学芸会が子ども間の問題を解決へと導いた!【信頼関係を築く特別活動】
人と信頼関係をつくること、社会にかかわり、よりよくすること、自分のよさを伸ばしていくこと。特別活動で育てようとしているのはこうした力です。子供たちが今後、社会で生きていく上で必要不可欠なものばかりです。杉田洋・國學院大學教授が推薦する、さまざまな学校の「人間関係形成」「社会参画」「自己実現」を育む実践を取り上げていきます。今回は、八丈町立大賀郷小学校の学芸会の実践を紹介します。
監修/國學院大學教授・杉田洋
目次
島の人間関係が密接 大人の見方が子供たちに影響する
八丈富士の中腹にある展望台に立つと、風が心地いい。眼下には八丈島空港と街並みが広がります。「空港の向こうの、あの辺がうちの学校です」と大野寿久校長が教えてくれました。
八丈町立大賀郷小学校(現在は川畑伊豆海校長、児童数は94人)を訪れたのは、2020年3月。肩書きは当時のままとします。 大賀郷小学校は、全学年単学級の小規模校で、2017年度に特別活動の研究を始め、今年度で4年目に入りました。
今回は、昨年度に6年生担任だった島田聡介教諭の実践を紹介します。そのほか、大野校長、教務主任の伊藤優教諭、坂井ゆりか教諭、加藤茂美養護教諭にお話に加わっていただきました。
まず島の様子を聞きます。学校を取り巻く環境や子供の様子はどのようなものなのでしょうか。本校在籍6年になる伊藤教諭はこう話します。
「島での生活は、いわば職住一体です。本校に赴任したとき、同僚から『プライベートがないこともあるよ』と助言をもらいました。島では、公務員は住民から注目される傾向があります。スーパーで食料を買えば、あの人の夕食は何々だったと話題になることもありますし、公園で子供に出会えば、一緒に遊ぶこともあります。これを楽しむことができるかによって、教員の仕事ぶりが左右されると思います。言葉を換えれば、島の人間関係が密接だということです。島に暮らせばわかることですが、島には代々続く家柄などを上部とするヒエラルキーがあり、そうした大人の見方が子供たちに影響することもあります」
「先生は楽しんでいますか」と伊藤教諭に聞くと、「ええ、島の生活は楽しいです。地域に溶け込んでしまえば、保護者や住民の方に積極的に応援してもらえます」と答えました。
閉鎖的なところは島に限りません。都会であろうと片田舎であろうと、組織や集団につきものです。どこでそれに気づいたのでしょうか。
「学級会で、ある子がサッカーがしたいと言ったら、すぐにサッカーに決まったという場面を見たからです。その子が右と言えば、みんなが右になりました」(島田教諭)
「(ヒエラルキーの)上にいる子がミスキックをしてボールが変な方向に飛んでいくと、ほかの子が拾いにいくといった光景はよく見られました。保育園のときからそういうヒエラルキーができていて、それが当たり前のようになっているのではないかと思います。男子の世界はなかなかヒエラルキーが崩れないですが、女子の世界はそうでもない。何かがあると、トップにいる子が転落するという感じがあって流動的です」(坂井教諭)
学校の児童数が少ないので、5年生担任の坂井教諭に限らず、教職員たちは学校の子供たち全員のことを知っています。
学級会の失敗 それが一番勉強になった
島田教諭は初任で本校に着任しました。3年目(2年生担任)のときに特別活動に出あい、4年目(5年生担任)、5年目(6年生担任)と3年間特別活動に取り組んできました。この3年間で忘れられないのは、失敗した学級会のことだといいます。
5年生担任時、お楽しみ会で何をするかを話し合いました。そのとき、子供たちは「僕はサッカーやりたい」「私は出し物をやりたい」と自分のやりたいことを主張することに終始し、折り合いをつける段階までいきませんでした。
どこかでめあてを確認すればよかった、めあてに沿う意見はどれなのかを子供たちに考えさせるべきだったと反省しました。
すぐに教室の背面の黒板に学級会掲示板を用意することにしました。次回の学級会の議題、めあて、何について話し合うのかという柱をあらかじめ掲示しておくことで、子供たちに周知しておくことにしたのです。
また、本校では学級会ノートを書かせているので、子供たちにはそこにも学級会のめあてを書かせました。
学級会ノートというのは、事前に自分の意見を書いておくためのものです。学級会になじみが薄いのは教員も子供も同じでした。その場で自分の考えを整理して意見を言うことは難しいものでした。学級会で自分の意見をしっかり発表できることを狙ったものです。
「何といっても、私自身が学級会のやり方を十分につかんでいなかったことが失敗の原因です。でも、この失敗は一番勉強になったと思っています。私がめあての重要性に気づき、子供たちにめあてに沿って考えるんだよ、と何度も注意を促したことで、子供たちもそれが習慣づくようになりました」(同教諭)
地域の注目を集める学芸会で互いを認める経験を持つ
学級会の失敗が痛恨事だとすれば、快哉事は何でしょう。彼は2月初めに行われた学芸会の取り組みを挙げました。
題材はライオンキング。ライオンの王子が王になるまでの成長と冒険を描いた有名な作品です。東京都には「多摩島しょ子ども体験塾」というプログラムがあり、5年生のときに学級の子供たち23人中20人がそれに参加し、ミュージカルの『ライオンキング』を観劇していたので、それが題材を選ぶときの決め手になりました。台本はストーリーがつながるようにピックアップし、演技時間が35分から40分の長さになるように教師がまとめました。
シーンごとの演出は子供たちに任せました。ただ任せるのではなく、そこにプロのアーティストに参加してもらいました。東京都には、プロのアーティストと子供たちが10日間のワークショップを行い、舞台作品をつくる「パフォーマンスキッズ・トーキョー」という体験学習制度があり、それを活用しました。ダンサーが派遣され、演出のアドバイスをしてもらいました。
芝居づくりは、このシーンをどうするかという話合いの連続でした。ダンサーは子供たちの練習が終わると、必ず課題を出しました。それに向かって子供たちはシーンの演技を決めていきます。子供たちは体育館の舞台を使わずに観客と同じフロアで演技することを考えていました。その方針で進み、芝居がほぼでき上がるかというころになってダンサーが、
「一番後ろの席から君たちの演技が見えない」
と指摘しました。
「芝居が見えないだって!?」
子供たちは動揺しました。それでは意味がないから構成を変えるしかありません。しかし、多くのシーンがフロアで行われています。なぜフロアにしたかというと、もともと長い話をピックアップしたものなので話の筋はつながっているのですが、場面が飛んでいるのです。フロアの右手である場面をやる間に、フロアの左手で次の場面を準備するというように切り替えられるので、フロアで芝居をすることにしたのです。
話合いの末、
「舞台で演技をしよう。演技が終わるときに幕を閉めて照明を消す。そうすれば、次のシーンがフロアでも演技がつながる」
とすることにして構成を入れ替えました。
別の問題も生じました。
芝居の途中でヌーの群れが登場します。重要な役です。演出上、ヌーの群れは体育館の入り口から登場するのがよいのです。最初、子供たちはダンボールでつくったヌーのお面を持ち、フロアの端をすたすたと歩いていました。しかし、芝居をしている最中に舞台の横から出てきて入り口に歩いていくのは、どうもよくありません。
観客の視線がそれて芝居に集中できないからです。
「ヌーが移動しているように見せたら、どう?」
「ヌーが歩いていくのも演技のうちだよ」
「舞台の前面を階段にしてフロアと行き来できるようにしたらいい」
子供たちは問題が生まれては話し合い、解決していきます。本番までこの勢いが続くかと思っていたら、子供たちに活を入れなければならない事態が起きました。
練習最後の日、子供たちはもうこれで完成したと思い、練習では通り一遍の芝居をして済まそうとしていました。気の緩みが出たと感じました。子供たち全員と円陣を組み、「なぜこの日の練習があると思うか、特にこのシーンを練習する意味は何なのか、よく考えよう」と問いかけました。
ハイエナ役の女の子たちは恥ずかしがり屋で、表現することに抵抗がありました。その役を選んだのも、台詞が少ないからです。人の演技をばかにするくせに、自分たちは大して演技しません。もし自分が思いっきり演技したとき、人からどんな反応をされるかわからないから怖いのです。「表現するのが苦手」などとうそぶいていました。
「ハイエナとメスライオンの演技が本気じゃない。もっと気持ちを込めなさい」とダンサーから指摘を受けていたのに、その役の子たちに変化は見られません。「この子らはまだ自分の力を出し切れていない。もっと自己表現させたい」と教師は思いました。練習の最後に詰めたかったのはそこでした。
「本気でやります」
その役の幾人かが泣き始めました。その決意が一番シャイな子の背中を押しました。
「もう、嫌だわ!」
棒読みになっていた、その怒りを込めて言う台詞に感情がこもったのです。しかも、地団駄を踏むというアクションまでつきました。練習の最後の最後になって、その女の子が「先生、この台詞を変えてもいいですか。もっと自分らしくしたいんです」と言ってきました。
「もう、最悪!」
みんなが「めっちゃ、いいじゃん!」「そのほうが断然いい」と絶賛しました。「温かい雰囲気に包まれている」と島田教諭は感じました。
「クラスの中の気になる子」それが学芸会を行う動機になった
当初の計画では、学芸会の実践は25時間を予定していました。しかし、それで収まるはずがありません。どうして時間をオーバーしても子供に任せようと考えたのでしょうか。
「学芸会をするに当たって、私自身のテーマは他者を認めるということでした。2学期ぐらいから、一人の子が周りから強く当たられているという話が出てきたとき、学芸会はチャンスだと思いました。この先卒業していく子供たちを私は指導できない。この集団のままいったら、この子は危ないと思いました。小学校のうちに他者を認める経験をしておけば、中学、高校と進んでも、他者をいじめたり、ひどく攻撃したりすることはないのではないかと考えたからです。だから、時間をかけてでも、今度の学芸会で互いを認める機会をつくり、それを子供たちに味わわせたいと思いました」(島田教諭)
その子は、学級の中で浮きやすく、空気が読めないというレッテルが貼られていました。友達が嫌がっているのに、それがわからなくてちょっかいを出すから、相手とけんかになったり、みんなが静かにしているときに、突然大きな声で笑い出したりします。保育園のころから、みんなにからかわれ続けていました。『あの笑い声が気になるんだよね』と子供がつぶやくのを聞いたことがあります」と伊藤教諭は言葉を挟みました。
「固定した人間関係がヒエラルキーになっていて、それが覆らない。ヒエラルキーの下にいる子はずっと下のままです。周りはその子をいじめているという意識がない。その子もからかわれていることを楽しいと思ってしまっている。そう扱い、そう扱われることに慣れきった状況を見て、末恐ろしさを感じました。
『ライオンキング』は個人の成長物語です。主人公は自分を認めることができて、ようやく自分の王国に帰ることができました。その過程を子供たちにも感じてほしい、その子にも自尊心を持ってもらいたいと願いました。子供たちは積極的に演技に取り組むその子に対して、『ちゃんと演技ができるんだ』と評価していました。5年生担任から6年生担任に持ち上がることがあれば、ライオンキングをやろうと温めていました」(島田教諭)
「八丈島の小学校で学芸会は、運動会とともに地域の期待が大きく、みんなが楽しみにしている学校行事です。ひと月程度でつくり上げる必要があり、教師主導に陥りがちになります。特別活動で育んだ話合いの力を生して、子供たちにとことん考えさせたというのはなかなかできないことだと思います」(坂井教諭)
子供たちは教師の指示がなくても、自由に休み時間に話し合い、芝居の内容を詰めていきました。そこには、司会者も板書担当もいません。その時々で誰かが中心になってその場を取りしきり、誰かが意見を集約する光景を教師たちは目撃しています。学級の中心にいる子だけが活躍しているのではありませんでした。加藤養護教諭は「島田先生の学級の子で、保健委員会の委員長になれなくて泣いた子がいました。そういう子供が出現して職員室のみんながびっくりしたこともありました。学級会で培われた素地がさまざまな場面に波及したのだと思います」と語ってくれました。子供たちのリーダーシップやフォロワーシップも育ったということでしょう。
大野校長はこう語ります。
「学校の主役は子供です。人権教育や子供の自尊心を育むことを中心にして学校経営をしてきました。子供の自尊心は互いに認め合うことで培われます。それには、自由に意見が言い合える環境、いわば風通しのよさが不可欠です。本校の子供たちの自己肯定感は確実に向上しました。これは特別活動の効果でしょう。担任が受け持つのが学級なら、管理職が受け持つのが職員室です。どちらか一方だけ風通しがいいというわけにはいきません。ともによくなったからこそ、チーム大賀郷の力が発揮されたのだと思います」
取材・文・写真(一部)/高瀬康志
『教育技術 小五小六』2020年10月号より
/