【木村泰子の「学びは楽しい」#10】子どもの聞こえない声を聴いていますか?

全国で244,940人の小中学生が学校に行けず苦しんでいるという現実に私たち大人はどう向き合っていけばよいのでしょうか。今回は、広島で出会った一人の子どもの話から、学校のあり方について考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
「不登校」というレッテルを貼られる子ども
先日、講演で広島に行きました。広島にはこれまでも何回か行ったことがありますが、一人の子どもが何度か私の話を聴きに来ていました。「のあ」という子どもです。初めて出会った時から数年たち、彼は高校1年生になっていました。
彼は「不登校」と言われていましたが、学校に行きたくても行けない子どもを「不登校」と呼ぶのは、どれだけ失礼なことかを私に教えてくれました。
大空小にも「不登校」というレッテルを貼られた子どもが何人も転校してきました。その数は50人を超えましたが、一人一人みんな困り感が違い、彼らを「不登校」というくくりに嵌め込むこと自体がとんでもないことだということに、私たちは日々気づかされたものです。
2021年度の全国の小中学生の「不登校」244,940人という過去最多の数には驚きを隠せませんが、この中の一人の子どもがどれだけ困り感をもち苦しんでいるかを想像するところから、「大人の役割を果たして」いきませんか?
広島での講演が終わり、大阪に帰る途中で、木村の話を聞いた自分なりの感想だと、「のあ」からメールが送られてきたので紹介します。
学校という牢獄に通うということ
何も悪いことをしていないのに刑務所行きだと言われること
「みんなと同じようにして学校にいなさい」
ほとんどの人にとって学校が刑務所でないからこそ気軽に言えること
当事者からするとありのままの自分を真っ向から否定される場所
「人に迷惑をかけるな」「周りと同じようにしなさい」
ありのままの自分でいることの罪を償えと言われているような、暗くて重いプレッシャーを背負いながら、学校に通い続けることがどれだけ難しいか
そのストレスはなにも学校に行かなくなったからといって消えるものでもなく
一人一人の意識から変わっていかないと、しんどい子はいなくならないと思う
2022.11.20 「のあ」
みなさんは「のあ」の言葉をどのように受け止めたでしょう。
そのストレスはなにも学校に行かなくなったからといって消えるものでもなく
「のあ」のこの言葉は痛烈に刺さりました。これまでも「不登校」という言葉に真摯に向き合い、子どもに学んでいたつもりだった自分が、「一人の子どものことをわかったつもりでいるな!」と常に教職員のみんなと確認し合っていた自分が、やっぱりまだまだわかっていなかったと思い知らされました。