「エビデンスに基づく教育」とは?【知っておきたい教育用語】
現在、教育界でも「エビデンス」という表現が当たり前のように使われるようになってきました。結果の確実性を見通すことが困難な教育実践においては、数値データなどの科学的根拠とどのように向き合えばよいでしょうか。
執筆/東京学芸大学准教授・末松裕基

目次
なぜエビデンスが重視されるか
「エビデンスに基づく教育(evidence-based education)」という発想が一般的になってきた背景には、教育におけるデジタル化の進展、説明責任や透明性を重視する教育の市場化・商品化の流行があります。
この発想はもともと、「エビデンスに基づく医療」モデルが参考になっているようです。つまり、教育システムを医療並みに進化・向上させて確実性を高め、グローバルな競争に対応しようという考えが前提になっています。しかし、その発想の長所・短所について、2010年代半ばから専門家によっていろいろな議論がなされています。
どのような事柄に対しても、エビデンス(科学的根拠)を用いて意思決定・行動することがよいかといえば、そうともいえません。
とくに、計画・行為の確実性が伴いにくい教育という営みにおいては、状況や場合に応じて柔軟に判断し行動することが求められます。明確なデータや根拠をもとに緻密な計画を立てても、不確実性から逃れられない事態は起こるからです。エビデンスにばかり左右されてしまうと、重要な視点を見落としてしまうこともあります。
教育とエビデンスの関係
教育界におけるエビデンス重視の風潮に対して、いち早く多角的な考察を行ったのが教育学者のガート・ビースタです。彼は、エビデンスが教育政策をはじめさまざまな教育実践に重大な影響を与えてきたとして、次のように指摘しています。
- 「事実かもしれない」という単なる仮説や意見に基づいた議論よりも、実証的なデータに基づいた議論ができるようになった点で、エビデンス重視はある程度有益であった。
- 一方、「教育の決定は、事実に基づく情報だけで可能だ」という印象を与えている。
このように指摘したうえで、特に次の2点に留意する必要があるとしています。
1つは、教育において「何がなされるべきか」を決定するためには、まず「何が教育的に望ましいか」について価値判断をしなければならないということです。
2つ目は、私たちが「何かを測定する」場合、「容易に測定できるもの」ばかりを重視し、「測定できるもの」を「価値あるもの」としていないか、ということです。このことは、「私たちが、ほんとうに必要な価値あるデータを実際に測定しているか」ということを意味します。もし、収集しやすいデータばかりが尊重され、手段であるべきデータ収集が目的になっているとしたら問題です。
ビースタが指摘していることは、「よい教育とは何か?」を問うことがおろそかになると、「データや統計、成績のために意思決定を下す」という危険な状態が生じてしまうということです。