学級崩壊は誰のせいか【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #16】
多様化、複雑化する学校の諸問題を解決するためには、教師一人の個別の対応ではなく、チームとしての対応が必須である。「チーム学校」を構築するために必要な学校管理職のリーダーシップとは何か? 赤坂真二先生が様々な視点から論じます。
第16回は、<学級崩壊は誰のせいか>です。
執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二
目次
うまくいかない先生の周りで起こっていること
今日もある先生からメールが来ました。「学校に行けそうにない」とのことでした。事情を聞くと、毎日のように管理職に叱られるのだそうです。彼女は自分の至らないところを認識しているので指導が不当なものだとは思っていないようです。しかし、だからこそ辛いのだろうと思います。指導が妥当なもので、自分の落ち度を認識していたら、真面目な方ほど非難のベクトルを自分に向けることでしょう。役割とはいえ、未だにこうしたマネジメントの手法をとる方も少なくないようです。
前回は、前年度に崩壊状態になったクラスを異動早々に担任することになって心が折れそうになっている先生のことを書きました。違う事例ですが、クラスがうまくいかないと管理職に指導という名のもとに叱られ続ける方のお話を耳にします。恐らくその管理職はダメージを与えているつもりはなく、「よかれ」と思い、むしろ支援をしているおつもりなのだと思います。
しかし、クラスがうまくいかない状況というのは、研究授業が失敗するのとはわけが違います。教師と子どもたちの人間関係の問題に発展している場合がほとんどですから、当事者は、指導を受ける段階で既に相当に傷付いている可能性があります。そういう場合は、指導よりもまずケアが必要となります。管理職の先生方はよくご存じだろうとは思いますが、敢えて言えば、心を病む先生は子どもに傷付けられて心が折れるわけではありません。力量不足のレッテルが貼られるのではないかと思い込み、自尊感情を損なうことで、そうした状態になるようです。逆に言うと、クラスがしんどい状況になっても同僚や管理職の助言とフォローがあれば、持ちこたえることができるということです。
しかし、うまくいかない先生の周りには次のようなサイクルが回っていることが見て取れます。「うまくいかない状況→指導される→自信を失う→萎縮してうまくいかない→さらに指導される/同僚の目が気になる→さらにうまくいかなくなる」こうした負の循環がグルグルと回り、やがて重篤な事態を迎えます。クラスがうまくいかないと職員室では、その感情の慰撫よりも力量不足が指摘されがちです。さて、本当にその先生だけの責任なのでしょうか。
本当の学級崩壊の理由
ここに興味深い研究があります。須藤康介氏は、学級崩壊の要因を社会学的な視点から実証的に検討しました※1。須藤氏はまず、学級崩壊の要因をミクロ要因(教育実践的な要因)とマクロ要因(社会構造的な要因)に分けました。それぞれにおいて学級崩壊の要因として考えられるいくつかの仮説についてこれまで得られているデータをもとに検証しました。そこでわかったことは、ミクロ要因として立てた仮説、小6プロブレム説(小学校6年生に荒れたクラスが多くなる)、ベテラン教師仮説(ベテランのクラスが荒れる)、学級規模仮説(大規模クラスは秩序の維持が難しく荒れる)、個人要因仮説(子ども・家庭・教師に何らかの問題があってクラスが荒れる)は、全て支持されました※2。一方、マクロ要因として考えられる教師の地位低下仮説、消費社会浸透仮説、情報化社会進展仮説の3つも、全て支持されました※3。
学級崩壊の要因として想定された7つの仮説が全て支持されたわけですが、須藤氏によれば、ミクロ要因は、学級崩壊の問題が顕在化する前から存在しており、「学級崩壊が2000年代に増加した根本的理由とは考えづらい」と言います※4。つまり、思春期に入る高学年の指導が難しいことやベテラン教師と子どものコミュニケーションが難しくなることは、以前から指摘されていました。また、少子化の影響で学級規模は縮小傾向であり、しつけの不十分な家庭、個別支援の必要な子はかねてからいたわけで、さらに、学級崩壊が顕在化した時期の採用試験の倍率は決して低くなく、教師の質が下がったとも考えにくいのです。ミクロ要因は、以前も今も大きく変わらず、これからも存在し続けることでしょう。
むしろ変化したのは、マクロ要因ではなかったかということです。大学進学率の上昇と学級崩壊傾向には相関が見られ、大学進学が大衆化したことが教師の地位を相対的に低下させたようです。また、1990年代はコンビニエンスストアの普及に見られるように消費文化が日本中に浸透していた時期でもあります。コンビニエンスストアの店舗数と学級崩壊傾向には相関が見られました。コンビニエンスストアの増加が、学級崩壊の進行に直接関与しているとは言えませんが、携帯電話の普及や生活の個人化が進んだのも同時期です。学校が教育機関としてよりもサービス機関として扱われるようになった時期でもあります。さらに、この時期にはインターネットが普及しました。タブレットの普及と学級崩壊傾向も相関が見られました。勿論、タブレットの普及が学級崩壊を引き起こしているわけではありません。しかし、インターネットの普及によって、子どもたちよりも教師の方が圧倒的に情報を持っている時代はここで終焉を迎えたと言っていいでしょう。
1990年代は、学校5日制が段階的に導入された時期です。私と同世代の方は、当時の世の中の学校に対する風当たりの強さを感じたことも少なくなかったでしょう。世の中の変化が学校の権威を下げ、教師の指導力を解体させていった時期だったのです。学級崩壊はいわば、世の中の変化によって引き起こされた社会的現象です。それを教師個人の責任に矮小化するのは不適切な捉えであると言えないでしょうか。
※ 1 ~ 4 須藤康介「学級崩壊の社会学 : ミクロ要因とマクロ要因の実証的検討」、明星大学教育学部、明星大学教育学部研究紀要⑸、 47-59、2015
『総合教育技術』2018年7月号より
赤坂真二(あかさか・しんじ)
上越教育大学教職大学院教授
新潟県生まれ。19年間の小学校での学級担任を経て2008年4月より現職。現職教員や大学院生の指導を行う一方で、学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。『スペシャリスト直伝! 学級を最高のチームにする極意』(明治図書出版)など著書多数。