【相談募集中】一切話すことのできない重度の知的障がい児の担任となりました
異動早々、重度の知的障がい児の担任を受け持つことになった30代の女性教諭から「みん教相談室」に相談が寄せられました。希望とは違う配置にモチベーションが上がらず、この1年間をどんな心持ちで過ごせばよいかわからないという内容です。これを受けて、特別支援学級を担当している東京都公立小学校教諭・渥美卓哉先生がアドバイスをしたその内容をシェアします。
目次
Q.異動して重度の知的障がい児の担任となり、モチベーションが上がりません
異動して、一切話すことのできない重度の知的障がい児の担任となりました。人事は校長が決めていて、「お願いします」と強い調子で言われて、言い返すことはできませんでした。その日から、学級開きや授業開きの動画や書籍、話題にふれただけで辛い気持ちになります。
さらに、知り合いたちの「何をやらかしてそこになった?」「盛大に担任外されたね」等の言葉にも傷つくし、自分自身も「なぜ?」の気持ちしかありません。この長い1年間、どのようなマインドで仕事をしていけばいいのか、暗澹たる気持ちです。どう心がけていけばよいのかを教えていただきたいです。ちなみに、特別支援教育の研究を深めたり、特別支援学校に異動したりすることは全く考えていません。
(さくら先生・30代女性・特別支援学級担当)
A.特別支援学級での学びは、通常学級での指導や支援にもつながります
希望していないところへの異動というのは、心に大きな負担がかかります。それでも、さくら先生は放り出すことなく教師を続けています。そこにはさくら先生の教育に対する強い思いを感じます。そして、それは素晴らしいことだと思います。この先、さくら先生は通常級に戻ることをお考えでしょう。私はそれでいいと思います。そのために特別支援学級でできることはあります。今は気持ちが落ち込んでいるかもしれませんが、今回の相談を通して何か少しでも得るものがあれば幸いです。
私はさくら先生にお会いしていないので、ご相談の言葉からしか、さくら先生に思いを馳せることができないのですが、通常級も経験していますので、さくら先生の心に寄り添って私の考えをお伝えしていけたらと思います。
まず、さくら先生の現状を考えてみようと思います。暗澹たる気持ちで苦しんでいて、ちょっとモチベーションが上がらない、そんなモヤモヤを、解像度を上げて捉えてみたいと思います。
さくら先生が担当している児童は、重度の知的障がいで、「いっさい話すことができない」とのことでした。もしかするとさくら先生は子どもと言葉によるコミュニケーションが取れないというところに、心の重苦しさを感じているのではないかと感じました。確かに通常級では、教師は子どもにたくさん話しかけ、たくさん話を聞き、その関係の中で様々な問題や課題を共に解決していく。そんなところに醍醐味があると思います。さくら先生は、今まで子どもたちと、そんな日々を過ごしてきたのだろうと思います。
また、学級開きや授業開きの動画や書籍を手に取るさくら先生ですから、教育にとても熱心な方なのだと思います。学級という集団をまとめ上げ、さらに、子ども一人一人のやりがいや満足感を生み出そうと頑張ってきたのだと思います。それ故に、今は自分の力を発揮できないと感じると思いますし、異動についての周りの言葉によってさらに心を痛めてしまっているのではないでしょうか。
それでも、私は教育にとても熱心であるさくら先生であるからこそ、今の状況も糧にしていけるのではないかと思います。そして、その糧は教師として、そして教育の専門家としての力量の幅を広げることになると私は考えています。
とはいえ、そんな綺麗事を並べるだけでは響かないとも思うので、この1年間を、どのようなマインドで過ごし、暗澹たる気持ちを変えていけるのか、そのマインドセットについて、具体的に考えてみましょう。
子どもに対する深い洞察力を身に付けられると考えてみる
子どもが20人、30人以上いる通常級の学級経営をしていて、成績の所見を書くときに、「あれ、この子の所見、何を書こう……」と、悩んでしまうことはないでしょうか。もちろんそのようなときは学習の記録を見たり、係や当番活動などを思い出したりして何とか書き上げると思いますが、30人前後の子どもたちを相手にしていると、一人一人を見切れない部分が必ず出てきます。
また、忙しい中での子どもたちとの関わり合いは、学級や個々の顕在化した問題に目が行きがちであり、それらを中心に対応してしまうことが多いでしょう。学級という集団をまとめていくためには、全体にアプローチするマスの対応と、迅速に対応しなければならないシングルの対応、両方が必要になります。
これらの対応をしていると、通常級の担任はいかにして学習集団を形成するかという視点をもつようになり、個々の問題の芽を摘むための予防的な対策をするにようになりがちです。それにより、子ども一人一人の個人内の成長を見取る機会がどうしても少なくなってしまいます。
それに対し、特別支援学級では、集団ではなく、徹底的に個を見ていきます。集団の伸びではなく、個の伸びを見ていきます。それにより、教師は子ども一人一人が、個人内でどのような成長があるのかを常に見ていくことになります。また、数人の小集団ですので、個と個がどのように関わり合い、影響し合っているのか、ということも丁寧に見取ることができます。ただ、さくら先生は重度の知的障がいでコミュニケーションがとれない子どもはどうするのかと感じるかもしれません。では、どのようにその子に向き合えばいいか、具体的な例で考えてみたいと思います。
私も、重度の知的障がいの子を担任してきました。発語が3歳前後くらいで、言語でのコミュニケーションが難しい子がいました。それでも、その子にはうれしいことや、嫌なこと、頑張りたいことや達成感など様々なことが日常に溢れていました。よく「障がいは心にはない」と言われますが、それは本当にそうなのだと、私は特別支援学級を経験して実感しました。
例えば、ある日その子が友達と廊下ですれ違う時に、腕を伸ばしてぶつけてしまうことが続きました。最初は、なぜそんなことをするのかと注意してしまいました。善悪の判断はある程度あったのですが、本人に悪気はなさそうでした。よくよく考えると、最近友達に自分から声をかけ関わろうとする姿が多くなっていたことに気付きました。
そこで、私はその子が友達と関わりたい気持ちから出てきた行動なのだとわかりました。周囲に関心が向くようになってきたという、その子の成長があったのだと認識を改めました。その後、友達との関わり方をその都度丁寧に確認していきました。
どんな子にも、その子なりの成長があります。特別支援学級では個人内にあるそんな変容を見つけられる力をつけていけると思います。特別支援学級で個を見取り、その変容に気付く洞察力を身に付け、それが自然とできるようになれば、さくら先生が通常級に戻った時、学級経営、そして授業は他の先生たちと違いが出てくると思います。
子どもの発達について学び直す機会と考えてみる
教育を行う上で、そして教育の専門家として、子どもの発達段階を踏まえることはとても大切です。では、さくら先生は通常級の担任をしているとき、子どもたちの発達段階をどのように捉えていたでしょうか。ちょっと思い出してみてください。
「低学年は自己中心的なところがある」
「中学年はギャングエイジになり、男女でかたまるようになる」
「高学年は思春期に近づき、精神的に不安定さが出てくる」
他にも、「10歳の壁」であったり、小4の学習から抽象的な内容が増えてきたりして、学習の工夫をする必要がある、など様々思いつくと思います。
通常級では、これらの「年齢」「学年」で区切った発達段階を、そのまま集団にあてはめて考えることが多いと思います。「低学年だから……」「6年生だから……」といった感じでしょうか。これは定型発達の子どもたちという前提があるからだと思います。しかし、実際は、子ども一人一人で発達段階は大きく違います。早生まれの子を考慮すればさらに違いは出てくるでしょう。それでも、通常級の場合は年齢相応と考えてまとめてしまうことが多いと感じます。人数が多いので仕方ない部分もあるでしょう。
しかし、特別支援学級では、年齢と発達段階は一致しません。そして、能力にでこぼこがあるのも特徴的です。そうすると、「6年生だから……」という見方だけでは対応できません。その子の能力を細分化して捉え、何ができて何が苦手か、その個々の発達を見極めて支援していかなければなりません。特別支援学級で教育を行っていると、必然的に子どもをマクロではなくミクロの視点でとらえるようになります。これにより、教師は子ども個々の発達段階を大まかにではなく、細かく捉えることができるようになります。
また、特別支援学級の児童には、幼児期の発達段階について考慮しなければならないこともあります。他にも身体の発達、運動の発達、言語の発達なども教師は自然と捉えることになります。
さくら先生は特別支援教育の研究はしないとのことですが、子どもたちと関わっているだけでも、教師であれば気付いていくことだと思います。そして、これらの視点は、通常級の子どもを見ていくときにも大きな助けになると思います。また、私はこのような見方ができる教師は、特に保護者との面談のときには専門家としての信頼を得やすいと感じます。保護者はわが子の育ちに一番の関心があります。学習面とともに、わが子の発達についてアドバイスができる教師は、保護者が聞く耳をもってくれ、信頼されるようになると感じます。
特別支援学級で、子どもの発達について改めて学び直すことは、通常学級での指導・支援にも必ずつながる。そんなマインドで仕事をしていけたらいいのではないかと思います。通常学級での指導力をつけるための研修と考えてもかまいません。そんなマインドセットでもいいと思います。
ただ、この一年間、担当する子どもたちに真摯に向き合うことは、教師として、教育者として持ち続けてほしいと感じます。
最後に
令和4年3月31日、文科省は「特別支援教育を担う教師の育成、採用、研修等に係る方策について」という通知を出しました。その中で、「全ての新規採用職員が概ね10年以内に特別支援教育を複数年経験することとなるよう人事上の措置を講ずるよう努めること」とあります。
これからは特別支援教育の視点が必須となってくることを示唆しており、これから育ってくる若い教員は特別支援教育の視点をもっていることが当たり前となります。それを見据えると、さくら先生は、いまピンチではなく、チャンスなのではないかと思うのです。
さらに、これからの教育は「個別最適な学びと協働的な学び」を行うことが求められています。私はこれにあたり、子ども個々を見取る力がこれまで以上に必要になってくると考えています。奈須正裕(2021)は「その子ならではの学ぼうとしている姿」を見つけることの大切さを述べています。また、これからは一斉指導ではなく、教師はその子どもの学ぼうとしている姿を捉え「その意味をその子に即して考察し、まずは寄り添い、時に必要な支援を行っていけばよい」と述べています。
特別支援教育の視点は、これからの教師としての在り方にも関わってくることです。さくら先生が今迎えているチャンスを活かして、教師としてさらに成長し、活躍することを願っています。
【参考文献・サイト】
・文科省『有識者インタビュー』
・文科省『特別支援教育を担う、教師の育成、採用、研修等に係る方策について(通知)』
・奈須正裕(2021)『個別最適化な学びと協働的な学び』p120 東洋館出版社
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