「資質・能力の育成を図る」単元・授業づくりとは?【田村学流 単元づくり・授業づくり#5】
この企画では、元文部科学省視学官であり、現行学習指導要領の策定にも尽力された、國學院大學・田村学教授に、「単元づくり・授業づくり」をテーマとした連載をしていただきます。
※
前回までの記事で、「単元などの内容のまとまり」を通して、資質・能力を育むことはお分かりいただけたと思います。では、めざす資質・能力の育成を図るためには、どのように単元(や授業)をデザインしていけばよいか、お話ししていきましょう。
目次
単元をデザインしていくための見通しは、到達点の見通しと通過点の見通し
以前、説明をしましたが、学習指導要領が資質・能力の育成を目標としたことにより、本当に子供たちにどんな力が付いたのか、その付いた力は確かなものなのかといったことが、これまで以上に問われるようになりました。ですから、子供たちに資質・能力を育んでいけるよう、単元などの内容のまとまりをしっかりデザインできるようになることが必要になります。
単元というのは、一連の問題解決が連続していくものです。ですから、その問題解決を終えたとき、最終的にどのような姿(力が育まれた状態)になってほしいのかという、ゴールとなる到達点を描くことが必要です。そのイメージがないと、めざす到達点に行けず、這い回ってしまう危険性があります。
もう一つ、到達点に辿り着くためには通過点があるわけで、到達点を明確にするとともに、通過点を具体的にするということも必要になってきます。「こういうところに辿り着く必要がある。そのために、具体的にこういうことをしながら、そこに上がっていくのだ」というようなイメージです。
そういうものが用意されていくと、一連の問題解決からなる単元の見通しがつくわけです。つまり、単元をデザインしていくための見通しには二つあって、それはゴールとなる到達点の見通しと、通過点の見通しということになります。この二つの見通しがうまく描けると、単元の構想や構成(デザイン)ができるということです。
到達点の明確化と通過点の具体化という二つの見通しで優先されるべきなのは、言うまでもなく到達点の明確化です。当然のことですが、到達すべきゴールが描けていなければ、途中の通過点を考えることも難しいわけですから、そういう点でもまずゴールを描くことの意味や価値は大きいと思います。
具体的に単元をデザインしていくには、この見通しに沿って、まずゴールを明確に設定します。次に、そのゴールに向かって子供たちが自ら問題解決を行っていくには、どのように学習材・教材と出合うかという導入の工夫を行うとともに、より具体的な展開の構成を考えていくわけです。
若い先生方は「まず教科書通りに日々の授業を行う」ことだけを考えがち
このように、単元デザインのイメージを説明しましたが、実際に自分なりの単元を実践してきたという先生はどれだけいらっしゃるでしょうか。特に若い先生方は、「まず教科書通りに日々の授業を行う」ことだけを考えてきていたかもしれませんね。もちろん、日本の教科書は優れていると思いますし、教科書会社の人が、質の高い教科書を作ってきたと思います。そのため、教科書を前から順番にやっていけば、それなりの質の単元になるようにできていたわけです。
それが逆に、先生方にとって「単元をつくる」「単元をデザインする」という非常に大切な教師力を付ける可能性を低くしていたところがあったかもしれません。そして「教科書通りやっておけばよい」とか、「教科書を教える」という先生も出てきていたのだと思います。
繰り返しになりますが、やはり日本の教科書はよくできていると思いますし、現在の教科書はより質の高いものになってきています。だからこそ、教科書をよく読んで、どんな単元構成になっているのかを理解し、単元を見通して扱うかどうか、今より少し意識して取り組むだけできっと授業は異なるものになるでしょう。さらに子供たちの実態に合わせて、単元を少しリメイクしていくことも考えられます。
それらに加えて、それこそ総合的な学習の時間(以下、総合的な学習)のように、ゼロからつくっていくということを行えば、教師力として必須の単元構成力、単元デザイン力を獲得していく重要な機会になると思います。
授業の型が提示されることは、教師力の育成上は望ましくない
教科書の質とともに、少し以前にはやった、自治体ごとの授業の型にも問題がありました。自治体ごとに授業の型が示されたことで、一定の授業スタイルで同じようなことを繰り返して単元をやっていけばよいと考え、どの地域でも、どの学校でも、どの学習においても同じ単元でよいということになっていった傾向があります。そうなればなるほど、子供たちの実態や自身の特性に合わせて単元をアレンジするとか、工夫するとか、より適切なものとして実施するという要素が減ってしまいます。そのため、残念ながら単元に対する意識が弱まったり、単元全体をプロセスとして見通すという意識が脆弱になったりしてしまうわけです。
例えば、算数・数学の学習で、「最終的にこんな力を付けたいのだけれど、そのためには前半でこの知識は獲得しておいたほうがよい」ということはあり得ると思います。そのため、自治体の型とは異なっても、「前半は意図的に習得場面を用意しよう。しかし、節目のところでは活用しよう。そして、単元の終末では生活場面で使っていくようにしよう」と考えていけば、単元全体が見通せるがゆえに、前半の習得場面の意味も違って捉えられるようになると思います。そのように考えることで、子供の実態に応じて単元をデザインできるようになるし、単元全体を見通すこともできるようになるでしょう。
ちなみに、前半で習得する場面をつくると言いましたが、トータルとして子供たちが意欲的になり、主体的に取り組むほうがよいわけですから、いきなり「暗記しなさい」と指導するわけではありません。教材、学習材との出合いを通して、子供たちが興味をもちながらも、「前半ではこれを身に付けなければいけないよな」というような必要感に応じた習得をしていくということです。
少し話がそれますが、資質・能力の議論になったときに、どうしても知識の習得を軽視するような話が出ることがあると思います。しかし後に活用・発揮する場面があると見通しをもったうえで、「習得しておこう」というのはよいと思います。その活用・発揮の場面が用意されないまま、「暗記しなさい」では、以前のようなただの知識の習得になってしまいます。つまり、後に活用・発揮の場面が用意されているかどうかが、単元をデザインする側にとって重要なのだと思います。
重要なセオリーとまでは言いませんが、単元の構成イメージを頭に描ければ、目の前の子供の実態に即してアレンジをしたり、教材にとってより適切なアレンジをしたりできるわけです。
しかし、授業の型、単元の型が示されると、「単元づくりや授業づくりをやらなくてもいい」という雰囲気が出てきてしまいます。それが、教師の創造性というか、クリエイティブに単元を創っていくという教師力を不確かなものにしていくところがあったのではないかと思います。
もちろん、授業の型のようなものがただマイナス面ばかりだと言うつもりはありません。例えば、子供も先生も、学習の初期段階には型があったほうが学びやすいし、授業がしやすいということはあるでしょう。認知に偏りがある子供にとっても、型に沿って授業が行われるほうが学びやすいという場合もあります。形式的なものにもメリットとデメリットがあるわけです。それを理解し、リスクを承知したうえでメリットを取るのならばよいのだと思います。
しかし先にも触れた通り、一定程度できあがった型が提示されることで、先生方が単元づくりに目を向けなくなるということは、教師力の育成という点で望ましくない状況を生み出していくのではないかと思います。逆に言えば、そのことが以前、説明をした学習指導要領の総則第3「教育課程の実施と学習評価」の1の⑴、各教科等の第3「指導計画の作成と内容の取扱」の1の⑴に、つまりすべての最初に書いてあるわけで、先生方がそれぞれ単元をデザインしていくことの重要性が、しっかり強調されているということでしょう。
そして学習指導要領を基に、自分と目の前の子供たちに合った単元デザインができるようになると、授業は子供たちにとっても、先生自身にとっても、必ずとても楽しいものになるのです。
※
では、次回以降、単元デザインの流れに沿って、ゴールの設定、導入の工夫、展開の構成について説明をしていきます。
単元づくりのゴール設定と導入の工夫とは?【田村学流 単元づくり・授業づくり#6】はこちらです。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之