ICT活用において「まず先生が子供よりも高いスキルをもつことが必要」?【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㊴】

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全国「授業実践レポート」 取材こぼれ話
ICT活用において「まず先生が子供よりも高いスキルをもつことが必要」?【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㊴】

ICT端末の活用実践に思うこと

GIGAスクール構想が実施になって、間もなく2年が経とうとしています。この間、多様な地域でICT端末を活用した実践を取材し、紹介してきました。その実践はいずれもすばらしいものだったのですが、その取材時に聞いた、記事にはしていない先生方の言葉を基に少し考えたことについて、お話ししてみたいと思います。

「『主体的・対話的で深い学び』にはICT機器はなくてもよい」

GIGAスクール構想については、私も一社会人としてその必要性は理解できますが、同時に取材者として、これまであまりICT機器に慣れ親しんでこられなかった先生は、きっとご苦労されていることだろうと思います。実際にある地域では、「『“主体的・対話的で深い学び”を通した資質・能力の育成を図る授業をするためには、ICT機器はなくてもよい』というベテランの先生が少なからずいらっしゃって、なかなか授業などでの活用が広がりきらなくて困っています」という、指導主事の方の悩みを伺ったことがあります。少なくとも、GIGAスクール構想が実施になるまでは、教育的に成果を上げた地域の一つとして知られてきただけに、その悩みも大きいところなのでしょう。

確かに、ICT機器を活用しなくても各教科等の目標を実現することはできますが…。

考えてみると、各教科等で示された目標の達成=資質・能力の育成については、特にICT機器を活用する必要はないのだろうと思います。ですから、ICT機器は活用しなくてもよいとおっしゃる先生方の気持ちは分からなくはありません。ただし、学習指導要領の総則、第2の2の⑴には、「各学校においては…情報活用能力(情報モラルを含む。)…等の学習の基盤となる資質・能力を育成していくことができるよう…教科等横断的な視点から教育課程の編成を図る」とあります。それを考えれば、「各教科等の目標実現には必要ないから」と言って、ICT機器を活用しなくてもよいということにはならないはずです。実際に、GIGAスクール構想の実現に尽力された専門家の先生も、そのように説明をしておられます。

さらに、ここ最近のSNSの間違った利用による飲食店の被害などの問題を考えれば、早期にICT機器を活用しながら「情報モラル」の育成を図っていくことが求められるのかもしれません。もちろん、すべてを学校教育だけが担うというのは少し違いますし、保護者の積極的な関わりが求められると思います。何しろ、企業などに損害を与えた場合には、高額な賠償を求められることになるのは保護者なわけですから。しかし、教育基本法の第一条「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」という教育の目的から考えても、学校教育もより積極的に情報活用能力の育成に取り組むことが求められることになるのだろうと思います。

先生にとって必要なのは「ICT機器をどう使うかが理解できていること」

先の例は、既存の学校教育のあり方から離れられず、あまりICT機器の活用に積極的になれない現場の悩みということになるかもしれません。それに対し、「やらねばならない」という使命感が強すぎて、少々疑問を感じるような声を聞くこともあります。

先とは別の地域で取材をしていた時のことです。ある先生が、「子供たちに教えるには、まず先生が子供たちよりも高いスキルをもつことが必要で、それからでないと活用できない」ということを話しておられました。そのために、活用を開始するまでに時間がかかるというわけです。それを聞いたときに私は次のような疑問を感じたのでした。「(中学校はもちろん、小学校も専科の先生がおられる場合は別だと思いますが)音楽の合唱指導などではピアノの上手な子供に弾いてもらうのに、パソコンの場合はなぜ、上手な子供に実演してもらわないのか?」と。

おそらく、先生方がいざ教育活動でパソコンを使うとなったら、子供たちよりも高いスキルがなければいけないと考えてしまうからでしょう。その理屈が通るならば、当然、先生方はピアノだって子供たちよりも上手でなければいけないわけですが、子供たちの中には小さい頃からピアノを習っている子供もいて、必ずしもすべての子供たちよりも演奏スキルが高いとは言えないわけですよね。だから子供に任せる。それならば、ICT機器も同様ではないでしょうか? 今は子供向けの教育産業で、ICT活用などに関わるCMも見られ始めている時代ですから、間もなく先生よりもスキルの高い子供が1人や2人、クラス内にいても不思議はない時代になるのではないかと思うのです。それでも、「先生のほうがスキルが高くなければ…」と言い続けられるでしょうか?

実は、GIGAスクール構想が出されるよりも前、ある先進小学校での取材中、高学年の子供が学級会での対話内容を、その場でデジタル思考ツールを使って同時並行に整理をしていく様子を拝見しました。そのタイピングやツールに沿った整理の速さは、おそらく大人でも相当に熟達した人でなければできないものでした。当然、担任の先生はその整理は子供に任せて、学級会の進行を見守り、要所要所でサジェスチョンを与えたり、問いを投げ返したりしながら、対話が深まっていくように関わっておられたのでした。

つまり、先生にとって必要なのはそれを活用する技術の高さではなく、それをどう使うかが理解できていることであり、そこで育まれる力を明確にもち、必要に応じて軌道修正をしていくような力なのだと思うのです。そうではなく、まずスキルが必要だと思うことの裏側には、それが不足しているという過剰な不安感があるのではないかと想像してしまいます。

先生も人ですから、何から何まで完璧にこなせることなど絶対にありません。大事なのは、子供にどんな力を育むのかという本質をしっかりもっていて、その時々の子供の状態を見ながら判断していくことだと思うのです。そう割りきってしまうと、ICT活用に限らず、いろんなことが楽になりますし、教育に携わることがとても楽しくなるような気がします。

【全国「授業実践レポート」取材こぼれ話】次回は、3月3日公開予定です。

執筆/矢ノ浦勝之

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