指導の「型」に明確な意図をもっているか【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㉒】

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全国「授業実践レポート」 取材こぼれ話
取り組みは明確な意図をもって【全国小学校授業実践レポート 取材こぼれ話㉒】

授業を自分の言葉で語ることと、ある学校の実践

前回、自分自身の授業を自分の言葉で語ることの大切さについてお話をしました。そこで、今回もそれに関わる、ある学校の実践と、校長先生のお考えについてお話をしたいと思います。

10数年前、コミュニケーションの型を導入したある学校

それはもう、今から10数年前で、現行学習指導要領についての諮問も行われていなかった頃のことです。

ある県の教育委員会に取材先についてご相談をし、同県で積極的に実践研究をしているというある小学校を紹介していただきました。そこで紹介された学校の校長先生は、元県教委の指導主事であり、現場に戻ってから学校の指導改善に積極的に取り組んでおられるようでした。

その学校が主に取り組んでいたのは、コミュニケーションを大切にした学びということでした。現在なら対話の重視ということになるのでしょうか。ただ、当時はそのような用語が使われてはいなかったわけです。

取材では、学校全体の取り組みについてお話を伺う前に、一つの学級の授業を見せていただくことになりました。それは、中学年の国語の授業だったのですが、授業中に誰かが発言すると、それを聞いていたクラス中の子供たちが、いっせいに「うんうん」とか、「そうそう」というような相槌を打つのです。

実は、そのようなコミュニケーションの型を決めて、全校、全学級で実践するような取り組みは、それまでにも何校かで拝見したことがありました。ただ正直に言えば、私自身、その種の取り組みを拝見した当初から、違和感が拭いきれずにいたのです。

「コミュニケーションの取り方って、人ぞれぞれ異なっていいものであるはず。なぜ、全員が同じような型に沿って行う必要があるの?」というのが端的な私の感想です。誰かの意見に同意するとき、黙ってうなずく子がいたっていいし、「そうだよね~」とか、「そういう考えもあるのか~」など、いろいろあっていい。一人ひとりの個性はもちろん、自分自身の思考や判断の状況によって、反応の仕方は異なってくるはずのものだと思うのです。

ちなみに、その授業自体は、若手の先生が一生懸命頑張って行っておられました。ただし、そのコミュニケーションの型というものに対し、最後まで違和感が残ったままでした。そこで、授業を拝見した後、学校の取り組みについて概要を伺ってから、校長先生にこうお話をしてみました。

「正直言って、私はコミュニケーションの型というものがあまり好きではありません。私個人としては、子供一人ひとりの立場や考え方、そして個性によってコミュニケーションのとり方はいろいろあってもよいと思うのです」と私。

「そういう考え方もあるでしょうね」と校長先生。

「そういう考え方もお分かりのうえであえて、このコミュニケーションの型を導入されているのはなぜですか」と私。

それに対する校長先生のお答えは、およそ次のようなものでした。

その学校では校長先生が赴任して来られるまで、先生と子供、子供同士のコミュニケーションによって考えを広げたり、深めたりする取り組みがあまり行われていませんでした。それは、子供の側はもちろんのこと、若い先生が多いため、先生の側にもその意識が根付いていなかったとのこと。そこで、まず誰かが発言したら、それに何らかの反応を返すというコミュニケーションの基本をしっかり根付かせるために、型を導入したと言うのです。

明確な意図をもった取り組みは移行・変更が可能

さて、これを読んでくださった先生方ならば、この校長先生のお答えに対して、どんな言葉を返されるでしょうか? ちなみにそのとき私は、「そうですか。それならば、よく分かりました」と申し上げたのです。

正直言って、こうしたコミュニケーションの型自体が、あまりよいと思わないという私の考えは変わりません。実際に型を導入した後、その型が抜けずに苦労されているという実践も見聞きしたこともあったのですから。

しかし、明確な意図をもって実施されているのだとすれば、その意図したことが達成されれば、次の取り組みへと移行されるでしょう。あるいは、その方法では達成できないことが見えてきたら、別の方法に変えていけることでしょう。そういう校長先生の姿勢が見えたからこそ納得したわけです。

ここで重要なことは明確な意図をもっているということです。それがあるからこそ、それを達成するために実践し、達成されれば次の段階へと進み、その方法で達成できなければアプローチが変えられるのです。

優秀な先生の授業では、一つ一つの学習活動から明確な意図が見えてくる。
優秀な先生の授業では、一つ一つの学習活動から明確な意図が見えてくる。

その姿勢は、一人の先生の姿に落とし込めば、まさに1時間の授業をどのような意図で、どうアプローチしたかを語ることに象徴されるのではないでしょうか。それができれば、結果を的確に判断し、次のステージに移行したり、アプローチを変えたりすることもできるのだと思います。

前回、少し触れましたが現行学習指導要領の下では、どの先生も自分の言葉で自分自身の実践について語ることが求められている、と私は思うのです。

【全国「授業実践レポート」取材こぼれ話】次回は、9月23日公開予定です。

執筆/矢ノ浦勝之

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