ウェルビーイングを学校でつくる! ~SDGsの授業プラン #33 「Goal 16 平和と公正をすべての人に」・その2|岡川陽介 先生
全国各地の気鋭の実践者たちが、SDGsの目標に沿った授業実践例を公開し、子どもたちの未来のウェルビーイングをつくるための提案を行うリレー連載。今回は「平和と公正をすべての人に」について学ぶ授業実践提案の第2回です。ご執筆は、大阪府の岡川陽介先生。小学6年生、総合的な学習の時間での実践例です。
執筆/大阪府公立小学校教諭・岡川陽介
編集委員/北海道公立小学校教諭・藤原友和
目次
1 はじめに
はじめまして。大阪府枚方市で小学校教員をしております岡川陽介です。
今年度は6年生の担任をしています。私は広島出身であり、親戚にも被爆者がいることから、幼い頃より「原爆」「戦争」を身近に感じながら過ごしてきました。そのため、「戦争」「平和」に関しては、私なりではありますが関心を高く持っているつもりです。
私が勤務する枚方市は、市内44校全ての小学校の修学旅行の行き先は広島であり、全校が広島平和記念公園を訪れて平和学習を行います。その事前事後での平和学習の教材開発や、社会科や総合的な学習、道徳の時間などで、「戦争」「平和」、特に「原爆」についての授業づくりをこれまで行ってきました。今回の授業も昨年度、総合的な学習の時間で行ったものです。
2 Goal 16「平和と公正をすべての人に」について
この目標においては、「平和で公正な世界」をめざし、「全ての形態の暴力及び暴力に関連する死亡率を大幅に減少させること」を筆頭の目標とし、「紛争による難民の増加」「出生登録がされていない多くの子どもが多く存在すること」「子どもに対する虐待、搾取」「人身売買」「人種差別」「開発途上国の暴力に対する法的効力の低さ」などを問題として挙げています。
私たち日本人がこれらの他国の事実を知り、問題意識を持つことは、この目標達成に向けて極めて重要なことです。しかし、今回はあえて日本の過去の戦争に目を向け、これからも日本が戦争のない平和な国であり続けられ、その平和を世界に広げていけるよう、様々な立場からの様々な考え方があることを知り、その中でいかに「平和と公正をすべての人に」を実現できるかを、子どもたちなりに考えるきっかけとなる授業を目指しました。
3 SDGsのGoal 16を扱った授業の実際
・学年:6年生
・教科及び領域 総合的な学習の時間
・ねらい
1つの事実に対しても、様々な立場からのいろいろな意見があることを知り、その中で「平和」を実現させるために大切なことは何かを考える。
・教材名 「それぞれのヒロシマから考える」
・授業展開
①導入
(パワーポイントのスライドの文字と映像だけで問いかける BGM:「祈り歌」)
「私たちの暮らす日本」(富士山→京都→東京の写真)
「あなたは知っていますか?」
「79年前、日本も戦争をしていたことを」(東京の今の写真から空襲で焼け野原になった写真へ)
「あなたは知っていますか?」
「広島に原子爆弾が投下されたことを」(きのこ雲の写真)
「そこで約14万もの尊い命が奪われたことを」(被爆直後の広島の写真)
「あなたは知っていますか?」
「佐々木禎子という女の子を」(佐々木禎子の生前の写真)
「原爆投下から11年後に 放射能による白血病で亡くなった」
「千羽鶴の祈りも虚しく…原爆に命を奪われた…」(禎子さんが折った鶴の写真と原爆の子の像の写真)
「たった一発の原子爆弾は 一瞬で十数万もの尊い命を奪い その後も放射能によって命を奪い続けた」
「79年たった今も、その痛み、悲しみに苦しんでいる人がいる」(被爆直後の広島の写真)
(BGMをここでフェイドアウトし、ここから声に出して問う。子どもからの答えは求めず次々と流していく)
「あなたは知っていますか?」
「原爆の恐ろしさを」
「あなたはどう思いますか?」
「原爆が投下されたことを」
「あなたはどう思いますか?」
「現在、地球上に核兵器がこんなにも存在することを」(核保有国の核兵器保有数の世界地図を見せる)(子どもたちはここまで静かに、じっと繰り返される問いについて考えている様子だった)
②埋まらない深い溝
「あなたはどう思いますか?」
「原爆投下は正しかったと思いますか?」
(子どもたちから、「正しくない」「当たり前だ」「あれだけ悲惨なことを正しかったなんて言えるわけがない」という反応)
ここでアメリカで2015年に行われた意識調査の結果を見せる。
「不当44% 正当56%」
「あなたはこの結果をどう思いますか?」(問いかけるだけで答えは求めない)
(それでも子どもたちからは、「ありえない」という反応が返ってきた)
原爆を投下した爆撃機、エノラゲイ号の機長ティベッツの言葉を紹介する。
(あのきのこ雲を見て何を感じたかという記者の質問に対して)
「任務に成功してホッとしたよ」
続いて原爆投下を指示した当時のアメリカ大統領トルーマンの言葉を紹介する。
(戦後、原爆投下について記者から質問を受けて)
「戦争を早く終わらせるために原爆を投下した。原爆は道徳的にも正しかった」
「あなたはこれらの発言をどう思いますか?」
(子どもたちからはそういう発言があったことへの驚きと怒りの反応が大半であった。中には、「アメリカから見るとそう感じている人もいると思う」という反応もあった)
次にハロルド・アグニュー博士を紹介する。
アグニュー博士は、原爆の開発に携わり、原爆を投下した爆撃機に搭乗し、あのきのこ雲の写真を撮影した人物であることを伝える。
アグニュー博士が原爆投下から60年後の2005年に広島を訪れ、平和記念資料館を見学して「ひどい話だ」と心を痛めたことを当時のニュース映像の写真と共に紹介する。
博士は、そこで2人の被爆者と対話をすることになった。最初は笑顔でスタートした対話だったが、話が原爆のことになると、アグニュー博士は、
「銃弾で死ぬのも、爆弾で死ぬのも、原爆で死ぬのも同じことだ」
「非難したいのなら、私ではなく日本軍を非難すべきだ。私の友人もこの戦争で日本軍に殺された」
と主張し、被爆者の2人は、
「原爆で亡くなった人、今も苦しんでいる人に謝ってほしい」と謝罪を要求した。
(これに対するアグニュー博士の答えを映像で見る)
「私は謝らない。彼ら(被爆者の2人)が謝るべきだ」さらにアグニュー博士は続けます。
「私は謝らない。こんな言葉がある『Remember Pearl Harbor.』」
「あなたはこの対話を聞いて何を考えましたか?」(考えたことを交流する)
(「被爆した人に対してひどい言葉だと思った」「謝らなくてもあんな言い方はない」「戦争だから仕方ないのかもしれないけど、終わった後も原爆を悪いと思っていないことはどうなのか。確かに日本軍もたくさんの人を殺したけど、それをいいことだとは誰も思っていないと思う」
「アグニュー博士もこの戦争で大切な友人を亡くして辛い思いをしているから素直に謝れなかったんだと思う」といった意見が出た)
「原爆について、それぞれ(日本とアメリカ)の立場から、それぞれの主張(No more Hiroshima. No more Nagasaki. と Remember Pearl Harbor.)がある」
「この深い溝はずっと埋まることは無いのでしょうか?」
(静かに考え込む子どもたちの様子があった)
③禎子の兄とトルーマンの孫
1人の男性を紹介する。写真を見せた後、
「この人は4歳で被爆し、原爆で妹を亡くしました」と伝える。
「この人は原爆に対してどんな思いを持っていると思いますか?」
(子どもたちからは「許せないと思っている」「妹を返せ!」などの原爆に対する怒りを予想する反応があった)
「この人は原爆投下から67年後の2012年に、1人のアメリカの男性を広島に招きました」
「それがこの人です。クリフトン・トルーマン・ダニエルさん」
(子どもたちの中には『トルーマン』で「あっ!」と気づく子も数名いた)
「そう、原爆投下を指示したトルーマン大統領のお孫さんです」
「こちらの被爆者の男性は、佐々木雅弘さんといいます」
(子どもたちの中には『佐々木』という名字と、『原爆で妹を亡くした』ことから佐々木禎子さんのお兄さんだと気付く子がいた。そこから驚きの声が教室中に広がった)
「佐々木雅弘さんは何のためにダニエルさんを広島に呼んだのでしょう?」
(「今度こそ謝ってもらうため」「妹に謝ってほしい」「原爆のことを正しく知ってほしい」など、まだ怒りの感情で呼んだという意見と原爆を理解してもらうために呼んだという意見が出た)
「この2人も対話をすることになりました。どんな対話になったでしょう?」
(「アグニュー博士の時と同じようになった」という意見も出たが、「今回はきちんと話し合えた」「理解し合えたのではないか」という意見も出た)
ここで、雅弘さんとダニエルさんが、8月6日の平和記念式典で手を取り合って黙祷をするところの映像を見せる。
そこでの雅弘さんの言葉。
「67年前、敵であった同士が手をつなぐわけですから非常に感慨深いものがありました」
ここでこう問いかける。
「それぞれが、それぞれの人生で大切にしてきた『価値観』があったはずなのに、こうして歩み寄れたのはなぜでしょう?」
(「お互いに平和を望んでいるから」「時が経って憎しみを超えるほど平和への思いが強くなった」「まだお互いが完全に理解し合えているわけではないけど、理解したいと思っているから」といった意見が出た)
ここでダニエルさんの思いに迫る問いを投げかける。
「ダニエルさんは何のために広島を訪れたのでしょう?」
ダニエルさんはテレビのインタビューに対してこう答えた。
「被爆者の方から学び続け、より理解を深めるために広島に来た」
続けて映像を見る。その映像には、涙ながらに当時の様子を語る被爆者の声にじっと耳を傾けるダニエルさんの姿があった。
そしてダニエルさんは、
「悲しかった。どの方の話を聞いても心が痛むものだった」と語り、
「同時に励ましを感じた。私にこの話を母国(アメリカ)に持ち帰り、伝え続けることを許してくれた」とも続けた。
ここで先程の「雅弘さんは何のためにダニエルさんを広島に呼んだのか」という問いに戻る。
実際の映像で確認する。
「彼と一緒になって心の終戦を迎えること。お互いに過去の遺恨を捨てて、若い時代に何をつなげていけるかと思った時に、この思いやりの心こそが彼と私で共有できて、次の若い世代につなげていける大きなステップに上がる心がけだと思った」
「若い世代のみんなは、この言葉をどのように受け取りましたか?」
④平和にとって一番大切なことは?
「『原爆』という一つの事実に対して、それぞれに『思い』があり、様々な考え方がある」
(佐々木禎子さん・佐々木雅弘さん・トルーマン大統領・ダニエルさん・アメリカでの意識調査のグラフ・アグニュー博士と被爆者の2人を同時に提示しながら)
そこで再び「核保有国の核兵器保有数の世界地図」を提示する。
「世界が平和であるために、一番大切なことは何だと思いますか?」
「世界が平和になるために、あなたにできることは何ですか?」
(最後に自分の考えを書き、仲間と交流してこの時間を終える)
4 授業の成果と課題、他教科・他領域とのつながり
①授業の成果と課題
修学旅行に向けての事前学習や、実際に修学旅行で広島を訪れた子どもたちは、原爆はたくさんの人の命や生活を奪ったこと、たった一発で広島の町を焼き尽くしたこと、戦後も放射能により被爆者を苦しめ続けたということを知り、そこにいた人々や原爆によって家族を失った人々の思いを想像することで、原爆は悲惨なものであり、二度と繰り返してはならないことだと強い思いを持ちました。
その修学旅行の後にこの授業を行ったので、アメリカ側からの原爆を肯定する意見は最初は受け入れられない様子でした。しかし、日本、アメリカ双方の様々な人の考えを知っていくうちに、誰が悪いというわけではなく、これらの憎しみや悲しみは全て「戦争」が引き起こしたものだということに気付きました。
そして、「原爆」という一つの事実に対しても、それぞれの立場からのそれぞれの視点があることも理解し、そんな多様な考え方がある中で「核兵器廃絶」や「世界平和」を実現させるためには何が大切なのか、自分にできることは何かを一生懸命考えていました。
これから先、ここで考えたことが、「戦争」「原爆」「平和」への関心をより高めるきっかけとなるのではないかと考えます。
その成果の一つとして、卒業旅行の行き先を自分たちで決める際に、大阪大空襲について学べる施設である「ピースおおさか」が提案され、子どもたちの投票によって選ばれ、足を運ぶことになりました。そこでも、熱心に見学する姿が見られました。
課題としては、最後の問いのテーマが大きく飛躍しすぎたために、抽象的にしか考えることができなかった児童や、そこまでの思考とつなげて考えることができなかった児童がいたことが挙げられます。
授業の展開や考える材料、最後の問いを見直さなければならないと感じました。
②他教科・他領域とのつながり
この授業は6年生の社会科での歴史学習とは密接につながっています。
「戦争と人々の暮らし」の単元で学んだ知識があるからこそ、この授業が成り立つといえます。
この授業は、様々な立場からの、いろいろな視点があることを基に考えるものなので、道徳の「相互理解・寛容」の項目にもあてはまると考えます。
【参考資料】
・広島平和記念資料館総合図録─ヒロシマをつなぐ─(公財)広島平和文化センター
・TBS「“ヒロシマ”… あの時、原爆投下は止められた」(2005年)
・日本テレビ「News ZERO」(2012年)
この連載は、毎週木曜日のAM6:00に公開します。どうぞお楽しみに!