子供の姿を想像し、見とる子供理解が必要【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第1回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」
子供の姿を想像し、見とる子供理解が必要【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第1回】

若手の先生方が優秀教師の授業を見ると、「いったい何を学べば、あんな授業ができるようになるのだろう」と思うことでしょう。しかし、どんな優秀教師も経験不足の若手時代を過ごしたはずですし、苦労し、学びながら現在のような高い教師力を身に付けてきたはずです。そこで、この連載では全国各地の優秀な先生方は若手時代にどのように学び、何を身に付けることで現在のような教師になったのかを紹介していきます。そのお話の中には、きっと若い先生方が成長していくうえでの重要なヒントがあるはずです。

連載第1回は、宮崎県のスーパーティーチャー(小学校・算数)である宮崎県公立小学校の中西英教諭が、20代の若手時代に苦労し、学んでいったことを紹介する記事のPart1です。

中西英先生

文部省の資料、関連書籍をたくさん読んだことが自分自身の力になった

私は現在、算数を専門にしており、2022年度は算数専科を担当していますが、大学は文学部の児童教育学科で、もともとは文系だったのです。大学卒業後、宮崎県に教員として採用されたのですが、私が最初に赴任したのは日南市という所でした。その当時、宮崎市のような中核の自治体であれば、ベテランの先生も多かったため、学年主任や研究主任といった主任は年配の先生が任されることが多かったのです。しかし日南市は若手が多く、本当に早い時期から多様な校務分掌を担うことが求められていました。

その日南市の初任校で3年目を終えたときに、私はいきなり研究主任を任されました。当時の学校の教頭先生は少々破天荒な方で、突然、そんなサプライズ人事が行われたのです。そのときにはすでに3年後に算数での公開研究会を行うことが決まっていたにも関わらず、文学部出身で算数を勉強していたわけでもなく、まだ経験不足だった私が研究主任を任されたのでした。

そこからは独学で勉強をしていきました。まず研究主任の仕事自体も分かりませんから、中学校の社会科の教員だった私の父がたまたま持っていた、他県の教育研究所が出している「研究主任の仕事」というようなタイトルの資料を譲り受け、研究はどのように進めていけばよいのかを学びました。

また算数という教科に関しては、文部省(当時)から出されていた「小学校指導書算数編」(下図参照)だとか「指導計画の作成と学習指導」といった資料を読んで、ほぼ独学で研究をどう進めたらよいのかを考えていったのです。放課後はもちろんですが、土日はほぼ図書館にこもって、関係資料を徹底して読み込んでいきました。やはり、研究発表を行うためには多様な資料を読んで自分なりに整理し、事前に決まっている研究テーマに沿った具体的な手立てを、校内の先生方に提案しなければいけないわけです。そのために文部省の資料を読み、関連の専門書を読み、自分自身の授業と関連付けながら整理し、研究の構想を立て、先生方に分かるような提案を作成していったのです。そのときに、たくさんの本を読んだことは本当に自分自身の力になったと思っています。

(写真左)は当時、中西先生が読み込んだという「小学校指導書算数編」(文部省)、現代で言えば、(写真右)「学習指導要領解説算数編」(文部科学省)のようなものと言えるだろうか。
(写真左)は当時、中西先生が読み込んだという「小学校指導書算数編」(文部省)、現代で言えば、(写真右)「学習指導要領解説算数編」(文部科学省)のようなものと言えるだろうか。

ただし、資料を精読するだけでは実際の授業に落とし込むのは難しいものです。そこで、同じ日南市内の隣の学校に在籍しておられた、算数の授業に卓越した先生にアポを取り、放課後に研究の進め方や実際の授業づくりの仕方などを教えていただきに行きました。ちなみに、同校は本校よりも先に公開をした学校で、その先生は算数の授業づくりでは名前を知られた方だったのです。余談ですが、その先生は後に県教育委員会の要職に就かれるような方で、そこで直接に教えていただいたことも、授業を構想していくうえでとても力になりました。

そのように、まず個人的には関係資料で勉強し、授業については先輩の優秀教師から学ぶという感じで算数の研究を進めていき、無事、公開研究会を終えることができました。

「この授業は子供たちがやりたい授業ではないですね」

研究公開が終わったのは採用から6年目でしたが、次の年、7年目に私は宮崎大学教育学部附属小学校へ異動し、算数部に配属になりました。そこでは、4月の異動直後に全校での授業研究会が行われたのです。それは、現在もう行われてはいませんが、異動してすぐの先生の授業を全教員が見て、厳しい指摘をしていく授業研究会でした。本人にはそんなつもりはなくても、研究校に異動になって少々天狗になっているかもしれない若い先生に対する洗礼のようなものですね。

そのとき、授業後に指摘されてとてもショックだったのは、「この授業は先生がやりたかった授業で、子供たちがやりたい授業ではないですね」ということでした。自分が学ばせたいことをやっているだけで、子供たちの学びたい気持ちや疑問が生かされた授業ではなかったというわけです。それを指摘されたときには、自分の考えを言い返すことに必死でしたし、あまり納得できていなかったように思います。私自身はそうは思っていなかったけれど、前任校で研究会を無事にやり終え、少しは授業をできるようになったつもりになっていたところもあったのでしょう。また、多数の本を読んでそれが正しいと頭でっかちになっていて、そのやり方をやっている自分が正しいと思い込んでいたところもあったと思います(もちろん今から思うと、その当時、読んだ本に書かれていることを本質的に理解できていたわけではありませんでしたし、表層的にそのやり方を真似ていたというところだったのだと思いますが)。

ただ時間をおいて冷静になって考えてみると、そのときの先輩方からの指摘はまったくその通りでしたし、根本的に考え方を変えて授業をつくっていかなければならないなと思いました。

例えば、問題提示一つをとっても、どのように提示をしたら子供たちはどんな反応をするかとか、その提示された問題を見たときに子供たちにどんな疑問が浮かぶのかとか、事前に考えているつもりでした。しかし、どうしても授業をつくる自分自身の思いが強く出ていて、十分に子供の姿をイメージしたうえでの提示にはなっていなかったと思います。また、学習の過程での子供たちの学びに向かう本気度をしっかり見とる力や、その実態に応じて発問や展開を変えていくような力は、そのときにはまだなかったわけです。

やはり、授業づくりをしていくには、子供たちがいかに本気で学習に関わっていくかを想定する力や、授業の中で子供が本気で学んでいるかを見とる目が必要です。現行の学習指導要領で言えば、子供が「主体的に学ぶ」ためには、子供がおもしろいと思って学ぶ教材提示が必要だし、おもしろくないと思っていれば、先生がそれを正しく評価して授業の展開を改善していくことが必要です。そのように子供の姿を想定したり、実態を見とったりする子供理解の力が根本になければ、よい授業をつくることはできないのです。

もちろん算数の授業をつくるには、算数という教科の特性を理解したり、個々の教材研究をしたりすることも大事なのですが、まず子供の姿を想像し、見とる子供理解が授業という学びの場をつくっていくうえで必須だと思います。それは、授業づくりと共に学級づくりにもつながるものですが、私は、この異動直後の授業研究会での体験を通して自分自身の授業を見直し、その大切さを考えるようになりました。

教室の子供たち全員が、思わず追究したくなるような現在の中西先生の授業の一コマ。
教室の子供たち全員が、思わず追究したくなるような現在の中西先生の授業の1コマ。

以上Part1では、中西先生が20代の若手時代にどんな学びをしていったかを紹介しましたが、次回は30代以降での学びや、若い先生方に対するアドバイスを紹介していきます。(>>次回へ)

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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