教師が自分の姿を少しずつ消していくことが、子供の自立にとって重要 【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第27回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」

前回は、三田大樹先生(西東京市教育委員会)が、総合的な学習の時間(以下、総合学習)の実施前の研究校に異動になり、総合学習の実践に力を入れていったことや、区や都の研究員となって理論的にも学んだことなどを紹介しました。今回は、NHK for Schoolでも実践を見ることができる、新宿区の小学校で実践の質を高めながら学んでいったことを中心に紹介します。

三田大樹主幹

教え込むような方法とは異なる方法で子供たちを変えていこう

何度か研究員を経験させていただき、理論を学ぶことの大切さを強く感じましたが、改めて実践の重要性を再認識したのが、3校目に異動になった新宿区の小学校でのことです。

この学校は、歌舞伎町と大久保の喧騒から一歩入ったところにあり、児童の半数以上が家族に外国出身の方がいて、日本語を学ぶための日本語学級も設置されている学校でした。初めて学区を訪れた際には、多くの人が行き交い、多様な国の言語が飛び交うまちの風景に思わず、「こんな場所に学校があるのか」と声に出してしまったのを覚えています。引継ぎの際も、子供たちの実態や保護者との関わりについて、生活スタイルや文化の違いから、これまで通りの考え方や方法をリセットしなければならないとアドバイスをいただきました。私の異動を知った所属研究会の校長先生からも、「思うように総合学習をやるのはむずかしいだろうね」と言われるほどでした。ですから、正直、この学校で自分がしたい教育実践ができるのだろうかと弱気になったものです。

しかし、着任早々マイナスイメージにどっぷりつかり、逃げることなく向き合ったことで私自身腹が決まったように思います。言い訳ができる状況に甘えないよう覚悟を決めたことで、不思議と良いところ、おもしろいところに意識が向くようになっていきました。

最初に担任したのは4年生でした。言葉の育ちも含めて、それまで担任してきた子供たちよりも少し幼い印象を受けましたが、日本語が分かる子が分からない友達に自然に通訳して教えるなど、孤立させない温かい関係性が醸成されていることにとても感心しました。子供たち自身は一人一人の違いを意識すらしておらず、分け隔てなく過ごせるコミュニケーション力の高さを実感しましたし、教師側の負の固定観念にこそ違和感をもつようになりました。初任のときから、「期待を込めて関われば変わる」と思ってきたわけですから、教え込むような方法とは異なる方法で子供たちを伸ばしていこうと思ったのです。

多様な国にルーツをもつ子供同士が、対話し、思考を深めている三田学級の様子。

年度当初、体育主任を任された私は、時間までにきちんと並んで整列すること、話を最後まで聞くことなどを目標に、全校に対して集団行動の指導をする機会がありました。そこで、子供たちに頭ごなしに注意せずともできるようにする方法はないかを考えたのです。それを示せれば、教師側が抱く固定観念を崩せるきっかけとなると考えました。後輩(若手教員)も徐々に増え始めていた時代ですので、力で子供たちを従わせるような強引な指導に走ってほしくないという思いもありました。

繰り返し言っても子供たちが上手に整列できないのは、子供自身がその意味や価値を見出せないことと、指導者側が求める上手な並び方のイメージを子供たちと共有できていないことが原因だと考え、一度も注意することなく、短時間で、整列できるようにする方法を考えようと、職員室にいた若い先生3人を誘ったのです。当日は、3人の先生が実際に体育館の舞台に上がり、ユーモアたっぷりに、それでいてメリハリのある手本を見せました。こうすると話がよく聞けて、短時間で終わる良さも子供たち自らが気付くように働きかけました。指示は極力少なくし、最後は笑顔とともに価値付けて、あっという間の数分間でした。言葉による指導に頼るのではなく、視覚的な支援を取り入れ理解しやすくしたのです。

私たちは「教師はこうあるべき」「指導はこうあるものだ」という既成概念にとらわれています。どうやったら分かるのか、そのために何をすればよいのかを、教師として誠実に考えることの大切さに改めて気付くことができました。

「学びの本質って何だろう」

私が着任したとき、学級担任の多くの間では、子供たちに「文字や語彙を増やして、言葉をしっかり獲得させなければいけない」「基礎・基本を徹底して教えることが重要」という考えが主流だったと思います。もっともなことですが、子供たち一人一人が主体的に学ぼうとしなければ、学校生活そのものに魅力を感じられず、身に付けた知識や技能も時間とともに消えていくことが子供たちの実際の姿からも見て取れました。だからこそ、子供たちの学ぶ意欲や主体性に光を当てる指導についても議論されるべきだと考えていました。

当時の校長先生は、私と同時に異動してこられた方で、こうした私の問題意識や考え方についても広い心で受け止めてくださいました。研究推進委員だった私は、1年をかけて校内の先生方と、子供たちが言葉や新たな認識を獲得するのは、(一方的な指導ではなく)実感の伴ったものや、楽しいと思う感覚の中でなされるのが大事ではないかという協議を重ねました。子供たちの気持ちに寄り添った学びに取り組むことで、子供自身の生活も変わっていくということが分かってきたことも、学校としての指導の転換を図る後押しにつながったと思います。

この間、私自身、地域を巻き込んだ総合学習を推し進め、こうした指導を通して育まれる子供の姿をできるだけ校内の教員、とりわけ、後輩たちがイメージできるよう努めました。自分の専門性を発揮しながら、子供たちは意欲が高まればいろんなことを進んで学び、できることが増えることを実際に見てもらい、若い先生方なりに指導のイメージをもってほしいと考えていました。実際に、総合学習を軸にしながら子供の気持ちに寄り添い、学びたいという気持ちを喚起させることで、子供たちの心も学び(総合学習だけでなく各教科等)も安定しました。その陰には、こうした教育に期待し、地域の未来を担う子供たちの成長をともに願う地域の方々からの子供たちへの期待と励まし、教育活動へのご支援・ご協力があったことも影響していると思います。

そして着任して2年目から、生活科・総合学習を校内研究として位置付け、田村学先生(当時、文部科学省教科調査官)を講師に、「生きて働く言葉の力の育成」をテーマとし、ご指導いただくことになったのです。その間、校内の先生方と真剣に語り合い、ともに実践を重ねていきながら「学びの本質って何だろう」と考えていきました。※注

真剣にディベートをする子供たち。三田先生は必要なとき以外は子供たちに任せ、議論の推移を見守っている。

田村先生のご指導の下、学級の学びを機械的な作業の場にせず、常に創造的な場にしていくということを意識し実践するようになったのも、「学びの本質」に意識を向けたことによる具体の現われです。私は5、6年を繰り返し担任する中で、子供たちが自由で多様な考えを言える環境をデザインし、誰もが物事をクリエイティブに発想できるように働きかけ、それによって新たな価値やアイデアが生み出せる学級・学年をめざしていました。それは総合学習特有のスタンスではなく、国語や理科などの教科の授業においても変わらず実践していました。

また、グループワークから全体での練り上げの場面の授業の質を上げるにはどうしたらよいのか、ファシリテーターとしての教師の関わりとはどのようなものが有効か、「発問」「板書」「学習環境」など、校内研究の視点と併せて真剣に考えていました。とりわけ、子供たちの話合いでは「論点」を大切にしました。論点を意識した話合いが上手になると、子供自ら論点を見出し発展的に話し合うようになることや、私が授業のめあてをわざわざ板書せずとも、子供自身が「今日の論点は…」と最適な言葉で言語化できるまでになっていくことを子供たちの姿を通して実感できました。

この当時の総合学習で、地域の方からとったアンケート結果を基に、より良い地域づくりのために何ができるか考え、議論する子供たち。

これは「思考ツール」の活用にも言えることですが、子供たちにとって必要感のある使われ方をしていると、教師が使おうと言わなくても子供たち自身が「あれを使おう」と自覚的に選択しようとします。その際、「なぜ、それを使うのか(目的と方法の合致)」「それを使うとどのようないいことがあるのか(価値や効果)」を子供たちなりに説明できるよう問いかけることが重要だと考えています。やがて子供たちは、思考ツールに頼らなくても複雑なものでなければ、テーマに応じて、比較する、関連付ける、多面的に見るなどの考える技をたくみに使い分けるようになり、活発な話合いが行えるようになっていきます。

私自身は、子供一人一人の見とりと板書に全神経を集中させ、子供たちの自立した学び合いの邪魔にならないよう必要以上に前に出ないよう心がけるようになっていきました。

授業イメージのバリエーションを広げていくことが重要

私は今、教育委員会の立場から、コミュニティ・スクールを推進していますが、制度上の「かたち」だけで終わらせてはならないという使命と責任で仕事をさせていただいています。どうしても地域学校協働活動や地域の連携・協力の実態にフォーカスが当たりますが、真の社会に開かれた教育課程の実現のためには、何と言っても、校長先生の明確なビジョンと先生方お一人お一人のカリキュラム・マネジメント力と授業力にかかっていると言えます。そして、その真意は、総合学習を「ちゃんとやる」かどうかで決まると思っています。

本市では「西東京ふるさと探究学習」として、令和5年度からすべての小・中学校の教育課程に位置付け、地域の人材や資源・文化などを活用した、体験的で探究的な学びを展開しています。まさに、その立役者は先生方だと話しています。しかし、こうした施策の意図は理解しても、先生方が「共感」し「具体的な実践としてイメージ化」できなければ、より良い教育活動は生まれません。共感なしに、次の具体化のフェーズに移ることはありません。共感し具体のイメージが鮮明になり、自他の違いが見えてくれば、対話も生まれ、おもしろくなります。

子供との関わりにおいても全く同じことが言えそうです。若い先生方には、ぜひ、授業づくりにおいて、「課題」や「めあて」が、子供たちにとって「共感」に値するものになるよう意識していただきたいと思います。そうでないと、子供たちの具体的な思考や、本質的な問題解決への一歩を引き出せないでしょう。そんな「共感」を大事にしながら、子供たちが主役となる授業を1つ1つ体現していただきたいと思います。

また、若い先生方には何事にも臆せずにチャレンジしてほしいですね。何より、「この学齢だと無理だ」とか、「この子たちにはできないだろう」というような先入観は手離してください。子供たちの思いに寄り添い、子供たち一人一人をよく見ることを心がける中で、必要な支援のタイミングが必ず分かるようになってきます。こうした子供が主役となる授業展開のバリエーションを増やしていくことで、少しずつ子供たちにとって最適な学びを実現できるようになります。それは、先生ご自身の自信や手応えにつながっていくはずです。

※注:三田先生の当時の総合学習の実践は、「多文化共生」をテーマにしたものが、NHK for Schoolで放送され、現在でも動画資料や単元資料などを見ることが可能。「教育技術」誌でも、子供たちが地域からアンケートを取って課題を把握し、より共生的な場づくりをするためにどうするか考えていく実践などを紹介している。

【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、10月6日公開予定です。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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