【国語】文学作品の基本的な教材研究のしかた

「教材研究」という言葉、よく聞くものの、自信を持ってこういうものだと答えられるでしょうか。30年以上現場教師として活躍し、現在全国の公私立小学校で若手教師の育成をしている多賀一郎先生に、国語の文学作品の基本的な教材研究のしかたについて教えていただきました。
執筆/追手門学院小学校講師・多賀一郎

目次
教材研究とは何か?
そもそも、教材研究とは何でしょうか? 文学教材について述べてみましょう。
教科書を使うという前提に立てば、教材研究とは、教科書の教材を授業へと組み立てていくための過程のことを言います。
もちろん、その研究の過程で教科書よりも目標に合う教材があれば、差し替えても構わないのです。
まず、文学の授業では、その目標が曖昧です。「わかる」「できる」という状態が明確でないのです。
例えば、「場面の様子に気を付けて、人物の気持ちを想像しながら読むことができるようにする」なんて、どこにもはっきりとした子供の姿がイメージできない目標ですよね。子供たちが「想像しながら読めている」という評価を、いったいどうなれば下せるのでしょうか?
その曖昧な目標に向かって、教材文を読み解いて、授業へと組み立てていくのです。
「教材研究の仕方が分かりません。」
という声が出るのは、当たり前だと言ってよいでしょう。
だから、こういう曖昧な目標を、より具体的な子供の姿・活動に置き換えていくことが、教材研究の第一歩なのです。
文学教材:「場面の様子に気を付けて読む」とは?
例えば、4年生の教材『一つの花』(今西祐行著)において、「場面の様子に気を付けて読む」というのは、どういうことなのでしょうか?
それは、教材文がいくつの場面に分かれるかを考え、その場面ごとに情景描写の表現を正確に読み取ることができるのかと考えていくことです。
そのために、目の前の子供たちが、「防空壕」「空襲」「配給」というような戦時中の用語をどうとらえられるか、そして、それらの言葉をどういう形で教えていくのか/教えなくてもよいのか、などということを考えていくのが、教材研究になるのです。
文学教材:「人物の気持ちを想像しながら読む」とは?
さらに、「人物の気持ちを想像しながら読む」ためには、場面のどこをどう切り取っていくのか、登場人物の設定をどう読み取るのか、などと考えていきます。
ゆみ子の年齢を読み間違って「ゆみ子はわがままだ、お父さんのおにぎりまで食べてしまって。」と言う子供が出てくるかもしれないなど、子供たちの思いや発言を想像しながら読んでいくことも必要なのです。
教師自身をも鍛えていくのが「教材研究」
このように見てくると、国語の教材研究においては、ある程度の国語力がないと、なかなかうまくいかないということがわかるでしょう。
どういう言葉を見つけて取り出すのかは、高い言語感覚が必要になってくるからです。
若い先生方には簡単なことではありません。今は、何度も読み込んで辞典などで調べて⋯ということを繰り返しながら、教材研究をする力もつけていくのだと考えましょう。
国語の教材研究は、教材を詳細に調べていく過程で、同時に教師自身をも鍛えていくものなのです。
教材と親しくなることが第一歩
さて、教材文と出合った時、さっと読んで自分の好きな教材文もあれば、あまり好きではない教材文もあるでしょう。好きなら一生懸命教えて、嫌いなものは適当でいいというのは、プロフェッショナルの考え方ではありません。
どんな教材であっても、その教材と教師自身がまず親しくなること。そこから出発するべきです。教材との関係を深くしていくのです。
「サッカーが嫌いだから、ボールはほとんど蹴ったことがない」という子供は、いつまでたってもサッカー好きにはなれません。ボールをともかく蹴って遊ぶことによって、サッカーに親しくなっていくのです。
また、人と親しくなるためには、その人との交流の時間を増やすしかないですよね。
教材と親しくなるためにも、教材と集中して向き合う時間がなくてはならないのです。自分との距離が遠いものとは親しくなれません。教材と自分とを近づけるための時間を作るということです。
文学教材との向き合い方
教材と親しくなる方法としては、まずは音読、黙読、微音読。何度も繰り返し読むことです。めんどうな作業です。忙しければ一回だけでもいいじゃないかと思う教師もいるでしょう。実際、何度も教材文を読み込む教師は、それほど多くありません。
しかし、読み込んできた教師の授業は、各段に質が高くなります。当たり前ですよね。どこに何が書いてあるか、頭の中に完全に入っているのですから。
ただし、何度も同じものを読むという行為は、読むこと自体にマンネリを生じます。人は、同じことの連続ということに飽きてくるものです。
したがって、同じものを繰り返し読みながらも、その一回一回に観点を持って読むことを勧めます。
1回目:教材との出合いを楽しむ
1回目は純粋に教材との出合いを楽しみ、初発の感想を書いてみるのです。
僕は『スイミー』も『ごんぎつね』も『一つの花』も6回ずつ授業をしましたが、教材に向き合うたびに全て初発の感想が違っていました。
文章は、読んだ時の自分の年齢や状況によって、感じ方が変わるものなのです。
2回目:自分のクラスの子供にとってわかりにくい言葉・表現を拾い上げる
2回目に読むときは、今、自分が担任する子供たちにとって読みにくい言葉、分かりにくい表現がないかどうかを考えながら読みます。
例えば、「だんじり」という言葉が出てきたとき、岸和田の子供たちには説明は一切いらないし、「さとうきび畑」のイメージは、沖縄の子供たちなら、確かに描けることでしょう(これを『メタ認知』といいます)。
だから、教材文を読むときは、自分の担任している子供たちを頭に置いて読むのです。
3回目:「表現の美しさ」を拾い上げていく
3回目は、心に残る表現に線を引きながら読みます。
文学の値打ちは、その表現の美しさにもあります。表現の美しさは、子供たちに教えたい大切な国語の「エキス」です。