先師・先達に学ぶ(その6) ー水戸五中・元校長 青木剛順先生の実践(下)ー【野口芳宏「本音・実感の教育不易論」第56回】

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野口芳宏「本音・実感の教育不易論」
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植草学園大学名誉教授

野口芳宏
先師・先達に学ぶ(その6) ー水戸五中・元校長 青木剛順先生の実践(下)ー【野口芳宏「本音・実感の教育不易論」第56回】

教育界の重鎮である野口芳宏先生が60年以上の実践から不変の教育論を多種のテーマで綴ります。連載の第56回は、【先師・先達に学ぶ(その6) ー水戸五中・元校長 青木剛順先生の実践(下)ー】です。


執筆
野口芳宏(のぐちよしひろ)

植草学園大学名誉教授。
1936年、千葉県生まれ。千葉大学教育学部卒。小学校教員・校長としての経歴を含め、60年余りにわたり、教育実践に携わる。96年から5年間、北海道教育大学教授(国語教育)。現在、日本教育技術学会理事・名誉会長。授業道場野口塾主宰。2009年より7年間千葉県教育委員。日本教育再生機構代表委員。2つの著作集をはじめ著書、授業・講演ビデオ、DVDなど多数。


4 初対面の部下への挨拶

記憶というものは、遠のくにつれて自分に都合のよい創作性を以って彩られるらしい。青木先生が教育研修センターで教育相談を担当されていたのは、水戸五中への赴任のかなり前だった。直前は、茨城県小美玉市立美野里中学校の校長として7年を終えて水戸五中に移ったのだった。美野里中学校長としての実績もまた大変なものだったのだが、その実践は割愛せざるを得ない。

水戸市の助川教育長から懇請されて水戸五中への赴任を決意したのは、定年まで僅か2年を残す58歳の折である。その懇請の言葉は「私は教育長として来たのではない。人間助川として来た。私の力になり、私を助けて欲しい。あなた一人が犠牲になればみんなが生きられる。みんなのために死んでくれ」というものだった由。これが、青木先生の「我がために生きることなく、相手を目的に生きる」という人生観とぴたり一致した、と先生は書いている。ここにも、並の人物ではない青木先生の面目が窺われる。

赴任の昭和57年4月1日の朝を先生は、「この日から、5年間に亘ってついていた杖を捨て、スリッパを脱いで靴をはいた。荒れた中学校へ行くからにはみじめな格好では行きたくない」と書いている。前回、私は松葉杖を捨てた、と書いた。間違いをお詫びする。手元に『校長の応援歌』がなかったからである。誰かに貸したままなのか、友人に借りて今は手元にある。

さて、書きたいことの本題は、水戸五中の部下職員との出合いと、そこでの挨拶である。私は、この出合いの描写に強く惹かれる。荒れた学校の職員と初の対面である。「教頭に案内されて職員室に一歩足を入れると、先生方が総立ちで拍手で迎えてくれた。一人ひとりの顔が輝いて見える。期待され、歓迎されていることへの喜びと感動に包まれながら、私は次のような挨拶をした」──ここには荒れた学校の職員という雰囲気は微塵もない。実に清々しい。

この出合いを受けての挨拶が、その出合いをいっそう高質のものにしていく。その全文をそっくりお伝えしたいのだが、紙幅がそれを許さない。不本意だが抄出と拙い補いになることを許されたい。

61人の先生方と、運命をともにして生きる為にこの学校へ参りました。私はいま、総立ちの拍手で迎えていただいたこの感動と、みなさんの期待と歓迎の心情に応え、管理や指導などのレベルを超え、身代わりになっても先生方を守る、先生方と共倒れになっても後悔しないとの信念をもって、ともに生きる運命の絆に結ばれようと念じております

これが、部下職員に向けた第一声である。傾聴する職員は、一つの夜明けを感じたのは間違いない。「運命をともにして生きる為にこの学校に来た」「身代わりになっても先生方を守る」──これまでの、水戸五中の荒れの中で苦闘してきた職員にとって、どんなに嬉しく、温かい言葉として響いたことだろうか、と思う。

青木先生の信条の一つに「教職員の幸せなくして生徒の幸せなし」がある。先生は、「生徒を幸福にする為には、まず、われわれ教職員が幸福になることが先決です。私がひたすら考えることは、どうすればみなさんが安心し、生きがいと張り合いをもち、団結して教育に取り組める学校になるかということです」とも述べている。

「常に子供第一に」「子供の幸せを第一に考えて」──という言葉はよく耳にする。立派な言葉だが、どこか空々しい。どこか空しい響きがある。非の打ちどころがない観念論、机上論、絵空事のようにも響く。

職務に励み、その成果が実り、教師がいつも前向きになれる健全な精神状態にある時、初めて子供を幸せに導くことが叶う。それが本当だろう。不平と不満、猜疑心や妬みが渦巻くような不健全な職場から、子供を幸せに導くことは不可能だ。「教職員の幸せなくして生徒の幸せなし」という言葉には本物の重みがある。

青木先生の挨拶を思い出して先生方は、「あの挨拶を聞いて感動し、ああ、自分は助かった、と思った」「よし、もう一回やってみよう。あの気持ちに応えられれば、結果は失敗でも恐れまい、と心に決めた」──と、後に書いているとも、紹介されている。

イラスト56

5 教育相談の実践に基づく学び

教育研修センターで8年間に亘って教育相談に携わった青木先生は、二つのことを学んだ、と出合いの挨拶で述べている。

一つは、子供や父母や教員と真剣に関わりを持とうとする時、善いか悪いか、優れているか劣っているかの基準で相手を見なくなったこと。そうではなく、自分がどういう役割を取ればよいか、どうすることが相手の役に立てるのかということを自然に考えるようになった

もう一つは、その関わりの中で、相手が駄目に見えるならば、それは相手ではなくて、自分が駄目になっている時であることを体で分かったということ

──と。

この学びとは、いずれも、「他を裁く」のではなく、「自分を裁く」という「利他」、「無私」の心になることと言えるだろう。この学びを、まさに体験を通じて体得され、それを水戸五中に実践的に広げていったのが、青木先生流の学校づくりであった。

この二つを語る時、青木先生の言葉には力が乗り移ったに違いない。それは、青木先生にしか語れない言葉だからではないか。借り物の言葉ではない。私は、このような考え方を「体験的実感論」と呼んでいる。

反対に、書物や観念から生み出した考え方を「観念的机上論」と呼ぶ。

「生徒理解よりも、教師理解の方が大切だ」という名言もまた、まさに「体験的実感論」の典型と言えるだろう。

青木先生は御自身の二つの「学び」を職員に伝えた後で、次のように話をまとめている。

今日からは、この気持ちでみなさんと生きていきます。これから先、この学校で良いこと嬉しいことが起こるならば、それはすべて教職員のみなさんのお陰です。悪いこと困ったことが起こったならば、それはすべて校長である私の責任です

恐れず、逃げず、責任を転嫁せず、真正面から立ち向かい、身代わりになっても教職員を守り、生徒と学校を守ることを約束します

美事な校長訓話である、などと、私如きが言えた義理ではないが、感服措く能わざる名訓辞だ。それも、上から目線ではない。むしろ、下から目線の親しみがある。

私が終生の師、生涯の師と仰いだ内科の医師平田篤資先生は、「最高の話というのは、聞く者に勇気を与える話だ」と言われた。私は、今になっても「勇気」を与える話はできていない、といつも反省している。「元気が出た」と言われたことはあるが、「勇気」とは違うだろう。青木先生の話はまさに、聞く者に「勇気」を与えたそれだと思うのだ。

6 荒れのすさまじさ、離任式の乱

「学校は4月5日の離任式の日まで荒れた」と書き出した内容は大略次の通りだ。

4月5日は、県で一斉に離任、着任がなされる。前任校の教育長、PTA会長などに送られて水戸五中に着任し、自室に引き上げてお茶を入れているところに教頭からの切迫した声の電話がかかる。

登校停止を受けて卒業した数名の生徒が、朝からオートバイで校庭を乗り廻していたが、いよいよ前校長以下9名の転出、退職する職員を乗用車で送り出そうとした時、制止する先生の胸や股をけとばして乱入、大手を広げて車を止め、ボンネットにとび乗ったり、扉をけったりしてへこましてしまった。どうしたらよいか、との問い合わせだった──とのこと。

同じころ、校舎の裏に置いた教職員の車を傷つけている現場をPTAの役員が目撃している。これは前々年度の卒業生らしい。

この離任式は、旧職員の行事であり、その後どうなったかは本には書かれていないが、青木先生は次のように書いている。

「なるほど、これは聞きしにまさる状態だ。ようし、腹を据えてとりかかるぞ」──という思いにかられていた。──と。

7 青木先生の始業式

始業式の前日まで荒れた水戸五中である。青木校長の始業式は次の言葉で始まった。

1536名のみなさんと、運命をともにして生きる為にこの学校に参りました。私はみなさんを責め立てる為に、この学校へ来たのではありません。生命に代えても生徒の一人ひとりを守り、学校を守る為に来たのです。(中略)私の信念を申し上げます。

信念とは、どんなに苦しかろうが、どんなに困ろうが、どんなに辛かろうが、たとえ最後の一人になろうが、絶対に曲げない人間の考え方と生き方のことであります。

三つあるその第一は、あなた方の成績がたとえ5であろうが1であろうが、運動能力が高かろうが低かろうが、姿形が美しかろうが醜かろうが、親の職業が何であろうが、人間としてのねうちはみな同じだということです。一人ひとりが大切な水戸五中の生徒です。一人も粗末にしません。一人も置き去りにしません。

粗末にしないとか、置き去りにしないということは、甘やかすということではありません。それは諦めないということです。勉強ができないからと言って諦めません。運動競技が弱いからと言って諦めません。悪いことばかりする生徒が出ても絶対に諦めません。61人の先生が心を一つに団結し、一人の生徒、一つの出来事を同じ気持ちで受け入れ、最後まで付き合う学校を本気で作ります。みなさん、希望を持ちなさい。挫折するな。やけを起こすな。心を安定させることから我々の第一歩は始まる。一人ひとりが奮い立て。学校全体が奮い立て

『校長の応援歌』では、ここでひとまず青木先生はペンを止め、次のように書いている。

体育館は静まり返った。いったいこの生徒の中に、本当につっぱりがいるのか、と疑いたくなるほどであった。精魂こめて私は続けた。いま、仮に人間の形をとって目の前にあらわれた偉大なるものに仕えまつる気持ちであった

紙幅が尽きる。後は紹介できない。上の最後にある「目の前にあらわれた偉大なるものに仕えまつる気持ちであった」という言葉の中にある「偉大なるもの」とは、この日の式場にいる水戸五中の全ての生徒のことである。昨日まで荒んだ光景を見、その中で辛い日々を送ってきた、また、自ら荒んだ言動を以って学校を混乱させてきた生徒もいる。それらの全てが「静まり返った」のだ。青木校長は、その「偉大なるものに」「仕えまつる気持ちであった」と書いている。崇高な心境である。

前回は、「水戸五中丸」の話を書き、「札つきのつっぱり達が、どやどやと校長室に押しかけた」とも書いた。実際は、礼を弁えた入り方だった。私の記憶の歪みを深くお詫びする。青木剛順校長の実践と人格のほんの一端しか伝えられず申し訳ない。

執筆/野口芳宏 イラスト/すがわらけいこ

『総合教育技術』2022年秋号より

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