47都道府県縦断!全国オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業 #1 どんな言葉をかけますか?

全国各地の「ひと・もの・こと」を教材化し、子どもたちの思考、価値観を大きく揺さぶる道徳授業をつくる。さらにそれらを集めてアーカイブ化しようという野望に満ちたリレー連載がスタートします。記念すべき第1回の執筆者は、北海道函館市の藤原友和先生です。
編集委員・執筆/藤原友和(北海道函館市立鍛神小学校教諭)
目次
はじめに
みなさん、こんにちは。
北海道・函館市で小学校の教員をしております、藤原友和と申します。
この度、「みんなの教育技術」において、『全国オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業』という連載を始めることになりました。開始にあたって、企画書ではその趣旨を以下のように述べています。
地域教材には力がある。子どもたちが直に触れられる「ひと・もの・こと」には、地域の中で生きてきた人の営み、自然の豊かさ、受け継がれてきた大切な価値が宿っている。それらに心を動かされた教師が授業化することにより、地域教材は熱を帯び、子どもたちに伝わるものになるだろう。
また、その授業は明るく楽しいものばかりではないかもしれない。時には生きることのつらさや自然の厳しさを伝えるものが含まれることもある。しかし、その場所に確かに生きた人がいた。そして、今も暮らし続けている自分がいる。その意味を自分の人生や価値観と重ね合わせながら考えることは、道徳科の学びに深みをもたらす。
本企画では、そのような地域教材を全国から集め、アーカイブ化することにより、教師同士が互いに学び合える土台を築く。単なる教材集ではなく、「この教材は誰が、なぜ、どのように授業化したのか」という背景や思いも併せて記録することで、教材が持つ物語性と説得力を損なわないようにする。さらに、アーカイブは道徳科の授業設計の参考資料としてだけでなく、総合的な学習や国語、社会など他教科にも横断的に活用できるよう構成する。地域固有の歴史や文化を扱う教材は、学びの垣根を越えて子どもの心を揺さぶり、価値観を広げる力を持つ。
全国の現場から寄せられるオリジナル地域教材は、それぞれの土地の風土、文化、そしてそこに生きる人々の息づかいを反映した「生きた教材」として記録される。本企画は、そうした教材の宝庫をつくり、未来の教育現場に継承する試みである。
(企画趣意書より)
「こんな場所があったんだ」「そんな人がいたから、今も続いているんだね」という、地域の宝を発見した時の子どもたちの表情を思い浮かべてみてください。このまちに生きる一人の人間として、なんとも心温まる瞬間ではありませんか。
そんな瞬間は、全国津々浦々、どこにでも生まれているし、これからだって生まれていくのだろうと思います。しかし、それは一回限りの儚いものであるという側面もあります。一期一会だからこそ美しい。そういう側面もあるでしょう。
ただ、その場限りで消えていくにはあまりにももったいないと思います。
広く共有されれば、「地域の宝に触れて、子どもの表情が輝く瞬間が生まれる可能性」が高まるはずだからです。
そういった発想から、全国の地域教材を用いた道徳の授業を集め、ここにアーカイブ化していこうと考えました。どうぞよろしくお付き合いくださいませ。
1 教材について(北海道・函館市)
北海道・北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産に登録されてから4年が過ぎました。今回授業化した「足型付土版(あしがたつきどばん)」は、世界遺産を構成している一つ、北海道函館市南茅部地区「垣ノ島遺跡」からの出土品です。国宝である中空土偶の展示室の一つ手前にそっと置かれている目立たない展示品です。この小さな土版を見た時の衝撃を、私は今でも覚えています。
その日、私は小学校に上がる前の長男と、幼稚園に入園したばかりの長女を連れて、ドライブがてら函館市縄文文化交流センターに向かいました。館内に入り、数々の出土品をもの物珍しく眺めながら、さあ、いよいよ次の展示室で国宝を拝めるぞ、と歩を進めました。ふと、この展示をみると、案内板にはこう書いてあったのです。
足形付土版:子どもの足形などを押しつけた粘土製の板。幼くして亡くなった子どもの足形や手形をとり、紐を通して住居に飾って、その親が亡くなった際に一緒に埋葬したとみられています。
私が今手を繋いでいる我が子が、ダウン症児として生まれてきたこと。生まれてくる時には母子ともに危険な状態になり、一命を取り留めて今ここにいること。生まれから今までの様々なことがフラッシュバックしてきて、しばしの時間、この展示の前から離れられなくなったのでした。
極めて個人的な体験ではありましたが、「亡くなっても、ずっと側においておきたい」という縄文人の心。そこから命について考えを深められるきっかけになるのではないかと思い、教材化することとしました。
2 授業の実際〜ずっとそばに置いておいたもの〜
対 象:小学6年
主題名:つながる命
内容項目:D-19 生命の尊さ導入 「皆さんは、ずっとそばにおいて大切にしているものってありますか?」
- スマホ
- ゲーム
- 大会で優勝した時のトロフィー
- 推しのグッズ
「なるほど、よく使うものとか、記念のもの、それからお気に入りのものがそれに当たるようですね。」
「これは、誰にとっての大切なものだと思いますか?」
以下の写真を提示します。
函館市縄文文化交流センター所蔵「足形付土版」。筆者撮影。 提示した瞬間に、「足だ」という声が上がりましたので、次のようなやりとりをしながら画像について話し合いをします。
「よくわかったねぇ。どうしてすぐにわかったの?」
「だって、指がついてるよ」
「小さいから子どもの足じゃない?」
「足の指のつき方をみても、指と指の間が開いているし、全体的に丸みのある形をしているね。その通り、子どもの足です。」
ここまでのやりとりをしていても、まだ「?」という表情を浮かべている子どもがいます。そこで、足の輪郭を指でかたどって見せて、足の形になっていることを改めて確かめます。
発問1「これはなんのためのものだと思いますか?」
- 子どもが生まれた記念にとっておいた。
- 毎年つくって、成長を記録した。
- 身長を測る機械。穴のところに棒を差して使ったんだと思う。
- 表札みたいな感じ? 家の玄関において「この家に住んでいる人ですよ」って。
子どもたちは自分の生活経験の中から答えを類推し、考えています。中には自分の生まれた時の足形が色紙に写し取られ、出生体重や命名の文字と一緒に額に入れられ飾ってあるという子もいました。
総じて子どもたちの考えは、出生や成長の喜びを表すもの、もしくは生活に役立つものと考えている様子が見受けられました。
説明
ここで、次のように説明します。
◯ 今から約6,500年前(縄文時代)のお墓から出土したこと。
◯ 裏面に手形がついたものも見つかっていること。
◯ 手形や足形は、幼くして亡くなった子どものものであること。
◯ 穴には紐を通して住居の中に吊るされていたと考えられていること。
◯ 出土した墓は大人の大きさであること。
◯ 親が亡くなった時に、子どもの思い出とともに埋葬されたと考えられていること。※1
この説明を聞いて、教室はシーンとなりました。
それはそうです。先ほどまでは誕生記念のような「生きる喜び」に満ちた明るい話だと思っていたわけですから。途端に、この粘土板の見え方が、先ほどまでとは変わってきます。
「家の中に吊るしてあったということは、生活しているとたまにふっと目に入るんですね。そんな時に、生きていれば何歳だったなぁ、とかそろそろ狩りの仕方を教えていた頃だったなぁ、などと考えていたのかもしれないですね。」
「なんか、悲しいね。」
「この粘土板は「足形付土版(あしがたつきどばん)」と言います。函館市縄文文化交流センターに展示しているのですが、その展示場所はというと…。」
「どこ?」
「国宝の中空土偶の一つ手前にあるんですね。」
函館市縄文文化交流センター所蔵「中空土偶」。筆者撮影。 「それがどうしたの?」
「土偶が作られた理由って、実は今でもよくわかっていないんですよ。いくつか有力な説がある、というだけでね。」
「皆さんの先輩が昨年度、総合的な学習の時間に調べたところによると、『自分のお母さんが死んだ時に、お母さんを思いながらつくった』という説もあるようですよ。※2」
「縄文の人たちは、もう会えなくなってしまった人のことを、こんな形で自分のそばにおいておいたのかもしれないですね。」
発問2 「こうした足形付き土版や土偶に、生きている家族はどんな時に、なんていう言葉をかけたと思いますか。」
・いいことがあった時に、報告した。
・毎日、寝る前とかに、その日にあったことを話しかけた。
・たまに、「ありがとう」って言ったと思う。
・わからない。
・嫌なことがあった時に、聞いてもらった。
・何も言わないで、ただ見ていた。
子どもたちは、想像をめぐらせながら、自分に置き換えて考えているものと思われます。
道徳科の学習指導要領解説にある、「家族や仲間とのつながりの中で共に生きることの素晴らしさ」を、大切な家族の死という裏側から考えました。子どもたちの発言を見ると、命のかけがえのなさについての理解を深め、生命への畏敬の念を育てる時間になったのではないでしょうか。
3 どこにどのようにつなげるか
6年生の道徳科の教科書『生きる力』(日文)には、「命のアサガオ」という教材が掲載されています。白血病を患いながらも懸命に治療に取り組み、8歳でこの世を去った「光佑くん」の最後まで生きようとする姿や、その思いを受け継ごうとするお母さんの行動を通して、命の尊さについて考えることをねらいとした教材です。
報告した「足形付土版」を導入として、「命のアサガオ」におけるお母さんの心情について考えを深めていく授業展開もよいかもしれません。その際、「自分のそばにそっと置く」心と、「たくさんの子どもたちに命の大切さを伝える」心はどこが同じで、どこが違うのか、と多角的に考えることも有効な迫り方ではないかと思います。
また、国語の教科書(教育出版『広がる言葉 6年下』)には、あまんきみこ作の「きつねの窓」が掲載されています。主人公の「ぼく」が、今はもう決して会うことのできない家族のことや、大好きだった女の子のことに思いを馳せながら林を歩くシーンでは、文章からそうした心情を読み取ることと合わせて、この道徳で扱った内容が補助線となって、文章の理解を助けることにも繋がっていくでしょう。「失ったもの」について、形として残してそばに置いておくのか、忘れたように生きていくのかという対比がそこに生まれます。
指導時期が前後しますが、同じく国語の教科書の上巻には、いぬいとみこ作の「川とノリオ」が1学期最後の物語文教材として位置付けられています。原爆で小さい頃に母を失ったノリオが、青いガラスを目に当てながら母のことを回想している場面への心情的な理解を深めることにもつながるのではないかと思われます。
それから、函館市内の縄文遺跡に取材した授業ですので、社会科の歴史の授業につなげていくことや、そこから発展して総合的な学習の探究テーマにするといった道もあります(事実、この授業は前年度に担任していた6年生と一緒に文献調査する中で教材研究が進んだという側面もあります)。その際には、修学旅行で訪れる青森県の三内丸山遺跡との共通点や相違点から問いを立てるようにしました。
おわりに
ここまで、「垣ノ島遺跡(世界文化遺産の一部)」の出土品が収蔵されている、函館市縄文文化交流センターから取材した授業例を報告してきました。道徳科の内容項目Dに示された「主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」は扱いが難しいという声をよく聞きます。私もそれを実感するところですが、遠い昔を想像しながら、現代人とも重なる縄文人の精神性からのアプローチを試みました。果たしてそのねらいに少しでも迫るものになっているでしょうか。
来週の更新もお楽しみに!
<参考文献>
✳︎1 函館市縄文文化交流センター展示より
✳︎2 西脇対名夫,2001年,「土偶と石棒」,『新北海道の古代ー1 旧石器・縄文文化』,北海道新聞社,p.231
※この連載は毎回執筆者が交替し、原則として毎週公開します。どうぞお楽しみに!
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