人材開発の視点から「個別最適な学び」を実現する校内研修実施のポイント

現在の校内研修の問題点を明らかにし、新しい学びの形を模索していくため、人材開発・組織開発の専門家である立教大学の中原淳教授に聞いた。

提言/立教大学経営学部教授・中原 淳

中原 淳

プロフィール
中原 淳(なかはら・じゅん)東京大学教育学部卒業後、東京大学講師・准教授等を経て、2018年より現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発・組織開発の研究を行ってきた。近年は、横浜市教育委員会との共同研究など、公共領域の人材育成にも活動を広げる。2021年より文部科学省中央教育審議会臨時委員。

校内研修を活性化させるポイントは自分たちの学びを、自分たちで決めること!

「やらされ感」をなくすには

まずは「やらされ感」について考えてみます。校内研修に対して、「やらされ感」をもつ先生たちが多いと聞きます。先生たちにとって、一番嫌なのは「学べ」と言われて、たいして「必要性を実感できないこと」を学ばされることでしょう。自ら渇きを感じないときに、水は飲めません。

結局、自分の仕事に必要性、関連性があって、「やれそうだ」と自己効力感を感じることを学ぶ、それが「やらされ感」をなくすことにつながります。もしも、わたしが、校長だったら、「今、学ぶべきことは何か?」を、先生方に自ら考えてもらい、「一番自分たちにとって必要なものを学びませんか?」と言うと思います。直面している課題は学校によって違うはずです。例えば、学力格差が見られる学校であれば、その改善が課題でしょうし、GIGAスクール構想の推進を課題とする学校もあるでしょう。慣習にとらわれず、各学校の実態に合う研究テーマを選定することが重要なのです。

次に「主体的に学ぶ」ことについて考えてみます。「本校の先生たちには、もっと主体的に学んでほしい」と感じている校長先生もいることでしょう。「主体的に学ぶこと」にこだわるのであれば、何を学ぶかを先生たちが考え、話し合いで決めて、さらに、自分たちの学びをデザインしていく必要があります。主体的に運営していくことが、主体的に学び続ける意欲につながるからです。自分たちの学びは、自分たちでデザインする。大人の学びは、これに尽きます。

ただし、このような校内研修に変えていくには、校長先生がすべきことがあります。それは「任せる」ことです。最初に「わたしはこういう学校を皆さんと共に創っていきたいです」と、方向性を示したうえで、そこにどうやって近づくか、そのためにどんな学びが必要なのかについては、先生方に考えてもらうのです。

「任せる」とは「放置する」ことではありません。仕事においての「任せる」とは、「やってみなさい」の後に、しっかりと「観察」していて、時にはフィードバックや助言をする。場合によっては、ヒト・モノ・カネをつける。そこまでがセットになって「任せる」です。

しかし、実際に任せても大丈夫だろうかと、不安になる方もいるでしょう。全部、すぐに任せるのは難しいです。まずは、キーマンになるような先生を見つけて、相談してみるといいのではないでしょうか。

大丈夫です。大学生にもできます。立教大学経営学部の中原ゼミでは、「何を、どのように学びなさい」とわたしは一切言いません。「自分たちの学びを、自分たちで話し合って、自分たちで決めて、実行しなさい」としか言わないのです。必要ならば、先輩にもわたしにも相談してね、と言います。もちろん、「企業の人につないでほしい」「あの企業の社長に会いたい」などの要望があればいくらでもサポートします。フィードバックが欲しいと言われればします。それで十分学べます。就職などの成果も上げられます。

ただし、この学び方をすると、指導する立場のわたし自身が、一番、不安になります。「これを学んでおきなさい」「次はこれ」と指示していく方が、ずっと楽です。しかも学生に任せた場合、彼らは試行錯誤を繰り返します。「〇〇くんは相談に乗ってきません」などと、いろいろな厄介なことが起きて相談にやってきます。それに対して、一つ一つ話を聞き、必要に応じて助言したり、フィードバックしたりするのが、わたしの仕事です。はっきり言いますが、わたしが指示した方が早いです。しかし、それでは「やらされ感」の漂う、いつもと同じ授業が一つ増えるだけです。

つまり、主体的に学んでほしいなら、相手にボールを持たせなければならないのです。そのためには、こちらがリスクをとることです。それには覚悟が必要です。試行錯誤の中で起こってくるトラブルは、校長先生が解決してやる必要があります。こう考えると「主体的に学ぶ」は、管理する側にとってかなり面倒くさいのです。

しかし、管理する側がそのリスクを負わないで、主体性だけ求めるのは無理です。「主体的になれ!」という命令で発揮される主体性は、そもそも主体性ではありません。先生たちに主体的に学ぶことを求めるなら、彼らを信じて、管理職がリスクをとることです。任せることは、危なっかしいことなんです。だから、みんな嫌がって、あれせい、これせいと指示をします。

組織論から考える

ここで読者の皆さんに質問です。組織論では、新しいことが普及するときには、とても前のめりな2割と、普通の6割と、及び腰の2割がいるとされています。校内研修を活性化させるためには、どの人たちを動かしたらいいと思いますか?

企業組織では、及び腰の2割を救うマネジメントをする経営者はいません。前のめりな2割に火をつけて、普通の6割を動かします。そうすると、及び腰の2割が最後に動いてくるからです。これはイノベーションの普及理論の常識です。

学校も同じです。学校全体を動かしたいのなら、基本的にはやる気のある先生たちに火をつけて、普通の先生を動かすのが常道だと思います。つまり、及び腰の2割の人たちに合わせた校内研修をする必要はないということです。

「及び腰の2割を切り捨てるとは、なんて冷たいのだ」と思う方もいるかもしれませんが、「切り捨てて」いません。そう思った方は大人と子どもを混同している可能性があります。大人は子どもではありません。また、「職員室」は「教室」ではありません。「学校で働く」ことは「公教育を受けること」とは違うのです。先生方には、「ひとりの大人」として、自律してもらわなくてはなりません。

もちろん、子どもを相手にした場合は、わたしの主張は180度異なります。授業についていけない子どもたちを放置すれば、やがて社会全体に悪影響を及ぼすことになるでしょう。公教育においては、誰一人取り残すことなく、全ての子どもになるべく格差のない教育をしていかなければいけないのは当たり前のことです。

しかし、公教育を支える側の教師は、学校という職場で働いている「大の大人」です。先生たちは自ら選択して、自ら決断して、教師になったのです。今の仕事をしているのも、自らの選択の結果です。もちろん、新人の先生や経験の浅い職員への支援は十分行われなくてはなりませんが、「職員室」と「学校」は違うのです。校長先生は及び腰の2割に振り回されず、前のめりな2割に火をつけてほしいと思います。

ただし、及び腰の2割の人たちも、教員免許を取って学校の先生になったその日から、意欲がなかったわけではないはずです。長い間の蓄積で、だんだんやる気を失っていったと考えられます。今後はそういう人を生み出さないようにすることが、校長先生の大事な仕事だといえます。

既成概念を取り払う

ここからは校内研修のやり方について考えます。三つのポイントを挙げました。

  1. 人材開発の観点では、組織の中で学ぶ内容は、必ず現場で活用されることが前提となります。どうやって日々の行動を変え、成果を上げるかが大事なのです。そういう意味では、イベント的に年1回程度行われる研究授業が能力開発につながるのか、私は疑問に感じます。そういう実証研究を、わたしは知りません。
    学校で最も大事なのは日々の授業です。それを校長先生や力量ある先生がたまに見て回り、フィードバックをし、次の授業に生かす、これを何度も繰り返すほうが、わたしは効果が高いと思います。
  2. そもそも校内研修の目的を考えてみますと、先生たちの行動を良い方向に変えたいわけです。だとしたら、学んだ後に必ずアクションにつながるように、最初から設計しておく必要があります。
    例えば、校内研修で学んだら、それを基に何をするかを決め、教室で試して、振り返り、修正して、また試して、振り返り……というような流れが考えられます。校内研修の後に、どのようにアクションとリフレクション(振り返り)を継続していくのか、そのやり方を最初から決めておくといいと思います。
  3. 校長先生にお願いしたいのは、先生たちが学ぶための時間をつくることです。教師がいかに学ぶかと、教師がいかに長時間労働を是正し、働き方をアップデートするかはセットにして考える問題だとわたしは思っています。様々な方法を駆使して、時間をつくりだしてやる必要があります。
    例えば、校内研修の時間を減らすことも検討する必要があります。誰かの話を聞いただけでは、人間の行動は変わるものではありません。アクションにつながらない研修は、どんどん減らすといいと思います。そして、必ずアクションにつながる研修だけを行うのです。そうすると、「校内研修をして良かった」とみんなが思うようになり、意欲的に取り組むようになります。

どの学校にも問題意識の高い先生、つまり、「校内研修をもっとなんとかしたい」と思っている先生が、一人ぐらいはいると思うのです。校長先生は、その先生に声をかけ、仲間をつくってやり、任せることです。そして、先生たちがみんなで意見を出し合いながら、自分の学校にフィットした校内研修のあり方をつくっていくと、おそらく、そのプロセスが一番の学びになりますし、学ぶことの楽しさを感じられると思います。その結果、生まれてきたものに関して、校長先生が「ありがとう」と言って認めてやると、嬉々として取り組んでくれる先生が出てくるのではないかと思います。

大事なのは、校内研修に対する既成概念を取っ払い、基本は自分たちで学びたいものを学ばせること、任せることです。既成概念さえ取っ払えば、やり方はいくらでも工夫できるはずです。

今後の国の動きについて

教員免許更新制度が7月に廃止されることが決まり、今後の国の動きが気になるところだと思います。

この制度に代わるものとして、教師の研修履歴を記録するシステムをつくるという案が出てきています。わたし個人としては、個々の教員が受けた研修に対し、ただ単に感想を記録していくだけのシステムであれば、不要だと考えています。

そうではなく、学んできたこと、日々の振り返りも含めて、自分がしてきた仕事の履歴をポートフォリオとして残す、そういうイメージのものは、あった方がいいと思います。なぜかと言うと、次の学校に異動したときに、「この人は前の学校で何をやっていたのか」を、管理職が追えるからです。これは管理職が適切なアドバイスやフィードバックをするために参照しなければいけないものです。

こういったデータは企業にもあり、「タレントマネジメントシステム」と呼ばれます。社員ごとにデータが蓄積されていて、人事異動のときなどに、一般的に使われているものです。

しかし、学校関係者の多くは「個人のデータを管理される」と受け止めているようです。すぐに「管理する側」「管理される側」といった方向に議論を進めていき、「管理-被管理の言説」の中でしか、ものを語れないのは、教育業界の悪い癖だと思います。

結局、自分たちの学びや働き方をどうしたいのかを、自分たちで議論して、提案して、根回しして、仲間を増やして、実現していくほかはないのです。教育業界が総動員となり、研究者、実践者も含めて、政治、世論、社会に、あの手この手を使って、なりふり構わず働きかけ、仲間を増やさなければ、物事は動きません。それもせずに、小さな学会の中で、仲間内で集まって、行政批判を繰り返していても、意味がありません。今回の件で、教育業界の誰が、公の場で、きちんと前向きな提案をしているでしょうか。

医師や弁護士などをのぞき、のちに専門職ないしは准専門職として確立しかけている職業の人々は、自らの知識を体系化し、倫理綱領をつくり、政治に働きかけ、自らの権利を勝ち取っているのです。

教育業界の方々には、ぜひ、「自分たちの学びを取り戻すこと」にもう一度挑戦していただきたいと思います。

取材・文/林 孝美

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