ようこうのひとり合宿【玄海東小のキセキ 第12幕】

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玄海東小のキセキ
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教務主任と4年生担任を兼務する北崎正則を補助する役目には、常勤講師の武裕道(たけ・ひろみち)が当たっていました。武が教壇に立つと子供たちが騒ぐことに武は悩みます。しかし、2009年度の2学期になると、子供たちに微妙な変化が現れました。騒ぐことをよしとしない雰囲気が生まれたのです。このクラスの変化についていけないひとりを見過ごせない武は、思いがけない行動に出ました。

朝からからっぽのクラス

「みんなはどうした?」

5月も終わりに近づいた月曜日、1時間目が始まるというのに4年生の教室にほとんど子供の姿が見えない。担任の補助に入っている武裕道(たけ・ひろみち)が、教室に残っている数人の女子たちに子供たちの行方を聞くと、みんなは運動場に行ったきり戻ってこないと言う。

始業式の翌日から毎日、朝の会の時間を利用して全校朝会が行われていた。全校朝会といっても名前ばかりで、校長の訓話などはない。教室から整列して体育館まで行き、校長と挨拶してまた教室に戻るという行為を無言で行う集団行動である。

始業式の式典中に子供たちの私語が止むことはなかった。その後の授業の最中でも勝手気ままにおしゃべりをした。「静かにしなさい」と口で言って聞くはずもないので、無言の集団行動を続けていたのだが、ひと月もすると、それができるようになった。それで、5月から全校朝会は毎週金曜日だけになっていた。

5月に担任が交代し、教務主任の北崎正則が4年生担任を兼務することになった。しかし、その日は出張の北崎に代わって、武が授業を任された。

武は急いで運動場に向かった。

「始業のチャイムが鳴っとろうが。教室に戻りなさい」

運動場に散らばった子供たちに順々にそう声をかける。女子は素直に聞き入れたが、一部の男子はぐずぐずとして武の言うことを聞かない。男子全員を教室に戻したころには、1時間目の終業のチャイムが鳴った。

武は子供たちに事情を聞いた。登校早々、10人の男子が集まると、サッカーのうまい子の呼びかけにより、運動場でサッカーをやることにした。

ところが、試合の途中にある子がサッカーコートからはずれてボールを蹴りはじめたので、単なるボールの争奪戦になり、場外乱闘が起きた。

「つまらんけん、サッカー止めよ」と誰かが言いだしたので、男子たちは気の合う仲良しグループに三々五々に分かれて運動場で遊んでいたというのである。チャイムが鳴っても男子が遊んでいるので、女子もそのまま遊んでいたと話した。ずっと遊んで騒いでいたかっただけということらしい。

武が授業を担当するときには、子供たちが運動場に飛びだしていくという出来事がたびたび起きた。

武は学力向上支援担当の講師である。2009年当時、28歳。福岡県採用の単年度契約の常勤講師として玄海東小学校に配属されていた。大学卒業後、中学校の社会科教員を目指したが受からず、福岡県内にある国立夜須(やす)高原青少年自然の家でレクリエーションなどを指導する指導員をしていた。

そうすると、そこに出向していた教員出身の課長が「きみには子供が懐(なつ)くね」と褒めてくれ、武に小学校の教員になることを勧めた。中学校の社会科教員の採用は数人と狭き門であるのに対して、小学校教員の採用人数が多いという理由もあった。武は通信教育課程を受け、2008年度に小学校教員免許を取得した。

だが、福岡県の小学校教員採用試験の競争倍率も高くて受からない。2008年度の競争倍率は7.30倍、武が玄海東小学校に勤務した2009年度の競争倍率は7.43倍であった。ちなみに、2022年の競争倍率は1.33倍である。

武が担った学力向上支援担当は、担任と連携して学力向上を支援するのが仕事であり、基本的に担任を受け持たない。しかし、武は4年生のクラスを受け持つ副担任のようなポジションに立たされた。

「自分の言うことを聞かんな」

武は苦々しかった。北崎が教壇に立つと、子供たちはおとなしくなるのだが、武が教壇に立つと、元の騒がしい子供たちに戻ってしまう。そんな状況が続いたので、武は北崎との力量の差をまざまざと見せつけられる格好になった。

4年生のクラスが騒がしくなるのには、パターンがあった。誰かが奇声を発したり、突発的な行動をしたりすると、それにすぐ同調する子や、「もっとやれ」と加勢する子が現れる。そうして盛り上がると、教室の外に飛びだしていく子が現れるのである。

そんなとき、「出ていったぞ、追いかけろ!」と号令をかけるのは、クラスの人気者のようこう(仮名)である。彼は背が高く、人懐(ひとなつ)っこい性格をしていた。

ようこうの号令には、タイミングのよさと力があった。歌舞伎役者が見得を切るとき、大向こうから「音羽屋!」などと間のよいかけ声がかかると、会場の熱気が高まるのと似ていた。武が「出ていくな」と制止しても、子供たちはそれを振り切って教室を出ていってしまうのだ。一緒に騒ぐ仲間からすれば、彼は絶好の盛り上げ役だった。

ようこうはみんなと騒ぐことが好きなだけではない。けんかが盛り上がっている最中に「ばかばかしいけん、止めとけ」と仲裁を買ってでることもある。自分が目立つ時や所を直感で見抜く才能があった。

普段の会話をする分には、武とようこうの間に何の問題もなかった。ただ、騒ぎ始めると、ようこうは武の指導を聞かないのである。

ようこうは担任の北崎に勧められて、北崎が監督を務める少年野球チームに加入していたから、北崎には一目置いている。だが、武に対しては「先生のような、先生でないような先生が偉そうにしとう」などと思っているのだろう。ようこうとの信頼関係をどう築こうかと武は悩んだ。

そんな悩みを抱えながら、武が4年生の授業を補助していると、あるとき、クラスの雰囲気が微妙に変わっていることに気づいた。7月に縦割り班の旗を作っていたころである。授業のわからないところを個別に教えている武が、たまたま教室の後ろからクラスの全景を見たときだ。

ちょうど北崎が計算問題を問うていた。1メートルの重さが3キログラムの棒があるとき、6メートルの棒の重さは何キログラムになるかという問題である。

倍の概念がわかっていない子供たちのために、1メートルの重さが3キログラムだから、2メートルならば「3キログラムの2倍」などと教えていく。その延長で、「3×6」という九九の計算をすればよいことに気づいた子供たちが一斉に手を挙げた。

そうすると、北崎に当てられた子が少し言い淀んだ。

「はよ、言え」

誰かが野次を飛ばした。起立した子が答えを言おうとすると、周囲の子供たちが「わーわー」と声を上げて、その子の答えを遮(さえぎ)った。解答を妨害された子は大声で正解を言ったあと、「邪魔すんな」と怒った。

「ああ、おもしろくねえ」

終(しま)いには、ようこうが決め台詞のような言葉を吐いた。

それまで子供たちが言い争う原因といえば、消しゴムのかすを投げた、投げないといった勉強とは関係のない事柄だった。まさか授業中の学習にかかわることで言い争いが起きるとは、と武は目を見張った。

子供たちの関心が授業に向き始めていると武は感じた。

「よかくさ! 真正面から受け止めてやれ」

ようこうのひとり合宿  イラスト

2学期に入った9月中旬、武は4年生の午前中の授業を任された。社会の授業で家庭での防災対策について話し合うために小グループに分けようとすると、女子がグループ分けを嫌がる出来事が起きた。

女子にはふたつの派閥がある。体格の大きな女の子がリーダーになっている派閥とそれに反発する派閥である。体格の大きな女の子とそのグループに反発する派閥に属する女の子が同じグループになったので、ふたりが「あんたとなんで一緒にせないかんと」と互いに嫌がったのだ。

そのとき、ようこうがすかさず「やれー、やれー」とけしかけると、クラスの女子たちが「いい加減にして!」と冷ややかに反応し、いつもの仲間たちは、ようこうの号令に乗ってこなかった。ようこうはいつもと勝手が違う表情を見せた。

「どうした?」

放課後、その場面を目撃した武は、元気がないようこうに声をかけた。

「おまえなんかにわかるか」

ようこうは逃げるようにその場を去った。取りつく島がなかった。

クラスには、騒ぐのは馬鹿馬鹿しいという雰囲気が芽生えているようだった。クラスの潮目は変わったのに、ようこうだけがその変化に取り残されているという構図が武には見えた。

「いつの間にか、浮いとったのか」

武はどうしたらいいか、わからなかった。しかし、ようこうのことを放っておけないと思った。

その日の終業後、武は脇田に、ようこうが自分の指示を聞かなくて困っていることや、クラスで浮きはじめたようこうを心配していることを思い切って相談すると、脇田はこう切りだした。

「ふたりで合宿をしてみんか」

ようこうを自宅に泊めることなど考えもしなかった武は驚いた。しかし、校長がOKと言うならば、ぜひそうさせてほしいと思った。武はそのころまだ独身だった。

「えっ、いいんですか」

「よかくさ! 真正面から受け止めてやれ」

脇田の「真正面」という言葉が武の心にじんと響いた。

武の好きな映画は、アメリカ映画の『いまを生きる』(ピーター・ウィアー監督、1990年日本公開)である。

アメリカの俳優ロビン・ウィリアムズ演じる主人公のジョン・キーティングは英語教師。あるときは「詩の教科書を破り捨てろ」と言い、なぜ詩を学ぶのかを考えさせ、あるときは「机の上に立ってみろ」と言って生徒を立たせ、ものの見方は視点で変わることを教えた。その合間には、自分の好きな詩の一節をつぶやくのだ。「いまを生きろ」と。その型破りな授業に触発された生徒たちが、それぞれ生きるとは何かをつかんでいく物語である。

武が教師として憧れるのが、このキーティングだった。

脇田に相談した翌日の休み時間、武は運動場に行こうとしていたようこうを呼び止め、廊下の片隅で「今度、カレーでも食べにこんか」と自宅に誘った。ようこうは「行く」とだけ答えた。

ようこうの家庭は母親、兄の3人暮らし。両親の離婚後、母親の実家がある宗像に戻っていた。武が母親の了承を得るために電話すると、ようこうの母親は「わかりました。泊めてやってください」とふたつ返事で許した。話をすると、母親もまた息子の元気がないことに気づき、心配していたことがわかった。

10月、大陸からの寒い風が玄海灘を渡ってくる日だった。勤務を終えた武はすでに下校していたようこうをクルマで迎えにいった。ようこうの家から武の自宅まで約15分。武は2階建て鉄骨造りのアパートの2階のひと部屋を借りていた。1、2階とも1DKの2部屋しかないこじんまりとしたアパートである。

自宅に着いた武は、すぐに夕食の支度をした。夕食には、武が作ったカレーを食べた。「辛口だけど、いいか?」「うん」というやりとりが交わされたくらいで、会話は弾まない。武とふたりきりになると、ようこうは借りてきた猫のようである。

「自分は出しゃばりな子供だったんよ」

武は小学生時代のことを思いだしながら、ようこうに自分が小学4年生のときのことを話した。一方的に武がようこうにしゃべりかけたといったほうが正確かもしれない。

クラスで何かをやろうというとき、武は「こうしようよ」と提案するのだが、みんなからは「わがままだ」と受け取られ、ことごとく却下されていた。学級委員長にまっ先に立候補して当選しなかったのも4年生のときである。その後、高学年になって学級委員長になれたのだが、4年生のころは周囲になかなか認められなくて、もやもやとしていた。

当時の武の担任は子供たちとマンツーマンの交換日記をしていた。武は自分の交換日記にその悩みを正直に書いた。そうすると、担任は「その気持ちがわかるよ」と赤ペンでコメントを記し、共感してくれた。それでいっぺんに担任のことが好きになった。

その担任は国語が専門だった。あるとき、クラスで3つのグループに分かれて演劇をすることになり、武は女子が多いグループに入った。

劇の舞台は「あやめが丘学園ゆりクラス」。脚本は女子が書き、主役も女子である。始めは、子供たちがキャッキャッと楽しく遊んでいるのだが、言い争いが起き、主役が泣いてしまう。そこへ妖精が現れて魔法をかけると、主役を泣かせた子が改心して、仲直りをして終わるという物語だった。

「なんだ、このメルヘンチックな芝居は。男の出番がないやんか」と武は思った。武の役はセリフのない「楽しく遊ぶ子供A」である。いつもの武ならば、この与えられたちょい役をやり、ふてくされて終わるところだが、そのときはそうではなかった。

言い争いが起きて主役が泣く場面を、不良の男子が学園の先生に小遣いをせびっている場面に変更し、妖精に魔法をかけられて不良の男子が改心するという話にしようと提案したのである。

そうすると、脚本を書いた女の子が「笑いがとれていいかもしれない」と賛成したので、自分の提案が採用された。その喜び以上に、「腐らずに、よく改善案を出したな!」という担任の褒め言葉がうれしかった。この4年生のときの担任と出会ったことが、武が教員を目指すきっかけになった。

ようこうは武のこんな話をときどき笑いながら聞いていた。話をするだけでなく、ビデオも一緒に観た。武の担任は当時、小学校に1台しかないビデオカメラをよく使い、国語や音楽の授業などを撮影していたので、武はそのビデオをダビングしてもらい、大切にとっていたのである。

音楽の授業風景がテレビ画面に映ると、小学4年生の武がアップになった。恥ずかしげもなくダンスを踊っている。ようこうと武は声を上げて笑った。「ノリノリだろ」と武が言うと、ようこうはこくりと頷(うなず)いた。

漢字を書く授業では、いち早く挙手した武が黒板まで走っていた。黒板に漢字を書いたはいいが、その漢字を使った熟語を言えずにまごまごしている姿が映し出された。そのビデオを観るのは久しぶりだった。

翌朝、武のクルマに乗り、ようこうと武は一緒に登校した。学校玄関で学校下の交差点に向かう脇田とすれ違った。ようこうに「おはよう」と声をかけ、脇田は武に「うまくいったか?」という表情をした。

武自身、うまくいったかどうか、わからなかった。その日以降、ようこうが友達を見るとき、優しい目をすることが増えたような気がするだけである。

小学校の中学年はギャングエイジ(徒党時代)の入口に当たる。これは学童期に見られる特徴のひとつで、徒党時代と訳されるように同性、同世代で閉鎖的な仲間集団を作り、親や教師よりも仲間から強い影響を受ける時期といわれる。

脇田はそれを仲間たちというごく小さな社会と出会う時期と捉えていた。4年生が大きく荒れたのは3年生のときである。2年生のときに抑えつけられていた子供たちが、3年生になってそこにいる子を仲間たちと認識したことで弾けたのではないか。

目の前にいる子供たちは仲間だと認識したとき、それまで無目的に行動していたのが、仲間と同じように行動するという意味のある行動に変化した。誰かが騒げば、釣られて騒ぐという付和雷同的なものであったとしても、ギャングエイジの子供たちにしてみれば、意味のある行動になる。

そうだとすれば、誰か特定の個人を問題視することは見方として筋が悪い。そう考えるからこそ、脇田は学校の荒れは個人のせいではなく、学校全体の問題だと捉えたのである。小学校に入学したときから、子供の発達段階に応じて人とかかわる体験を味わわせておけば、ギャングエイジになって大きく荒れることはなかっただろう。

武がようこうのことで悩んでいることに脇田は気がついていた。そのとき脇田は、武はいい教師になると思った。困惑しているようこうのことが心に引っかかり、見過ごすことができなかったからである。

ようこうにしても、武の誘いに乗った段階で、武を拒否するのでなく、歩み寄る姿勢を見せた。「なんで、ぼくを自宅に泊めるんやろ?」と疑問が湧き、自分を気にかけてくれる武の思いを考えるに違いない。

武はようこうに体当たりでぶつかった。ようこうに腹を割って話してくれる親以外の大人がいただろうか。もちろん、しっかり育ってほしいという武の思いを受け取るも受け取らぬも、ようこう次第である。そうであっても、その可能性に賭けるのが教師たるものではないか。脇田はそう思った。

しかも、武には、国立夜須高原青少年自然の家の指導員をしていた経験がある。宿泊体験は武の得意分野なのだ。

脇田から見ても、その後のようこうからは、武に対して対峙するようなとげとげしい態度が消えたようだった。ようこうが自分勝手な行動を客観視することができたことで、武とようこうの距離が縮まったのかもしれないと脇田は捉えていた。

わがままを飲みこんだようこう

ようこうのひとり合宿  イラスト

ようこうがクラスの子供たちの変化に追いついたと武が思ったのは、2学期終了間近の12月になってからである。

11月の終わり、4年生の子供たちがみんなでゲームをやりたいと言いだした。5月に初めての集会活動としてドッジボールをしたが、ゲームが始まるとすぐにけんかになった。それ以来、クラスでゲームをしていない。

そんな子供たちが久々にゲームに挑戦しようというのである。学級会の時間を任された武は、遊びのなかでルールを遵守する態度を育ててみようと考えた。

具体的には、子供たちに遊びのルールを考えさせ、その遊びを行い、決定したルールの妥当性や遵守できたかどうかを振り返る。それをもとに各自が集団遊びをより充実させる目標を立てて、次の集団遊びに生かそうという試みである。

12月の初め、学級会が開かれた。事前のアンケートで遊びの希望を調査し、その結果を踏まえて、武が「警察と泥棒」、通称「けいどろ」という遊びをすることに決めた。「けいどろ」とは、逃げる泥棒を警察が追いかけて捕まえるという鬼ごっこの一種である。警察の側はゼッケンをつけることにし、ゲームの時間は10分間とした。

議題は「楽しいクラスをみんなでつくるための遊びをしよう」。提案理由は「みんなで遊ぶとけんかが起きるので、みんなが楽しく遊ぶための約束を話し合うため」と設定された。

「ずるをしない」「嘘をつかない」。その話し合いで真っ先に挙がったルールがこれらだった。ほとんどの子供たちが「うん、うん」と頷いた。子供たちは嘘やずるにうんざりしていたのだ。

そのほか、「捕まった人は勝手に逃げない」「走るのが得意な人と得意でない人を区別せず、平等に狙う」「警察に捕まったら、ちゃんと牢屋に行く」「逃げるときにこけた人を捕まえない」などのルールが決められた。

武がうれしかったのは、次の発言だった。

「チームを分けるときは、平等にしようや」

ようこうの発言だった。いつも強い友達と組みたがるようこうがその感情を抑えたと武は思った。

4年生のクラスは総勢33人。8人程度のチームが4つできた。1チームが警察になり、残りの3チームが泥棒になる。

学級会の翌日に集会遊びを実施した。みんなで決めたルールを守ることを武は期待した。子供たちが事後に書いた振り返りを見ると、こうなった。

「嘘をついて騙したり、ずるをしない」というルールを守れたのは28人、守れなかったのは1人、わからないのは4人。

「走るのが得意な人と得意でない人を区別せず、平等に狙う」というルールを守れたのは28人、守れなかったのは2人、わからないのは3人。

ほとんどの子供がルールを守ることができた。「今日の遊びが楽しかったか」という質問には、26人が楽しかったと回答した。楽しいという子供が俄然増えたことに武は手応えを感じた。

「けいどろ」をした翌週には、また学級会を行った。先の振り返りをもとに、みんなが楽しく遊ぶための解決策を話し合い、自分ができることを決めるのである。

実は「けいどろ」をしたとき、捕まえるために足の遅い子ばかりを狙うということが原因で、けんかが起きた。「ずるをするな」「ずるなんかしとらん」と揉めたのである。

この学級会で話し合っていくと、けんかの原因になった子は、足の遅い子ばかりを狙うことをルール違反とは思っていなかったことが判明した。「走るのが得意な人と得意でない人を区別せず、平等に狙う」というルールの意味がよく飲み込めなかったのである。

子供たちのわだかまりが解ければ話は早い。その結果、「ずるをしている人がいたら、怒鳴らずに優しく注意する」「泣いている人がいたら、話を聞いてあげる」「違う遊びがしたいという人がいたら、次にはその遊びをしてあげる」などという解決策が子供たちから提案された。

そうすると芋づる式に、子供たちはサッカーをしてけんかになったのも、サッカーのルールがわからなかった子がいたからではないかと想像を巡らせた。相手の気持ちを思いやることができたから、「怒鳴らずに優しく注意する」などと優しい言葉をクラスメートにかけられるようになったのだ。

武の眼には、子供たちは互いを認めはじめていると映った。

 

ライター/高瀬康志 イラスト/菅原清貴 ※文中の敬称は省略させていただきました。

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