮があります。一方で「公教育の危機」とも言われ、公教育は崩壊した、ブラック企業だ、教員のなり手がない、教員のメンタルが壊れていくなどとメディアで毎日のように発信され、多くの人が「学校」に対する負のイメージを植え付けられてしまっているのではないでしょうか。
「子どもの自殺」や「不登校」は時代の流れではありません。子ども一人一人がそれぞれの理由や原因をもっています。ただ、「学校」はマジョリティーで、登校しない自分はマイノリティーと多くの子どもは思わされている現実があります。実はマジョリティーに合わせようとさせられることに必死に抵抗しています。自分を捨てない限り、マジョリティーには混じっていけないのです。だから、学校には行かない!
学校に来ていない子どもたちの声を学校の誰かが聴ける組織になっていることが不可欠です。
「学級経営」という言葉は捨てましょう
「子どもが主語の学校づくりを」と、これまでも伝え続けてきましたが、学校に来ていない子どもがいることは、学校に来ている子どもたちも育っていないことに気づくべきです。
「教員が主語」の時代に要求され続けたのが「学級経営力」でした。教員がどれだけこの力をつけることができるか、そのための研修も重ねられてきたのですが、それらの結果が残念な「子どもの事実」です。この結果を真摯に受け止め、学校の大人たちがこれまでとは違う「指導観」へと転換するしかないのです。
「子どもが育つ」事実をつくるのが教員の仕事です。