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古い価値観の型をアップデート、新たな価値観を創り出す【連載|若手が育つ! センパイのための伴走力トレーニング #4】

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元北海道公立中学校校長

森万喜子
若手に佳き風を吹かせるセンパイになろうよ!【連載|若手が育つ! センパイのための伴走力トレーニング #4】バナー

大ベテランの先生でも、実は初心者マークがついてしまうかもしれないこと、それは、若手教員の育成かもしれません。初任者指導担当の経験を持ち、地域の垣根をこえて様々な教員から相談を受けている森万喜子先生は、「若手育成の基本は、その人が持っているよさを客観的な立場から認める、ユニークな点などに興味を持って聞くこと」と言います。どんな教員にも、理想や意欲はあります。それを引き出すためにできることは、上からの「指導」ではなくフラットな「伴走」。それは人手不足の教育現場で教員の離職を防ぐためにも、センパイ教員の大切なスキルです。

執筆/元北海道公立中学校校長・森 万喜子

ギリシャ神話が私たちに教えてくれること

神話や昔話には残酷で怖い話がいくつもあるものですが、そのうちのひとつ、ギリシャ神話には「プロクルステスの寝台」という話があります。プロクルステスは盗賊で、目の前を通る旅人に「疲れているんだろう。休んでいきなさい」と声をかけます。旅人を自分の隠れ家に連れて行って鉄の寝台に誘うのですが、それは旅人の体格には合わないサイズで旅人の体が寝台からはみ出したらその部分を切り落とし、逆に寝台の長さより小柄な旅人だったら、寝台の長さに合うまで引き延ばす拷問にかけ殺してしまいます。プロクルステスはその後、アテナイの王テセウスによって退治されるのですが、「無理やりの押し付け」や「容赦ない強制」という意味で「プロクルステスの寝台」という言葉が使われることがあります。

この寓話は教育の場において、語られることが多いので聞いたことがある方も多いでしょう。「こうでなくてはならない」「自分の価値観に相手を合わせようとする」「今はつらいかもしれないけど将来の自立に向けては必要な痛み」と考えて指導に当たりがちな思考や行動に警鐘を鳴らす意味で用いられます。東京都の特別支援学校主任教諭を務めておられる川上康則先生もお書きになっておられます※。

今、若い先生たちはどんなことに苦しんでいる?

さて、秋を迎え、学校も折り返し点を過ぎた10月、この神話を持ち出したのには意図があります。

今日のテーマは「価値観」です。

若い先生方、学校の中で「自分の理想とする学校って、先生ってこんなのだったんだろうか」と自分の理想と現実のずれに苦しんでいないでしょうか。

学びというのは新しい自分に自分を書き換えること。学ぶことは新しい自分に生まれかわること、古い自分には戻れない。

大学や大学院で最新の教育について学び、理想を抱いて学校現場に来た若い人たち、他の業種から転職して教員になった人たちが学校の現実に苦しんでいる場面を幾度も目にしました。

まずは児童生徒に対する苦労、幼い子どもは「自然」そのもの。美しい夕焼け、大海原、木々の緑……と美しい自然も時に災害をもたらし、私たちを苦しめます。幼い子どもたちは、意に染まないことがあると、大きな声で泣きわめくし、大人のコントロールが利かない行動をとります。でも、根気よく教育することで、時期の違いはあれ、ソーシャライズされていく。学校生活を送るための基本的行動が身についていない、相手へのリスペクトとかマナーやソーシャルスキルが身についていない児童生徒にも、根気よく寄り添い、言って聞かせている先生方の姿が目に浮かびます。さらに保護者の方にも様々な事情を抱えていらっしゃる方や価値観の方もいらっしゃるので、大昔のように「学校の先生のご指導には従います」なんてことはありません。教員の指導に対して苦情や苦言を呈されたり、承服しかねない要求をされたりすることも時にはあるでしょう。

そして、学校の中、職員室での苦労が実はいちばん大きくないでしょうか(ないならそれに越したことはないんですが)。

職員室の中には昔も今も「同調圧力」が存在しています。私が若い頃は「一枚岩で」という言葉が何度も言われました。つまり、児童生徒を指導する場合には、どの教員も同じ対応で、差がなく「平等に」対応すること。子どもたちの個々の事情はあったとしても、大事なのは「ダメなものはダメ」と貫き通すこと。そして学校の「ダメなもの」は時に、とっても細かくて厳しかったことがありました。校則や学習の約束事。ただ、担任をしていると分かるのです。忘れ物をしてしまう子の中には、親御さんが学用品の準備ができない事情がある家庭もある。学校が発行したプリント類を読んで記入して提出するのが大変なご家庭もある。もちろん特性を持っている子どもたちも多い。みんなと同じ、とか「普通は」という言葉で押し通すなんて無理。

合唱の練習で起きた「正しさ」の対立

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