給食を作った人々が込めた想い ~給食感謝週間に考えたいこと~

1月下旬に行われる給食感謝週間は、学校給食の意義を再評価し、その根底にある精神を深く理解する貴重な機会です。かつて、貧困に喘ぐ子どもたちに手を差し伸べようと、お寺の住職たちが慈悲の心で始めた給食は、教育の機会均等を実現するための制度となり、今も現代社会の課題に応える重要な役割を果たしていると言えます。歴史的背景と現代的視点を交えて、この給食制度を考えていきましょう。
【連載】マスターヨーダの喫茶室~楽しい教職サポートルーム~

目次
給食制度の成り立ち
日本の学校給食制度は、明治22年(1889年)、山形県鶴岡市の私立忠愛小学校で初めて給食が提供されたことが発祥です。この学校は、大督寺というお寺を基盤にした私学でした。
忠愛小学校は、貧しい家庭の子どもたちに教育の機会を提供することを目的とし、宗派を超えた地域の僧侶たちが力を合わせて托鉢したり、地域に支援を求めることで運営されました。
まだ教育制度が整っていなかった時代にも関わらず、困窮する家庭の児童には、無償の教育と給食が提供されました。
忠愛小学校の取り組みは、子どもたちの健康状態を改善し、学習意欲を高めることに大きく寄与しました。
腹ペコが満たされること。元気に動ける体になること。子どもたちにとって、これほど切ない欲求はありません。給食は、子どもたちが学校へ通い、学ぶための大切な動機づけとなったのです。

忠愛小学校で始まった給食の試みは多くの賛同者を生み、徐々に広がりを見せていきましたが、戦争や全国的な不況など、さまざまな要因で幾度も後退を余儀なくされます。
そして、ようやく昭和25年(1950年)になって、全国的な施策となりました。
それまでは、全国的に生活に困窮する家庭が多く、子どもたちの栄養不良は深刻な社会問題でしたが、給食によってバランスの取れた栄養を補給でき、児童の健康が保たれるようになりました。
また学校給食は、食事を通じて基本的な生活習慣や衛生観念を学ぶ機会も提供しました。例えば、食事の前に手を洗う習慣や、食事中のマナーを学ぶことで、児童は衛生観念や礼儀作法を身につけることができました。
このようにして、日本の給食制度は、教育の機会均等を実現するための施策として進められ、児童の健康と教育を支える重要な役割を果たすこととなりました。
現代社会における給食制度 ~核家族化と「孤食」への対応~
現在の日本人の栄養状態は、昔に比べて格段に進歩しましたが、学校給食の精神は、今も大きな意義を持っていると言えます。例えば、児童が孤独に食事をする「孤食」の問題。そして不登校の問題。学校給食は同年代の友人と共に食卓を囲み、会話を楽しむ貴重な時間を提供します。給食には、児童のセーフティネットとしての役割があると言えるでしょう。
① ネグレクトへの支援
家庭環境に問題があり、適切な食事や栄養面でのケアが足りない児童にとって、給食は安心できる食事の場であり、心の拠り所となります。わたしたち教員は給食時間を通じて児童の生活環境や心理状態に気づき、必要な支援を提供することが可能です。このような観察力や配慮は非常に重要であり、児童の健全な成長を支える役割を果たします。
② 不登校児へのアプローチ
不登校の児童にとって、給食が学校とのつながりを保つきっかけになる場合があります。「今日はカレーだよ」「デザートはケーキだよ」という声がけをして、登校しづらい児童が給食だけでも学校に来ることができるような柔軟な取り組みを行い、成功した例があります。
給食を使った取り組みで、不登校傾向児に対して少しずつ学校への抵抗感を和らげることができます。