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「包摂」の意味を若手に伝えられていますか?【連載|若手が育つ! センパイのための伴走力トレーニング #5】

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元北海道公立中学校校長

森万喜子

今回のテーマは、「包摂」の意味を学校現場で考えてみませんか? です。
大ベテランの先生でも、実は初心者マークがついてしまうかもしれないこと、それは、若手教員の育成かもしれません。初任者指導担当の経験を持ち、地域の垣根をこえて様々な教員から相談を受けている森万喜子先生は、「若手育成の基本は、その人が持っているよさを客観的な立場から認める、ユニークな点などに興味を持って聞くこと」と言います。どんな教員にも、理想や意欲はあります。それを引き出すためにできることは、上からの「指導」ではなくフラットな「伴走」。それは人手不足の教育現場で教員の離職を防ぐためにも、センパイ教員の大切なスキルです。

連載:若手が育つ! センパイのための伴走力トレーニング バナー

執筆/元北海道公立中学校校長・森 万喜子

1人1台端末と「包摂」

「使うことが目的ではない」

この言葉、どこかで聞いたことありますか? もしくはご自身も言ったこと、ありますか。

学校のどんな場面で使われるかというと……ICTやテクノロジー関連について話すときに耳にすることが多いです。

GIGAスクール構想で児童生徒に1人1台端末が配備されてから、かれこれ5年以上。

どんなものでも5年も使えば大体は使い慣れるもの。でも、学校の中を歩いてみると、あんまりICT活用の匂いというか気配が薄い学校もあります。端末が文房具だったら、空き教室の机の上に端末が無造作に置かれていたり、授業の中で、端末をのぞき込んでいる子、ノートに鉛筆で書いている子、など個々に違う様子が見えたりするものですが、たぶんきっちり扉が閉まった保管庫の中に入っているのかな、という風景……。

で、そんなことを話題にすると、先ほどの言葉「使うことが目的ではない」が聞こえてきたりします。あなたの学校はどうですか? 私たちが日常使用しているスマートフォンのように、使い込まれて、手になじんだそんなツールになっているといいな、と願います。

今日のテーマは、次期学習指導要の中で出ている「包摂」という言葉。今まであまりなじみがない、というか自分ではあまり使うことが無い言葉でした。

意味を調べてみると、「一定の範囲の中に包み込むこと」とあります。「分ける」の逆。すぐに頭に浮かんだのが、木村泰子先生がよくおっしゃっている「風呂敷のような学校」でした。スーツケースのような四角くてかたい箱の中に収まらなくても、風呂敷ならふんわり包み込むことができる。学校はそんな場所。分別は分断に、そして排除につながることはよくある。包摂はつまりインクルージョン。

学校の中で、インクルーシブ教育を行うということは、様々な困難、特性、個性をもった子どもたちも誰もが学びに苦労なくアクセスすること。病院のベッドの上で一日の大半を過ごす子やシックスクール等の強いアレルギー症状が出るので校舎に入れないという子、登校が不安でつらい子、文字の認識に困難を抱える子、こだわりが強い、音に対して敏感な子、など様々な特性を持った子どもたちには教室での一斉授業は難しい。そんな子どもたちの学びやすさを考えたとき、「使うことが目的ではない」という言葉で1人1台端末を活用しないという選択ができるかしら、と。

学びやすさを保障するために 

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