LGBTQ+当事者・鈴木茂義先生インタビュー|先生の「ふつう」が、子供たちを苦しめていませんか?

ゲイ当事者であることをオープンにしつつ、小学校講師として教壇に立つ鈴木茂義先生。その初の著書『「ふつう」に心がざわつく子どもたち』が、今夏、刊行されました。刊行を記念し、「学級内にいる性的マイノリティの子供たちに対する合理的配慮」をテーマに、インタビュー取材にご協力いただきました。
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自分の思っている「ふつう」を疑おう
鈴木茂義先生は、小学1年生のときに、同性が好きかもしれないという気持ちに初めて気付いたそう。その後、「好きな男の子も、好きな女の子もいる」という性的指向の揺らぎが続いたものの、大学2年生のときにゲイであることを自認します。2016年、カミングアウトフォトプロジェクト「OUT IN JAPAN」で、小学校教員でありゲイの当事者であることを社会的にオープンにしました。
現在は、公立小学校で非常勤講師をしながら、「性の多様性を入り口にした」教員向けの人権研修や、子供たちへの出張授業も行っています。
――今の学級には、セクシュアルマイノリティの子、貧困状態にある子、外国にルーツのある子、障害を抱えている子や病気の子など、さまざまなマイノリティ属性をもった多様な子供がいます。そうした実状を踏まえて、学級担任がいちばん気を付けなければならないことは何だとお考えですか。
鈴木 これまでの「ふつう」が通用しなくなっている場面が増えています。ですから、自分の思っている「ふつう」は「ふつう」ではないかもしれないという意識をもっておくこと。
そして、そういう意識を、子供たち一人一人に対しても、学校のあり方に対しても、保護者や地域に対しても、もっておかなければならないのだと思います。
それから、マイノリティの子供に対して、つい脆弱さや弱み、困難さばかりに目を向けがちです。そうではなく、その子のよさや強みが生かされることで、その子にとっての学校の中での安心・安全や、豊かな学びが保障されるのではないでしょうか。
――先日、刊行されたご著書『「ふつう」に心がざわつく子どもたち』の中でも、「ふつう」って何だろう? ということを掘り下げていましたね。
「ふつう」の人はこれまで、「ふつうはこうだよね」と言えば、大きな主語でまとめることができて、余計なことを考えなくて済んだ、つまり、「ふつう」の人には特権があったという考え方は、興味深かったです。
鈴木 私のことを考えても、性的指向についてはマイノリティですが、日本という社会で生きている中では、(出生時に割り当てられた性と性自認が一致しないという)トランスジェンダーではないシスジェンダーの男性で、教員をしていて、経済的にも自立しているという面から見ればマジョリティであって、特権をもっていると思っています。
――なるほど、誰でもどの視点で考えるかによって、マジョリティにもマイノリティにもなり得るということですね。
鈴木 そうなんです。教員である私も、LGBTQ+をはじめとしたマイノリティと言われる子供たちも、それぞれいろいろなタグをもっているので、1つのタグだけでは判断できないことが増えているんですよね。
――鈴木先生は大学2年生の頃にゲイを自認されたそうですが、あれこれ悩んでいた子供時代に、「あなたは別に変じゃないよ。今は周りに言えないかもしれないけれど、もうちょっとしたら他に仲間ができるから安心して」のような言葉がほしかった、とご著書に書かれていますね。悩んでいた子供時代にどんなサポートがあればよかったと思いますか?
鈴木 これは間違いなく、サードプレイス。家でもなく学校でもない、第3の居場所ですね。ただ居場所があればいいというわけではなく、安心・安全な居場所であることが大事です。
東京大学先端科学技術研究センター(准教授)の熊谷晋一郎先生が「自立とは依存先を増やすこと」とおっしゃっていますが、私の子供の頃は、今と比べて圧倒的に依存先が少なかった。そして、性のことで揺れ動いていた私は、他の子と比べて、さらに依存先が少なかったと思います。
現在は、いろいろなサードプレイスが増えました。私も今、あるNPOの理事(NPO法人プライドハウス東京)をやっているのですが、(そこでの活動を通して)自分がほしかった安心・安全な居場所を提供することができているので、当時の自分を救ってあげているような気持ちにもなっています。

鈴木茂義(すずき・しげよし)●公立小学校非常勤講師。「性の多様性を入り口にした」教員向けの人権研修や、子供たちへの出張授業も行っている。NPO法人プライドハウス東京・理事。上智大学基盤教育センター非常勤講師(半期)。2024年7月に、初となる著書(林 真未との共著)『「ふつう」に心がざわつく子どもたち』(明治図書出版)を上梓。通称:シゲ先生。