「若い先生の視野の狭さ」が気になる【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㊳】

目次
若い先生の視野に関する不安と疑問
先日、とあるベテランの先生と教育雑談をしていたところ、若い先生の視野の狭さについての話になりました。そう言われてみると、私自身も取材のなかで若い先生の視野に関する不安と疑問を感じたことがあります。そこで、今回は先生の視野について話をしてみたいと思います。
一人を見る目と全体を見る目が共存していることが、教師には必要
つい先日、長年、取材などでお付き合いのあるベテランの先生と雑談をしていたところ、最近、気になっていることの一つとして、「若い先生の視野の狭さ」についてお話をされました。その先生がおっしゃるには、立場上、若手の先生の授業を見る機会が多いとのことなのですが、どうも学級全体を見る目のない人が多いことが気になると言うのです。「確かに一人一人を大切にすることが求められる時代だけれども、一人一人に目を配ると同時に、学級という集団全体にも目を配ることも必要。しかし一人に目を向けていると、ついつい学級全体を見る目が失われている先生が少なくないように感じる」というわけです。そして、「一人を見る目と全体を見る目が共存していることが、教師には必要だ」と話されました。
そう言われて思い出したのが、私自身が以前、若い先生を取材したときのことでした。新卒採用後、まだ3年も経っていない若い先生だったのですが、算数の授業の終盤で、練習問題がなかなか進まず困っている子供についていろいろと声をかけ、支援をしていたのです。すると、早々に練習問題を解き終えてやることがなくなった子供2人が、フラフラと教室の中を立ち歩き始めたのです。
当然、ベテランの先生ならばそうした状況を事前に見越して、「早く終わった子は周りで困っている子にアドバイスをしようね」とか、「教科書の最後に別の練習問題があるから、それをどんどんやっていこうね」というように、やるべきことを準備しておくことでしょう。それができていなかったのは経験不足もあるし、多少は仕方ないところもあるかなと思いながら見ていたのです。すると、フラフラ立ち歩き始めた子供たちは、最初は互いの机の近くで何だかじゃれ合っていたのですが、次第にエスカレートして教室から廊下へと出てしまったのでした。
しかし、その状況になっても若手の先生は目の前の子供への支援で頭がいっぱいの様子で、教室から出てしまった子供たちに気付かないのです。さすがに、廊下でふざけすぎて事故でもあったら大変だと思った私は、廊下に出てその子供たちの様子を見守っていたのですが、よそから来ている知らない取材のおじさんに見られていることに気付いたせいか、その子供たちはやがて自分たちの机に戻っていったのでした。
そうした一連の出来事に、その若手の先生は授業の最後まで気付いていなかったような様子。それを見ていて、若くて経験が不足していると、一人に目が向いた途端それほどまでに周囲が見えなくなるものなのだろうかと、少々不安を感じたのです。そして、どうすれば全体にも目を配れるようになっていくのだろうかと思ったのでした。
ですから、最初のベテランの先生のお話を聞いたときに、「どうしたら、そんな目が育つのでしょうか?」と問い返したのですが、まだ明確な方法は自分にも分かっていないというようなお答えでした。