インクルーシブ教育~今、私たちにできることは?~

ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授・インクルーシブ教育研究センター長

青山新吾

「インクルーシブ教育」を通常学級で実現するためには、どうすればよいのでしょうか? インクルーシブ教育の研究に取り組み、インクルーシブ教育に関する著書も多数上梓している青山新吾先生が、現場の先生方の困り感に寄り添いながら、インクルーシブ教育を実現するための基本的な考えと最初にすべきことについて解説します。

執筆/ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授・インクルーシブ教育研究センター長・青山新吾

インクルーシブ教育とは?

今、学校現場に「インクルーシブ教育のウエーブ」とでも言うべき状況が生じ始めているように思います。この原稿を読んでくださっているみなさんの近くでも、「インクルーシブ教育」という言葉を耳にされる機会が圧倒的に増えてきていませんか。

これには、いくつかの理由があると思います。

その1つとして、2022年9月に、「障害者の権利に関する条約」に関しての審査を受けた我が国に対して、国連から勧告がなされたことが挙げられるでしょう。この勧告は、マスコミでもセンセーショナルに扱われました。例えば「国連が特別支援教育の中止を求める!」といった書きぶりで報道されたものもあったのです。本稿では、この勧告について解説する意図はありませんので、他の著作や記事(野口晃菜、2022)に委ねます。

このような状況の中で、
「もっと通常学級で支援を充実させたいが、時間がなく、余裕もない……」
「もっと支援したいが、何をどうやったらよいのか分からない……」
「インクルーシブ教育なんてきれいごとを言っても、できるわけはない……」
などの混乱が見られているのではないでしょうか。

特に、誠実に一人一人の子どもを大切にしたいと考えている先生であるほど、悩み、苦しみ、時に傷付いておられるのではないかと思えるのです。

そこで、私は、この原稿を以下の立場で書き進めます。

①インクルーシブ教育は、障害のある児童生徒だけではなく、すべてのマイノリティの子どもたちを包摂するものであること

②現在の通常学級の在り方を変えることなく、すべての子どもたちが「今の」通常学級で学ぶことをインクルーシブ教育とは考えないこと

③インクルーシブ教育は、多様な子どもたちが学校に通うことを前提として、その教育を実現するためのシステムを構築する「プロセス」そのものを指すこと

これらはつまり、

インクルーシブ教育はすぐに実現できるようなものではないが、それぞれの場所でできることをていねいに進める「プロセス」が重要である

ことを意味していると考えるのです。

今、それぞれの場所で私たちができること

先述したように、インクルーシブ教育は答えがあるものではなく、多様な子どもたちの存在を包摂する教育を目指した大きな話です。しかし、それに向けての「プロセス」において、今、それぞれの場所でできることがあると思います。

①多様性と差異を大切にする取組を少しずつでよいから進めること

日々の教育活動の中で、少しでよいから、多様性と差異を大切にした取組を増やしていくことは重要です。その際のポイントの1つに「選択する」があります。

(ア)漢字の学び方の例

例えば、漢字を学習する際の学び方1つ取ってみても、その方法は複数あります。何度も何度も書いて漢字を覚えていくのが得意な子どももいます。しかし、そのやり方が万能であるわけではないのです。覚えるまでに書く必要がある回数には個人差があります。

また、そもそも書く必要がなくて、見て覚えられる子どももいますし、漢字をパーツに分けて認識して覚える子どもだっています。子どもによって「学びやすい学び方」には違いがあり、それを子どもたち自身が意識して学んでいけるように育てていきたいわけです。

そのためには、まず学び方を「選択する」ことを経験したり、全員が同じ学び方で学ばなくても漢字を覚えられることを体感したりすることから始めていけるでしょう。

漢字を自分の学びやすい学び方(書き取り、音読、分解、タブレット)で学習する子供たち。

この際の基本的な考え方として、多重知能理論があります。田中博司先生などの現場の実践家が、通常学級での実践を報告して示されていますので(涌井惠、2015)、参考にしてみるとよいでしょう。

このほかの場面でも、授業中に一斉に音読している場面で、本当に全員が音読する必要があるのかどうかを検討してみるとか、まとめ用のプリントに、罫線だけが示されているものと、少しヒントが記入してあり、キーワードを(  )内に書き込めばよいものとを「選択する」ことができる場面を少しでよいからつくってみるなどし、それを子どもたちに投げかけて、その意味を体感できるようにしていくことも考えられるでしょう。

(イ)学級経営とセットで考える

なお、こういった取組が行えるかどうかは、実は学級の状態や雰囲気に左右されると考えられます。ある学級では、自然に当たり前のように「選択する」ことが子どもたちの中に根付いていくのですが、またある学級では、子どもたちが「選択する」ことを嫌がるといった状況が生じるのです。

これは、まさしく環境との相互作用によって、物事が変化する例なのです。青山新吾(2022)は、インクルーシブ教育を進める第一歩として、特別支援教育の視点を取り入れた学級経営が必要であると述べています。そこでは「幅」と「寛容度」がキーワードとして示されています。

つまり、多様性や差異を大切にする取組としての、授業場面における「選択する」ことは、「幅」があり「寛容度」のある学級経営と密接な関係性をもっているということです。決して授業の工夫を考えるだけでは取組が進んでいかず、授業と学級経営をセットで考えることが、インクルーシブ教育を進めることになるのです。

「やさしいどうして?」の考え

もう1つ、インクルーシブ教育を進める「プロセス」として今できることがあります。それは「やさしいどうして?」の考えを日常に、当たり前のように取り入れることです。

「やさしいどうして?」とは、日常の子どもたちの言動に対して「どうしてそのようにしたのかな?」「どうしてそのように言ったのかな?」などと、その背景要因にまなざしを向けることです(青山新吾、2022)。これは、私の造語であり、本学の学生たちとのやり取りの中から生み出された言葉です。

机の上に顔を伏せているあの子、教科書もノートも出さないで机上で消しゴムをこすっている子、教室の中を動いている子など、多様な状況の子どもたちに対して「どうしてかな?」とまなざしを向け、その言動の背景要因を考えたいのです。言動の背景要因を考えることで、子どもたちに対して優しくなれるでしょう。また、それを踏まえて、具体的に子どもに対して、集団全体に対しての指導を構想できるでしょう(青山新吾・堀裕嗣、2018)。

それにしても、なぜ「やさしいどうして?」と言うのか? と思われませんか。

それは、この「やさしいどうして?」が、「どうして教科書を出していないの!」という叱責、なじり系の言葉ではなくて、

どうしてかな? と、子どもと一緒に考えるスタンスの言葉

であるからです。

この話をすると、「授業中にそんなことを考えている暇などありません」と言われる方がおられます。もちろんそうなのです。そのような余裕がないときがあることは十分に理解できます。でも、「やさしいどうして?」は、リアルタイムで使うとは限らない言葉なのです。

子どもが帰った教室で、放課後の職員室で、ご自宅で一服されているリビングで、「どうしてかな?」と子どもの言動に思いを寄せるときの言葉

であればよいのです。

授業中、教科書も出さずに机の上に顔を伏せていた子の要因が何なのか、放課後、職員室で考える男性教員。

「やさしいどうして?」のまなざしを向けて子どもの言動の背景要因を考える
それを踏まえて、指導・支援として「選択する」場面を作ってみる。
それを可能にする「幅」と「寛容度」を高めた学級づくりに取り組んでみる。

インクルーシブ教育を進める「プロセス」において、今私たちができることは、そんなに少なくはないように思えますが、みなさん、いかが思われますか。

【参考文献】
・青山新吾・堀裕嗣『特別支援教育すきまスキル小学校下学年編:小学校上学年・中学校編』(明治図書出版)
・青山新吾『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)
野口晃菜「国連が日本政府に勧告『障害のある子どもにインクルーシブ教育の権利を』」
・涌井惠『学び方にはコツがある!その子にあった学び方支援』(明治図書出版)

青山新吾先生

青山新吾(あおやま・しんご)ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科准教授、同大学インクルーシブ教育研究センター長。岡山県内公立小学校教諭、岡山県教育庁特別支援教育課指導主事を経て現職。臨床心理士。著書『エピソード語りで見えてくるインクルーシブ教育の視点』(学事出版)、編著『特別支援教育すきまスキル』(明治図書出版)など、著書・編著多数。

イラスト/佐藤雅枝

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