ギフテッドへの合理的配慮、担任が最低限知っておくべき2大ポイント

文部科学省の「特定分野に特異な才能のある児童生徒への支援の推進」事業として、教員研修用のパッケージ(第一弾)が完成しました。研修用のパッケージは、どのような意図で作られたのでしょうか? 監修された愛媛大学学長特別補佐(国際連携)・教育学部教授の隅田学先生にお話を伺いました。
目次
ギフテッド概論が、20分のYouTube動画に!
隅田 私は才能教育研究の一環として、幼年児を対象に才能教育プログラムを開発し、提供する「キッズ・アカデミア(Kids Academia)」を2010年にスタートさせるなど、長らく才能教育(education of gifted and talented children)に取り組んできました。
そんな関係上、保護者から相談を受けることはあったのですが、「ギフテッド」という用語がメディア等でも取り上げられるようになり、少し前にある教員の方から以下のような相談がありました。
「保護者から『わが子はギフテッドだと思われるのですが、学校はどのような支援ができるのですか?』と質問されたのですが、どうしたら良いですか?」
ギフテッドの周知が進むにつれ、今後このようなケースは増えると思います。この先生は学校として全ての先生方に知っていただき、学校として対応したいという思いをもたれており、県外でしたが出向いて対面で研修をしました。近隣の教育委員会の方も参加されました。
保護者は勉強してから学校に来る
隅田 保護者は、「わが子がギフテッドかもしれない」と感じたら、自分で調べたり、勉強会に出席したりした後に学校に相談に来る、といった流れでしょう。
それなのに相談を受ける側が、「ギフテッドについての知識はあまりないのですが…」という反応だと、保護者も不安を感じると思うのです。そんな時に……。
「文科省で有識者会議がありましたよね」
「有識者会議では、偏見を生む可能性があるので『ギフテッド』という言葉は使わない方向のようですね」
こういった信頼できる関連知識を先生が少しお話しできるだけでも、保護者の安心感は違ってくると思います。管理職も含め、学校内でまずはギフテッドについて知っていただくために、この研修パッケージを使ってほしいと思います。
研修用パッケージは各20分の動画です。再生速度を変えるとより短時間で見ることも可能です。

研修用パッケージタイトル
各タイトルをクリックするとYou Tubeへのリンクが張ってあります。
- あなたの学校に「特異な才能のある児童⽣徒」が入学することになったら?
- あなたのクラスに「特異な才能のある児童⽣徒」がいたら?
- 才能のある児童生徒は完璧ではない、その凸凹
- 「特異な才能のある児童⽣徒」の多様で⾼い知的関⼼にどう応えるか?〜⾼校編〜
ー 今後はギフテッドへの合理的配慮が求められる機会が増えていくと思います。担任が知っておくべきことには、どんなことがありますか?
隅田 大きく2つのポイントがあります。
ポイント1 先生方の教室の中にもギフテッドはいる
年齢や地域にかかわらず、ギフテッドはどこにでもいます。先生方の周りにもいるんです!
子供たちは知っている
隅田 研修パッケージの動画の撮影時には、子供たちにも協力してもらいました。事前に詳細な打合せをしていたわけではありません。当初、複雑な場面設定もあるので「撮影に時間がかかるだろうな…」と思っていたのですが、いざやってみると、ほぼ一発で撮れました。
★ You Tube動画は再現シーンで構成されており、実在の人物とは関係がありません。
撮影中、子供たちは、こんなふうに言うんです。
これって、◯◯くんのことだよね?
子供たちは、学校生活の中で、「みんなが同じではなく、特異な才能のある子がいる」ということを感覚的にわかっているんだ、と思った出来事でした。
事例は全て現場の声をもとに作られた
私は、教員免許更新講習「才能ある子どもの個性や能力を伸長する教育」で、長らく才能教育の話をしてきました。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の先生を広く受講対象者としていました。
研修パッケージで紹介している事例は、その時の資料などを見返して出したものです。愛媛県の教員だけでも、その講習の中でかなりの数の具体的な関連事例が出てきたという事実を知っていただければと思います。
早速この教員研修用のパッケージを私の大学の授業科目「才能教育論」で使ってみたところ、学部学生であっても、「同級生だった子が…」「言われてみれば、教育実習の時のあの子が..」「塾でバイトしているところにいるあの子が…」と様々に思い当たるようでした。自分自身が研修パッケージで紹介されている子供のような悩みを持っていたと打ち明けてくれた学生もいました。
「特定分野に特異な才能のある児童生徒」という新たな視点は、日本の強みである子供を中心とする教育や授業にさらなる質的向上をもたらしてくれるはずです。
繰り返しになりますが、年齢や地域にかかわらず、ギフテッドはどこにでもいます。
だからこそ、子供を理解しようとする際に、「この子は、ギフテッドかもしれない」という視点を取り入れることが当たり前な社会になるよう、今後も活動を続けていきます。