【指導のパラダイムシフト#20】対応のパラダイムシフト⑥
池田修先生×藤原友和先生のコラボ連載第20回。今回は「学習者主体の授業づくり」における3大対応(評価言)のうち、「振り返りをする」評価言について考えていきます。研究×実践のクロスオーバーから生まれる刺激的な提案の数々は、まさに必読です。
執筆/京都橘大学発達教育学部児童教育学科教授・池田修、北海道函館市立万年橋小学校教諭・藤原友和
池田 修(いけだ・おさむ)1962年東京生まれ。国語科教育法、学級担任論などを担当。元中学校国語科教師。研究テーマは、「国語科を実技教科にしたい」「楽しく授業を経営したい」「作って学ぶ」「遊んで学ぶ」です。ハンモッカー。抹茶書道、ガラス書道家元。琵琶湖の話と料理が得意で、この夏は小鮎釣りにハマってます。
藤原友和(ふじわら・ともかず)1977年北海道函館市生まれ。4年間の中学校勤務を経て小学校に異動。「ファシリテーション・グラフィック」を取り入れた実践研究に取り組む。教職21年目の今年度は、教職大学院で勉強中。教師力BRUSH-UPセミナー、函館市国語教育研究会、同道徳研究会所属。
目次
第20回のテーマは 「振り返りをする」評価言
繰り返しになりますが、授業での対応は、難しい。しかし、この対応を適切に行うことが、学習者主体の授業をつくるときには大事なポイントになる。これが私の仮説です。ここまで、この仮説に基づき、評価言の「1.認める」「2.正誤の判断をする」を身に付けるためにはどのようなレッスンが必要なのかを考えてきました。
今回は、最後の「3.振り返りをする」「評価言を身に付けるレッスン 3」について考えていきましょう。
「教室は間違うところだ」を再考する
「教室は間違うところだ」という言葉があります。確かに、そうだと思います。教室どころか、学校は社会に出る前にたくさん間違えるところです。間違ったり失敗したりしないまま社会に出ては、怖すぎます。また、上手くいったときの喜びも小さくなります。
ただ、私は、この「教室は間違うところだ」という言葉が一人歩きしているように感じています。中途半端に使われているようにも感じています。
「お客様は神様です」
という言葉があります。昭和の偉大な歌手であった、三波春夫さんの有名な言葉です。と書いて、慌てて否定します。これは、三波春夫さんの精神を、レツゴー三匹という漫才トリオがこのように表現して世の中に定着させたものなのです。三波さんの精神は以下のものです*1。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
これがなぜか今は、クレーマーの決め台詞になっていることがあります。
「お客様は、神様なんだから、いいでしょ!」
のように。
何が言いたいのかというと、言葉は一人歩きをすることがあるということです。この「お客様は、神様です」という言葉は、歌い手自身が、お客様を神様と見立てて歌うことが大事だという思いを表しているのにもかかわらず、客の方が、勝手に自分が神様だと名乗ると言うものです。誤用です。ま、そもそも、神様は自分が神だとは名乗らないものだと思うのですが(^^)。
で、「教室は間違うところだ」です。「教室は間違うところだ」から、間違えてもいいというのは、分かります。しかし、間違えたままにしておくことが多くないでしょうか。子供が、間違えたとき「ぶぶー」とか「違います」とか「それは不正解だね」とか「それは合ってはいないね」とかいろいろと言葉を変えて教師が言ったとしても、子供を間違えたままに放置しておくのであれば、同じです。
では、どうするのか。
その問題に対して「正解」をクラスの中から拾うというのでは、この連載の14回目で示した、「正解を拾ってつないでいく」という、がっかりな授業になってしまいます。また、教師が正解を示すことは必要ですが、まだ不十分だと考えています。
この「教室は間違うところだ」と言う言葉は、
「教室は間違うところだ。そして、そこから学びを深めることができたときに、価値を持つ」
と言う後半がセットになっていて、初めて意味を成すと私は考えています。
さて、「3.振り返りをする」の話でした。振り返りとは、「正のフィードバック(通常は、フィードバックと言います)です。また、うまくいかなかった場合は、励ましたり、問題点を確認したりして、課題が達成できるようにしていきます。これがフォローアップ(通常は、フォローと言います)です」と17回で指摘しました。
以下には、「教室は間違うところだ。そして、そこから学びを深めることができたときに、価値を持つ」ことを前提としたフォローアップの例を示してみたいと思います。
間違いから広げ、深める授業
この写真は、ある子供が小学校1年生のときに、漢字テストで間違えたものです。「なま・やさい」が正解ですが、この子供は、違う言葉を書いてしまいました。さて、皆さん、この子供はどのような間違いをしたと思いますか? 連載19でやったように、仮説を立ててください。
考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中考え中
今回も、数行ほど考えてもらいました。
じつは、この子供は「お・やさい」と書いていました*2。この問題では、解答はバツになりました。
なぜ、この子供はこのような間違いをしてしまったのでしょうか。前回のように、子供の理路を考えてみることをしましょう。まず考えられるのは、この子供の家では、野菜のことを「お野菜」と呼んでいるのではないかというものです。いいご家庭ですね。「お野菜」という音が子供の頭に残っていたため、それを書いてしまったというものです。そうだとすれば、『いやあ、丁寧な言葉をおうちで使っているんだね。おうちの「お」と同じだよね。そうだよね、お野菜って言うよね』と子供に対してフォローアップすることができます。
しかし、ここではその先に行こうと思います。この「生・やさい」の「生」に着目する方法です。
大学の授業では、次のような流れで学生たちに授業をしました。
『みんな、この生と言う漢字は、「なま」とも「お」とも読めるんだけれども、じつは他にも読み方があるのを知っていますか?』
「いけ、ショウ、セイ、いきる、うまれる………」
『そう、たくさんありますよね。いくつあると思います?』
「30個ぐらいですか?」
『じつは、158種類あると書かれているHPもありました』*3
「えー!」
『兵庫県で新幹線が止まる駅で「生」を駅名に使っているところは知りませんか?』
「相生(あいおい)です」
『東京の米軍の横田基地がある街は?』
「福生(ふっさ)です」
『というものまで含めると158あるということなんです。多分、一つの漢字が持っている読みとしては、生が一番多いのではないかなあ。生と言う漢字は縁起がいいので、自分の地名にこの漢字を持ってきて当て字にしたんじゃないかなあというのが私の仮説です。ちなみに、死という文字は、読み方は一つしかないんですけどね』
「えー、面白いです」
「で、まあ、これだけ読み方があったら、間違いがあってもしかたがないと思いませんか?」
というように、教師の持っている知識*4で、(それならばこの子供は間違えてもしかたがない)とクラスのメンバーが思うようなフォローアップをします。そして、その先に行きます。
『ちなみに、小学校一年生で習う漢字で読み方の多い漢字は、他に何があるか知っていますか?』
「?」
『それは、「下」(と板書)。さ、読み方がいくつあるか考えましょう』
「えっと、した、………他に何かある(^^)?」*5
と展開しました。
つまり、「生」と言う漢字で読み方を間違えたことをきっかけにして、この漢字には多くの読み方があることが学べ、さらに、「下」についても、読み方が多くあることを理解したことになります。そこまで間違いのフォローアップをしたとき、「教室は間違うところだ。」と言えるのではないでしょうか。そしてそれが意味するところは、「教室は間違うところだ。そして、そこから学びを深めることができたときに、価値を持つ」ということなのだと考えています。
あ、この子供もやっぱり我が子です(^^)。
っと、今回の残りの分量は、250字ですかあ。うーん、これだとレッスンまで書き切れないですねえ。すみません、レッスンまで行かなかったf(^^; 次回は、「評価言を身に付けるレッスン 3」となります。よろしくお願いします。
*1 三波春夫オフィシャルサイト「お客様は神様です」について
*2 私はこの問題そのものに、それこそ問題があると思うのですが、ここでは保留しておきます。
*3 かつては、語学学校の「アイザック」のHPに載っていましたが、今はそのページは見つかりません。
*4 あっさりと書きましたが、じつはここがもの凄く大事です。「生」に読み方が多いと言うことを知らなければ、このフォローアップはできませんから。
*5 漢字辞典
現場教師によるキャッチボール解説 by 藤原友和
間違いを活かす場面でこそ重要な子供同士の関係性
池田先生から原稿が届きました。
確か、一つのテーマにつき6回の連載。だから第3期である今の「対応を考える」は第18回でひと区切りのはず。
あれ、あれ、あれれ?
まぁ、何事も「計画の論理と状況の論理*6というものがありますから、それだけ、対応の技術は難しく、簡単には語りきれないということでしょう!
さて、対応の技術とはまさにこの「状況の論理」、つまり授業の実際に即して、一人一人違った理路を持って臨んでいる「簡単には語りきれない状況」の中で、考え得る子供の理路をいくつも想像してあたってみよ、というのが前回の「トレーニング」でした。
「うまくいかないこと」を当たり前のこととして、教師が子供に否定され(!)ながら「提案」を続けていくと、逆に子供が教師の分かってなさを憐れんでか、教師の使う言葉をモデルとしてか、なかなか分かってくれないことに業を煮やしてかは分かりませんが、とにかく「説明ができるようになっていく」というあり方を教えていただきました。
こうした池田先生の提案を受けて、藤原が思い出した自分の対応ケースを語ったのが前回の流れです。
今回は、「振り返りをする」がテーマです。
池田先生によると、振り返りには次の二つがあるとのことです。
○ 正のフィードバック
○ フォローアップ
そして、後者のフォローアップについて、「教室は間違うところだ*7という有名な言葉を引き合いに出して、「その間違いから学びを引き出してこそ価値を持つ」と後者の価値と運用の難しさを示しています。
ところで、運用が難しいというのは、以下のような原因が考えられます。
① 教材内容・指導方法に関する難しさ
② 子供の理路に関する難しさ
③ 子供同士の関係性による難しさ
以下、順に考えていきます。
①の「教材内容・指導方法に関する難しさ」とは何でしょうか。まず、教えようとする内容について、教師が十分な知識を持てるかということです。そして、正しい知識を持っていたとしても、それを子供の自然な思考の流れに沿うように教え直す指導技術や、新たな学習活動を構想し直す力があるかということです。
池田先生の示してくださった「生」という字の読み方の例だけでも、「あぁ、私にゃ無理」という想いが胸をよぎってしまいました(精進シマス…)。ただ、教材研究が授業にとってとても大切だというのは、教材を深く理解すればするほど、そして指導法の引き出しが多ければ多いほど、子供の素直な反応を掬い、その後の授業展開に生かせる可能性が広がるという意味であるのだと改めて思いました。
②の「子供の理路」については、前回詳しく解説されていましたので割愛します。
そして、③です。これ大事! 声を大にして言いたい! これ大事!!
結局、クラスの中に仲間の間違いを笑ったり、失敗を恐れて発言を恐れたりするような雰囲気があると、「間違いから学びを引き出す」ことはそもそもできないわけです。まぁ、学級担任なら、誰しもが知っていて日々その具現化に心を砕いている「授業と学級経営は両輪」というアレですね。
でも確かに、「間違いから学びを引き出す」ことが日々できていたとしたら、子供は素直に「Aさんが間違ってくれたおかげで自分も分かった」「教科書に書いていることを覚えて分かった気になっていたけれど、本当はこんなに深いんだ」と、間違いの価値に気が付いていくように思いますし、間違いを恐れずに発表したり話し合ったりできるようになりそうです。
言うなれば、学級経営を大切にして子供たちの関係性をよくして「から」授業をつくっていくのではなく、授業を「通して」子供たち同士の関係性を紡ぎ、学級経営をしていくというあり方とは、例えば以上のような姿なのではないかと思います。
それは是非、できるようになりたい! いや、今も全くできないわけではない(つもり)ですが、今よりマシになりたい! ……と思います。そのためのトレーニングは次回でということなので、ますます期待が膨らみます。
「互いが互いの学習材」を理想として
余談ですが、昨年5月に「1人1台端末」を授業で使い始めた我が学級。
いまだに手探りの授業づくりは続いています。しかし、例えば作文なんかを「課題」ではなく、Google classroomの「ストリーム」に投稿するようにしてみたところ、ポジティブな変化がありました。
「こう書けばいいんだ」
「こう書いてしまうと直されるんだな」
「こうやって書くことを決めるといいのか」
「ここはみんな迷うところなんだね」
思うに、「成功した形」を真似るだけでは、このような変化は生まれなかったのではないかと。うまくいった例であろうが、そうでなかろうが、「考え、表現している過程」が誰からでも見える形で進んでいったときに、互いが互いの学習材料となり得るのかもしれません。
間違いを活かすことのできる学級というのは、間違いであるかどうかというよりも、互いの学びの姿がそのまま互いの学びの材料になっている状態にあるのではないかなぁと思う次第です。
次回も楽しみにしています!
*6 国語科授業の名人として名高い野口芳宏先生の言葉。参考:野口芳宏, 2018年,『野口流 どんな子どもの力も伸ばす 全員参加の授業作法』,学陽書房
*7 2004年,『教室はまちがうところだ』蒔田晋治,子どもの未来社
池田修先生×藤原友和先生コラボ連載「指導のパラダイムシフト~斜め上から本質を考える~」ほかの回もチェック⇒
第1回 避難訓練のパラダイムシフト
第2回 忘れ物指導のパラダイムシフト その1
第3回 忘れ物指導のパラダイムシフト その2
第4回 漢字テストのパラダイムシフト その1
第5回 漢字テストのパラダイムシフト その2
第6回 コンテストの表彰のパラダイムシフト
第7回 宿題のパラダイムシフト その1
第8回 宿題のパラダイムシフト その2
第9回 自由研究のパラダイムシフト
第10回 グラフの読み取りのパラダイムシフト その1
第11回 グラフの読み取りのパラダイムシフト その2
第12回 教師の間違い
第13回 夏休み明けのパラダイムシフト
第14回 指名のパラダイムシフト
第15回 対応のパラダイムシフト その1
第16回 対応のパラダイムシフト その2
第17回 対応のパラダイムシフト その3
第18回 対応のパラダイムシフト その4
第19回 対応のパラダイムシフト その5