赤坂真二×堀川真理「力による指導が、いじめを助長する」いじめと戦う覚悟と戦略②
文部科学省が全国の小中高校を対象に実施した2021年度の調査によると、いじめ認知件数は61万5351件となり、過去最多を記録しました。
学級づくりに関する実践研究の第一人者・赤坂真二先生(上越教育大学教職大学院教授)と、カウンセリングの手法を用いた教育によって、いじめと戦い続けてきた堀川真理先生(元新潟県公立中学校教諭)。桁違いの「本気度」で、いじめ問題と向き合い、「いじめの問題に、当事者でない人はいない」というメッセージを発し続けてきたお二人の対談を全3回でお届けします。
第2回は、いじめ指導を機能させるための教師の在り様や留意するポイントについて解説します。
目次
教師自身がどれだけ本気で取り組むか
――前回はいじめが発覚したときの対応について教えていただきました。では、いじめ「予防」という観点から、教員はどんなことに取り組むべきでしょうか。
堀川 「ふわふわ言葉とちくちく言葉」など、いじめの予防に有効なプログラムは多数あります。しかし、同じ内容で実践しても、子供たちにしっかり伝えることができる先生もいれば、茶番で終わってしまう先生もいます。
技術やプログラムよりも、教師自身がどれだけ痛みを知っていて、本気で取り組むかがポイントなのだと思います。悲しかったり、悔しかったりというネガティブな感情を表に出すのはよくない、という風土が日本にはあります。
しかし、感情を出さなければ、心の教育はできません。そもそも感情を伴わないものには、魅力を感じませんよね。
赤坂 確かに先生の傷つき体験が大きく関係するように思います。
先生自身にいじめられたり、虐げられたりした経験があると、子供たちの状況を自分事として捉えて、本気で取り組みます。
堀川 中学校ではいまだに、力での生徒指導がまかり通っています。「早い段階で理由もなく一度キレてみせて、『この先生を怒らせるととんでもないことになる』と思わせるようにしている」などと、公言している先生すらいます。失礼ながら、そういう先生にはいじめに関する道徳の授業はできないと思います。弱い者の気持ちが分かっていませんから。
赤坂 その通りですね。「指導の際に恐怖に訴えようとするといじめを助長する」という研究結果もあります。
ただ、私は、学級が荒れている時に教師が力に頼ろうとすることは、望ましくはないけれど全面的には否定しません。問題なのは、力に頼って何も教育しないこと。強権発動してその事態をくぐり抜けた後に、きちんと教えることが必要です。
堀川さんはいじりやいじめを見た時、「私は嫌だ」と、価値や意味をきちんと伝えています。力による指導がなぜ問題かと言うと、価値や意味を通り抜けて、その人の存在にただ従うということを学習させてしまうからです。だから、その人がいなくなると、子供の状態がリセットされ、野生化するのは当然です。
当事者でない人は一人もいない
堀川 中学校の女性教師であった私は、男子生徒や、群れになった女子生徒に向き合おうとすると、どう頑張っても力では劣っている。でも、私は自分のことを強いと思っています。それは力の強さではなく、その子たちを導きたいという使命感や覚悟の強さです。
集団をコントロールするのではなく、人として一緒に生きていくという意識でしょうか。
教師は子供たちと対等で、子供たちと一緒に生活していくという共同体感覚を身に付ける必要があると思います。
それなのに、世の中には家族や友人をはじめ、他人をコントロールしたいと思っている人の方が、圧倒的に多いように感じます。これでは、世の中にいじめが蔓延するのは当然です。
会社の中のいじめやパワハラをはじめ、社会のあらゆるところにいじめの構図が蔓延しています。そういう問題に大人が「NO」と言えていないのに、子供たちだけに、どうして「NO」と言えるでしょうか。つまり、いじめは社会全体の問題で、いじめに対して、当事者でない人など、一人もいないということです。
赤坂 「教室の中で差別、いじめは許さない」と我々は言ってきたけど、教室の中だけにキレイゴトを押し付けている部分もあるよね。
「いじめられた子も強くならなければ」はNG
堀川 以前勤めていた学校で個別の教育相談をしたときに、「今は楽しい。でも、小学校ではいじめにあっていたので、クラス替えになったら不安だ」ということを漏らした子がいました。その小学校から来たいじめた側の子たちは、各学級に散って、何の改心もせずそこにいるわけです。その子にとって、さぞや恐怖だろうと思います。
だから私は、学年全体の問題にして、いじめの指導をしようとしました。
しかし、その学校の当時の管理職は、「今、目の前で起きているわけではない。過去のことに手を入れるべきではない」と、それを許しませんでした。
そこで私は、いじめをしていた生徒を一人一人相談室に呼び出して、個別に指導しました。と同時に、自分の学級の生徒にもこの話を聞かせました。
羊のぬいぐるみ(枕)を手元に置いて、「この羊ちゃんは小学校の時、いじめられてたの。こんなことやこんなことがあったの。でも、このクラスの子はみんな優しいから、今は楽しい。だけど、クラス替えになったら不安なんだって。羊ちゃん出ておいで……」と、その子を前に出させて、さらにその子の気持ちになって話を続けました。
その子も私も二人で泣いて、最後にみんなに感想を書かせました。残念ながらこの時は、いじめられた子といじめた子が対面する場面はつくれませんでしたが、その後、クラス替えがあっても、もうその子がいじめられることはありませんでした。
このようなケースでは、教師から「いじめられる子も強くならなければいけない」といった声も上がりがちです。いまだにそういう考えが教師の中に根強いのです。
赤坂 そういう教師の声を聞いて、そのまま教室に適用するのは問題です。社会の中に一定数の守ってあげなければいけない人がいるように、教室の中にも、自分で自分のことを守ることができない子がいるのだから、その子をみんなで守ってあげなければならない。
いじめの対応は、行為そのものが重篤か軽いかということではなく、いじめを受けた子に、いじめやストレスに耐えうる力がどれくらいあるかということに留意しなければなりません。
当然ながら、学級にはそうした力が強いAさんもいれば、弱いBさんもいます。それなのに、AさんもBさんも同じ状況だと捉え、「それはいじりだから」と簡単に解釈してしまう教師の感性が問題です。親友がたくさんいて自己肯定感の高い子は、多少バカにされても元気にやっていけます。だからその子にとっては、いじりかもしれない。でも、仲間のいない子に同じことをしたら、それはいじめです。
教育段階だから、弱い子が人に守られることによって、将来的に人を守る力を得るかもしれない。
「僕はいじめられた。だけど、先生やみんなに守ってもらった。だから、僕は人を守れる人になりたい」――そういう可能性を育てることが、教師の仕事ではないでしょうか。
【第3回に続く】
対談 赤坂真二×堀川真理「いじめと戦う覚悟と戦略」
・第1回
・第3回
取材・文/長昌之 撮影/西村智晴
『小六教育技術』2018年6月号より