困りごとを話さない子供へのアプローチ~多様性を受け入れるクラスづくり(第3回)~加藤典子先生×高山恵子先生対談
「多様性を受け入れるクラスづくり」をテーマにした、文部科学省特別支援教育調査官を務める加藤典子先生と、NPO法人えじそんくらぶ代表・高山恵子先生による対談の第3回(全6回毎週火曜日公開)。
今回は、困りごとを自分から話さない子や不登校児への対応、さらに教師の多様性や教育の平等についても考えていきます。
加藤典子(かとう・のりこ)文部科学省初等中等教育局特別支援教育課特別支援教育調査官。鳥取県出身。鳥取県の公立小学校で教員を14年間務めた後、鳥取県教育委員会特別支援教育課指導主事(LD等専門員)や鳥取市教育委員会学校教育課主査などを経て、令和2年度より現職。
高山恵子(たかやま・けいこ) NPO法人えじそんくらぶ代表。臨床心理士。薬剤師。昭和大学薬学部卒業後、約10年間学習塾を経営。1997年アメリカトリニティー大学大学院教育学修士課程修了(幼児・児童教育、特殊教育専攻)。’98年同大学院ガイダンスカウンセリング修士課程修了。木村泰子先生との共著『「みんなの学校」から社会を変える』(小学館新書)など、著書多数 。
目次
自分から困りごとを話さない子には、共にいることから始めよう
高山先生 (困っているのに)自分からいろいろ話してくれない子もいますよね。特に高学年の方がしゃべらないですね。話さない子供にはどんなアプローチがありますか?
加藤先生 長期間不登校だった子をうけもったことがあって、やっぱりしゃべらないんですよ。何だったら一緒にできるかなと思って、その子は絵を描くのが好きだったので、家庭訪問にいったとき、黙って一緒に絵を描くことをやってました。なんとなく隣にいてもいやがられないかなというときに、同じ場で何か共通のことをして、同じ時間を過ごすということは、きっかけになるんじゃないかなと思います。
高山先生 すごく重要ですよね。言語を使わないけれども、ただそばにいるということは。同じ場にいて同じことをするということは、そこに交流はまだないけれど、交流の一歩手前、パーテンの社会性のレベルの平行遊びですね。
加藤先生 ただ、担任の先生だとなかなか時間的な余裕がないんです。
高山先生 あと、教えたくなっちゃうんですよね。教えるのが仕事だから。
加藤先生 まずは共にいる、ということが大切ですよね。
高山先生 そうですね。先生と一緒にいてもいいかなと思える空間づくりがとても大事で、それから段階的に信頼関係が深まっていく感じです。逆に先生が苦手で、子供が得意なことだとそれができますよね。先生はちょっかいを出さずに、すごいね、どうやってるのか教えて、と聞いてみたりしてもいいかもしれないですね。
加藤先生 その子は次の学年の先生にお任せして、その先生が対応してくださいました。
高山先生 不登校だったら、3日で解決するということはありません。学年間の連携というのがすごく重要になってくると思います。一人で頑張らないというのがキーワードになりますね。
加藤先生 そうですね。その子は高学年でしたけど、学校の体制の中で空き時間をつくってもらって、家庭訪問に行けたんですよ。11時ごろが本人にとってよい時間だったので、その時間に。これはありがたかったですね。そういうことは自分一人では決定できませんからね。
教育の平等とは、個の能力に合った課題の選択と支援が公平であること
高山先生 あとは先生との相性もありますね。先生にも多様性があるから、そこをうまく活用できるといいですね。例えば、教科担任制にすると、いろんなタイプの先生に出会うから、自分に合った先生誰にでも話していいよ、というような仕組みがあるといいですね。
加藤先生 小学校は特に担任の先生の影響が大きいから、合わないとつらくなっちゃいますよね。
前回の「違う」という話を聞きながら、そうだなと思ってたんですけど、日本は文化的に均質性が大事にされてるところがあって、少数派は居心地が悪い場面があると思うんです。「違うということはマイナスじゃない」という発想自体がなかなか出てこない場合もあります。
高山先生 やっぱりそこからですか。
加藤先生 同じことができることが評価されるみたいなところが、まだあります。
高山先生 地域差があるように思います。同じことをさせる努力ではなく、それこそ個別最適化にどうやって変化するかが、すごく重要だと思います。私はそれが、宿題からできると考えているんです。コロナで自宅学習の機会も増えた経験があるからこそ、今、すごくチャンスだと思うんですよね。先生が、同じ量の宿題を出さなくてもいい、個々にあった課題を出していい、という価値観さえもてるようになれれば、スムーズにできると思うんです。そして、保護者もその考え方に慣れてほしいと思います。
「教育の平等」と言いますが、日本はどうしても、「同じ課題を与える」「同じ条件にする」ということを教育の平等と定義する方が多いように思います。
アメリカは、「その子に合わせた課題を与える」というのが教育の平等という考え方です。個の能力に合った課題の選択と支援が公平で、フェアであると。だから宿題が違うのは当たり前です。移民の子もいるし、習熟度別の授業もグループに分けて、通常クラスでやりますから。「違う」という多様性を受け入れると、日本でもできるんですよね。
加藤先生 それでいいよと先生が言えるかどうかですね。
高山先生 特別支援とインクルージョンでは、それをいいよと言ってもらわないと何も進みませんね。
加藤先生 例えば、本を読むとき、中身を理解することに目標があるんだったら、本来読んでるときの姿勢にこだわる必要はありませんね。でも、背筋を伸ばして読みなさいとか、見た目を整えとかなきゃダメっていうのが何かあるのかなぁと思います。そういう固定観念から崩していかないといけないかもしれませんね。
高山先生 「姿勢にこだわる必要はありません」と、文部科学省の先生に発言いただけたら、発達障害の子はかなり楽になります。教育の目標や目的は何か、というところですね。次回はその点について、お話をお聞きしたいと思います。
〈第4回に続く〉
バックナンバーもチェック!
・第1回 学びの多様性とは?
・第2回 「違い」をプラスに捉える教育
構成/平田信也 撮影/横田紋子