「学習者用デジタル教科書」の現状と課題~どうしたら活用していけるのか~(前編)
令和6年度より、全国全ての小学5年生から中学3年生に、英語の学習者用デジタル教科書が導入されます。一部の小中学校では、「算数・数学」でも導入される予定です。いよいよ本格導入が見えてきた学習者用デジタル教科書。しかしこの先には活用へ向けての課題も横たわっています。
本記事では、教科書会社の担当者や学習者用デジタル教科書を活用している先生方への取材から浮かび上がった現状と課題をもとに、元教科書編集者/元教育ソフト開発者としての筆者の視点から、活用に向けた考察と提言を3回に分けてお届けします。今回はその第1回です。
取材・文/村岡明
目次
デジタル教科書は「指導者用」からスタートした
「デジタル教科書」と聞けば、一般的には子供たちが使う教科書のデジタル版といったイメージが想起されるでしょう。けれども、2000年代に日本で最初に提供された「デジタル教科書」は指導者用でした。児童生徒向けの端末数は限られていましたし、その多くがPC教室にあったことから、学習者向けより指導者向けの方が実用的だったからだと思われます。
とはいえ、当時の指導者用デジタル教科書は、評判がいまひとつでした。インターフェースが分かりにくい、動作も貧弱、ほぼPDFと同じではないか、と評価される製品もありました。
それでも今では機能やコンテンツが充実し、すっかり学校現場に定着しているようです。筆者が取材した先生方も、教科書出版社の担当者も、そう声を揃えていました。実際、令和6年度版からは、教師用指導書にデジタル版を標準で同梱する会社が増えています。もはや「授業で必須のツール」と言ってよい時代になったのかもしれません。
指導者用デジタル教科書が普及したわけ
指導者用デジタル教科書が学校現場でこれほど使われるようになった理由は、これまで行われてきた授業のやり方に沿った製品だった、ということに尽きます。そもそも掛け図など「大きな図を見せる授業」というスタイルは、明治時代にも行われていましたし、昭和時代にはOHP(Over Head Projector)が大流行しました。
指導者用デジタル教科書は、様々な機能があるにせよ、「大きな図を見せる授業」という部分で、多くの先生方がその利用をイメージしやすかったのです。いわゆる一斉指導向けのシステムでした。先生方への端末整備が進むにつれて指導者用デジタル教科書が普及し、大いに利用されるようになったのは必然であったと言えるでしょう。
学習者用デジタル教科書の現在位置
一方で学習者用デジタル教科書はどうでしょうか。コロナ禍をきっかけとして、児童生徒用の学習者用端末は急速に整備され、2023年にはすべての小中学校に外国語のデジタル教科書が無償配布され、希望する自治体にはさらにもう1教科が配布されました。
しかし、筆者が先生方に取材した範囲では、半数以上の学校で利用されていません。利用されている学校でも、英語専科の先生だけが使っている状況で、他の先生は「英語でデジタル教科書が使われているという事実を知らない」という場合がほとんどでした。さらに「すべての学校に英語のデジタル教科書が無償配布された」ということすら知らない先生も多いようです。これはかなりまずい状況でしょう。
この無償配布事業は、学習者用デジタル教科書の本格実施に向け、移行措置的に行われたはずなので、「使われない」以前に「知らない」という状況では、学習者用デジタル教科書の導入はもちろん、本格活用はかなり難しいと言わざるを得ません。
学習者用デジタル教科書はなぜ関心を持たれないのか
国が大規模な予算を付けて学習者用デジタル教科書を配布し、その施策が大手メディアで報じられたのにも関わらず、「知らない」先生が多いという現実。このことは、多くの先生方にとって学習者用デジタル教科書があまり重要でない、さらに言えば関心が無いということを示唆しています。
教科書といえば「主たる教材」であり、法律で使用が義務づけられた教材ですから、授業とは切り離せない存在と言えます。にもかかわらず、デジタル教科書にあまり関心が払われないのはどうしてでしょうか。
筆者は、その理由について次のように考えています。
- ①教科書と先生方が切り離されてしまったこと
- ②「紙の教科書で十分」と考える人が多いこと
- ③メリットが実感できないこと
この3点について、以下説明して参ります。
「教科書と先生方が切り離された」ということ
公立の小中学校では「広域採択制度」といって、自治体内または近隣の自治体と合わせて同じ会社の教科書が採用されています。この採用にあたって、どのような手続きで決定がなされているのか、みなさんはご存じでしょうか。
平成10年くらいまで、多くの自治体で「学校投票制度」が採用されていました。学校ごとに1票を持ち、各教科ごとにどの会社の教科書がよいかを投票し、その数で教科書を決定する制度です。この制度は、決め方が民主的であるばかりでなく、先生方が各教科ごとに数種類の教科書を目にすることで、教材を見る目が養われるというメリットがありました。しかし今、この制度で教科書を決めている自治体はありません。
一方、教科書会社のほうも、教科書採択を巡る不祥事があったことなどを受けて、教科書編集者が普段の授業を見学したり、先生方と教材を巡って自由に話したりすることが制限されるようになりました。こうしたいわば「学校と教科書が遠ざけられた」状況で、授業に適した教材やシステムを開発することができるのか、非常に疑問です。
筆者は、教科書のデジタル化を機会に、各学校が自校で使用する教科書を選ぶ方式にすべきと考えます。デジタル化により、教科書の配本コストはゼロに近づくわけですから、自治体で統一した教科書を使う必然性はありません。なにより、教科書採用を巡る不正がなくなります。
「紙の教科書で十分」と言われる背景
筆者は先生方への取材の中で「デジタル教科書はPDFで十分」という意見を複数いただきました。この意図するところは、正直なところ授業のやり方をできるだけ変えたくないということではないかと推察します。
この気持ちはとてもよく分かります。学校に限らず、多くの組織で新しい業務のやり方を導入しようとする際、しばしばネガティブな反応が生じます。こうした反応は、怠け心からではありません。人には多かれ少なかれ、やり方を変えたくない気持ち、現状維持を望む気持ち、いわば変化を忌避する心理的傾向があるからです。
ですから、学校で学習者用デジタル教科書を使ってもらうためには、そうした気持ちを乗り越えるだけの明確なメリットを実感してもらうことが必要です。そのメリットとは、「不便さを感じない」「明確な便利さがある」ということでしょう。
ではそのようなメリットは、どうしたら打ち出すことができるのでしょうか?
取材・文/村岡明
埼玉大学教育学部卒。国語教科書編集者を経て、ソフトウェア開発会社にて「ジャストスマイル」など教育ソフトを多数企画し、事業部を率いて全国の自治体・学校での採用を実現する。その後、独立して教職員向けのネットマガジンを創刊。ソフトウエア開発、Webサービスの開発は20年以上の経験がある。
「学習者用デジタル教科書」の現状と課題~どうしたら活用していけるのか~(前編)
「学習者用デジタル教科書」の現状と課題~どうしたら活用していけるのか~(中編)
「学習者用デジタル教科書」の現状と課題~どうしたら活用していけるのか~(後編)