授業の常識を疑おう!<思考のタガを外すありえない授業vol.2>
中学・高校の美術教師として行ってきた自身の授業内容を一般向けに書き下ろし、19万部突破のベストセラーとなった『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)の著者・末永幸歩先生。浦和大学こども学部で教員志望の大学生に「ありえない図工の授業!」と題して展開してきた授業をレポートします。今回は、大学で行われた模擬授業に密着しました。
【関連記事】授業の概要はこちらの記事をお読みください。
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授業づくりはアートです!
目次
「絵は筆を使って描く」という常識を疑う
学生たちが考えた「ありえない授業」は、最終的に小学生を対象に30分間の授業としてオンラインで実施されます。それに際し、大学の講義ではそれを15分に短縮した試作として模擬授業を行い、クラスのみんなからフィードバックをもらうということを行いました。
あるチームが疑った”図工の当たり前”は「筆を使って絵を描く」ということ。
絵の具を溶かした色水を入れたスプレーや歯ブラシ、シャボン玉の吹き口などを用意して、思うままに手を動かし、できたものを鑑賞するという模擬授業を行いました。
「僕たちが疑った常識は、絵は筆で描く、ということ。そして、画用紙に描く、テーマを決めて描く、ということでした。今回は模擬授業だったので画用紙に描きましたが、本番は、教室の壁や床に模造紙を貼って、バケツの中の絵の具を撒き散らしたり、スプレーで色を吹きかけたり、水鉄砲を使ったりという授業ができたらいいなと思っています」と、この日の授業者の学生は語っていました。
模擬授業後のフィードバックで、「汚れる」という意見が出たことについて、「確かに、今回はオンライン授業で協力してくれる教室に片付けもまかせることになりますし、実際にここまでお願いできるかは、わからないですね…」と授業者の学生が不安になると、末永先生は、「すぐに妥協しないで。最終的に制約があったとしても、それまでは自分で制約をもうけないように。例えば、色水だと難しいかもしれないけれど、ただの水ならできるかもしれない。和紙に水をかけたら模様になるなとか、そんなふうに考えてみては?」と、アドバイスをしていました。
ちなみに、後日、最終的にこの授業がどうなったのかを末永先生に聞いてみると…
「彼らは最終的に、そもそもどうして教室に落書きをしてはいけないのだろう? という問いに行き着いたんです。でも、現実として、協力してくれている教室に落書きはできないねということになって、じゃあどうしたかというと、段ボールで自分のロッカーに見立てたものを作って、自分のロッカーに思いきり落書きをするような体験をしてもらおう、ということになったんです。使う道具も、お好み焼きのマヨネーズをかける道具とか、いろいろなものを用意して。沖縄まで送ったので、送料が……すごいことになりましたが(笑)、私はあえて何も言わずにずっと見守っていました。子どもたちはとても楽しそうでしたよ」(末永先生)
「絵は最初から最後まで一人で描くもの」という常識を疑う
次のチームが疑った常識は、「絵は最初から最後まで一人で描く」ということ。一人の子供が画用紙に黒いクレヨンで自由に点や線を描いたものを別の子供に渡し、それが何に見えるかを考えながら色を描き加えて作品を完成させるという授業。他人の手で無造作に作られた形から想像したものを描くのが特徴です。
授業後は、他人の描いた線から発想して作品を仕上げると言う視点が、面白いと話題になりました。
この授業後、授業者が指示を明確にできないことを気にしている姿がありました。しかし、授業当日には、それがかえってあり得ない授業を阻害しないことにつながったという意見が出ました。詳しくは第三回の記事をご覧ください!
「絵を描いて鑑賞する」という常識を疑う
模擬授業を終えて、試作の振り返りを行いました。
末永先生が試作の振り返りのために投げかけた質問は以下の3つです。
1、その授業の根本にある「教育への疑問」はなにか?
2、その疑問から焦点がぶれていないか?
3、慣習的に取り入れただけの活動はないか?
授業の最後に末永先生は「全てのグループに『絵を描くという活動』と『鑑賞』が入っていました。3つの質問にあてはめて考えたときに、これは本当に必要なことでしょうか?」と、改めて学生たちに問いました。
以下、授業後に届いたレポートからの抜粋です。
全ての班が絵を描くことを題材にしていること、また幾つかの班が教室の机や壁に絵を描くことを題材にしていることなど意外にも共通点が多く、もっともっと常識から外していっても良いなと思った。自分たちの班では、「自分たちのやったことのないこと」「やったら楽しそうなこと」だけに焦点を当てて授業を考えたので、「教育への疑問」という部分について一度しっかりと考え直す必要があると感じた。
ありえない授業を作っていくことは大変であると気付きました。ありえない授業でどのようなものをやりたいのかと考える時点で、今までやってきた図工の授業やその他の経験で楽しかったことはなんだろうかと考えてしまい、すでにありえている(経験済みである)授業について考えてしまっている状態でした。ありえない授業なのに、その授業を実行することによってありえてしまうので、「ありえない」とはなんだろうかと疑問に思いました。私自身の捉え方が違うのかもしれませんが悩みました。人間が鳥みたいに空を飛ぶなどの「ありえないこと」は想像するだけで心が躍りますが、それらを実行することを前提に想像してしまうと、飛ぶ道具を開発するなど専門的な知識が必要になってくるので、「ありえないこと」は単純に想像するだけが私的には楽しいのだと考えました。
自分1人だけの考えだけではなく班を作り意見を出し合っていくと多くのアイデアが生まれ自分の考えも変化していくのだと思いました。それにより学びの幅は広がると考えました。人との会話は多くのことが学べるのだと思いました。
ありえない授業をつくることの試行錯誤の様子がうかがわれるレポートです。
「常識は、長い時間をかけて培われるものなので、それに従うことで効率よく社会生活を営むことができます。だからこそ、とても根強いものです。でも、常識は人と人との『合意』であって、それが必ずしも『正解』であるとは言えません。哲学者の三木清さんは『常識に疑問を持てることが良識である』と言っています。盲目的に常識やルールに従うだけではなく、時として物事の前提に疑問を抱き、それを見直していくことが必要なのです。教育においても同様のことが言えるのではないでしょうか。既存の教育の常識は、必ずしも数十年後の教育の常識であるとは限りません。教員一人ひとりが自分の頭で考えてほしい、そんな思いでこの授業を行っています」(末永先生)
末永幸歩(すえながゆきほ)
武蔵野美術大学造形学部卒、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。浦和大学講師、東京学芸大学個人研究員。中学・高校で展開してきた「モノの見方がガラッと変わる」と話題の授業を体験できる「『自分だけの答え』が見つかる 13歳からのアート思考」は19万部を超えるベストセラーとなっている。
いかがでしたか? 次はいよいよ、実際に子どもたちの前でオンライン授業を行い、それを振り返った様子をレポートします。学生たちの果敢な問いの旅路を、ぜひ読んでみてくださいね。
取材・構成・文/福原智絵