GIGAスクール構想スタート前に教員がすべきことは?
ビジネス界のマインドや手法を教師の仕事に落としこむエッジの効いた発信で多くの若手教師に支持される、さる先生こと坂本良晶先生の連載。今回は、「GIGAスクール構想」が前倒しになった今、紙と鉛筆を使ってできる「教育観のアップデート」の必要性についてのお話です。
執筆/京都府公立小学校教諭・坂本良晶
目次
教育観をアップデートする
日本の教育界では、休校期間中の機能不全に対する反省から、GIGAスクール構想(※)の前倒しが進んでおり、来年度にはほとんどの学校において本格的に運用がスタートすることが予想されています。
しかし、教育に対する観が古いまま、新しいテクノロジーが学校にやってきても、本質的には変われないという問題が起こるのではないかと危惧しています。
今回は、「GIGAの夜明け前にすべきこと」というテーマで、「教科書とノートを使い、教育観をいかにアップデートしていくか」ということについて考えたいと思います。
※GIGAスクール構想 …Global and Innovation Gateway for All。多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、子供たち一人一人に公正に個別最適化され、資質・能力を一層確実に育成できる教育ICT環境を実現すること。
タブレット=新たな文具として
先日、とある学校におけるタブレットの活用に関する1枚の写真が話題を呼びました。
全員の子供たちがタブレットを使って板書の写真を撮っているという写真です。そこでは、教師が使い方を指示し、子供たちがそれに従いタブレットを操作しています。
ここには確かな「観のズレ」があるように思います。
よく、「タブレットを教具から文具へ」というのが、学校における本質的なICT化へのキーワードとして叫ばれています。
ここでの捉え方は、教具 = 教師が教えるためのツール、文具 = 子供たちが主体的に学ぶためのツールというものです。
上記板書の例では、子供たちは極めて受け身的に、ただ板書を機械的に写すだけの道具としてタブレットを使い、新たな文具としての本質的な活用にはなっていないと言えます。
他の事例としては、算数の時間に一斉授業をした後、「今からタブレットでドリルの3番をやりましょう」と指示して、全員が同じ適用題に取り組むというパターンなどが挙げられます。
これも同じで、結局、紙のドリルがタブレットの画面に置き換わっただけであり、本質的にタブレットを活用できているとは言えないでしょう。
このように、観がずれたままタブレットが導入されても、「紙のノートが機械の板に置き換わっただけ」という状態になってしまいます。
宿題で「学びの観」の土台を作る
では、本質的活用を見越して、紙の教科書とノートしかない現場で今できる事は何か。
それは、まず学び手と教え手がともに学習観をアップデートし、土台を作ることです。
「勉強は教師が教えてくれるもの」という観からの脱却、まずはこのアプローチをする必要があります。
僕も含めてそうですが、休校期間中、多くの教員が各家庭を回って学習プリントを配布しました。休校スタートのタイミングが最悪で、新しい学年の子供たちに何一つ指導することなく新年度がスタートしたため、うまくいったとは言えないのは仕方のない面があります。
世間では、日本はICTの整備ができていないことについて取り沙汰されていましたが、問題の本質は、子供たちに自律的に学ぶ力を授けるというアプローチを公教育がやってこなかったことにあります。
自律的な学びの力をつける漢字学習
その土台作りの足がかりとして、漢字の学習は最適です。漢字学習は読み書きという観点から、そのコンテンツ自体も非常に重要ながら、学び方を学ぶための手段としても有効です。
葛原祥太先生が提唱した『けテぶれ学習』は、子供たちが自律的に学ぶためのファーストステップとして最適です。流れを簡単に説明すると以下のようになります。
け(計画)
その日の学習のゴールを書く。
例:「ユニット3の漢字を全て覚えられるようにする」
テ(テスト)
学校で学習した新出漢字を書けるようになっているか自分でテストをする。
ぶ(分析)
自分で丸つけをし、正しく書けているかチェック。そして何をどう間違えたのか、学び方はどうだったのかといった視点で分析をする。
れ(練習)
分析を受けて、自分に必要な練習をする。その子が必要と思えば30回同じ漢字を書いてもいいし、もう大丈夫と思えば次のユニットの予習をするのもよい。
定型的な漢字の書き取りの宿題は極めて受け身的で、子供を思考停止に陥らせるという面が潜んでいます。なぜなら、そこにある基準は、漢字が「丁寧か」「正しいか」という2点のみに集約され、それを教師が花丸で評価するという構図になり、子供自身が「学び方を学ぶ」という視点が完全に欠落しているからです。これは重大な機会損失にあたると思います。
このように、漢字をツールとして、自律的に学ぶ思考を育み、それを土台としていくアプローチは再現性が高くお勧めです。
授業で自律的な学びへシフトさせる
宿題で学習観をある程度養うことができたら、次は授業において自律的な学習へとシフトさせていきます。これは、言い換えると「学びを自然化」していくことです。
算数を具体例に挙げるならば、既に完全に分かっている子も、全然分からない子も、一定のスピードの前へ進むベルトコンベヤに乗せられて学んでいる状況があります。
本来、「僕はもっとできるから先の勉強をしたい!」「私はまだここができないからもっとじっくり練習したい…」といった、学びに対する自然な欲求があるはずです。
現実問題として、そういった個別の欲求に対応することはできないため、一斉授業という選択肢を取らざるを得ないのです。
しかし、1人一台のタブレットが届くことにより、そういった問題を解決できる可能性が大いに高まるわけです。
そこで、子供たちに学びのハンドルとアクセルとブレーキを委ねる授業の在り方について、紙の教科書とノートを使って今できることを、算数の習熟の時間を例に提案します。
算数の習熟の時間の「けテぶれ」学習例
け(計画)
授業のはじめに、この一時間のゴールは何なのかを全体で確認します。
『ゴール = この単元の問題が解けるようになること』
テ(テスト)
個別でプレテストを行います。
ぶ(分析)
黒板に貼った答えを見て、子供たちが自分でプレテストを丸つけするシーンをとにかく観察します。そして、どこをどう間違えたのかをしっかりと自分の言葉で分析(ぶ)できているのかを確認します。できていたら必ず価値づけします。できていなければファシリテートします。
れ(練習)
その上で、自分に必要な学習を自己調整を働かせながら取り組みます。ポイントは、自分の苦手な部分にあったプリントができるよう、複数種類のものを用意することです。Cの問題を間違えた子供はCの問題に対応した物を自分で選び練習をします。また、同じプリントを2回やる子もいるでしょう。別にプリントじゃなくても、教科書の問題をもう一度やるのでもいいでしょう。
自己決定の経験を
このように、「教師から一方的に課されたプリントをひたすら消費していくという学習」ではなく、「自分の課題を振り返り、自分ですべきことを考えて学ぶ」という経験をさせることが必要だと考えます。
多くの場合において、子どもたちが授業中に、「自分が何をすべきか?」と自己決定する機会が少ないと感じます。少しずつ自分で学んでいくという、子どもの「学びの観」を今からつけていくことが、GIGAの夜明け前の今、すべきことの一つなのではないでしょうか。
1983年生まれ。京都府公立小学校教諭。前職では大手回転寿司チェーンで店長として全国売り上げ1位を記録するという異色の経歴をもつ教師。「教育の生産性を上げ、子どもも教師もハッピーに。」を合い言葉に日々発信するTwitter「さる@小学校教師」のフォロワー17000人以上。著書に『全部やろうはバカやろう』(学陽書房)、『MISSION DRIVEN』(主婦と生活社)などがある。