よくわかる教育委員会〜指導主事の仕事を中心に|第15回 最終回 次代を担う指導主事のみなさん、そして先生方へ
これまで14回にわたって、指導主事の仕事や教育委員会の実態を様々な視点からご紹介してきました。連載最終回となる今回は、私が教育委員会10年で得たもの、学んだことなどをお伝えいたします。最後は主観的な内容となりますが、どうぞお付き合いください。


西村健吾(にしむら・けんご)
1973年鳥取県生まれ。東京学芸大学教育学部卒業後、鳥取県の公立小学校および教育委員会で勤務。「マメで、四角く、やわらかく、面白い…豆腐のような教師になろう!」を生涯のテーマにしている。学校教育に関わる書籍を多数執筆。近著は『学校リーダーの人材育成術』(明治図書)。現在、米子市立福生東小学校長。本コラムは、10年間の教育委員会事務局勤務の経験を元に執筆している。
目次
着任前の印象
教育委員会に抱いていたイメージ
教諭時代に、私が教育委員会に抱いていたイメージは、「業務上のミスが一切許されない厳しい仕事場」いわば「減点法の世界」といったものでした。また、笑顔が1ミリもない厳しい顔の、黒いスーツの人ばかりがいる重苦しい雰囲気の場所というイメージもありました。読者の皆さんも、そのような印象を持つ方が少なくないのではないでしょうか(笑)。
しかし、実際に着任してみるとイメージはずいぶん違っていました。そのことを伝えたいと思ったことも、この連載を引き受けたきっかけでした。
辞令を受けたときの気持ち
私が教育委員会勤務を命じられたのは、39歳のときでした。教師として最も脂がのってきた時期であるとともに、書籍の発刊や民間セミナーの全国行脚という身の丈に合わない機会に恵まれ、私自身の実践を世に問う、まさに「これから」というタイミングでした。実践者としてやる気に満ち満ちていましたので、まさに青天の霹靂…。まるで崖から突き落とされたような感覚になったことを、今でもよく覚えています。
しかし一方で、これまで決して知ることのなかった世界を垣間見ることで、自分自身がさらに成長できるのではないか、そんなある種のワクワク感もありました。1割ほどですが…(苦笑)。ともかく、望んだからといって誰もが足を踏み入ることができるとは限らない、未知なる領域で刺激を受けたいという気持ちが同時に湧き起こっていたのも事実です。
赴任当初の仕事と学校との関係
着任してすぐの仕事
着任するまで、指導主事の仕事は「学校を訪問し、授業や学級経営について指導すること」だけだと思っていました。しかし、これは大きな間違いでした。
指導部門(指導主事)と人事管理部門(管理主事)とに分かれていて、それぞれが専門の業務を担う都道府県教育委員会とは異なり、市町村教育委員会の指導主事は、授業などに関する指導も、学校経営や学校問題対応に関する指導も、人事管理も、議会対応も、全ての業務を扱うのです。前者が“デパート”だとすれば、後者は“コンビニエンスストア”に例えるとわかりやすいかもしれません。
着任してまず驚いたのは、文書処理など事務的な仕事が膨大だったことです。常に10件以上の業務を並行して行うこともざらで、しかも非常に速い処理速度を求められました。電話応対も大変です。数が多い上に、クレーム対応などの長時間通話も珍しくありません。精神衛生的に良くないことはもちろん、ずっと同じ姿勢のまま電話を受け続けるので、身体にも良いわけがありません。受話器が右側にある場合は右肩が、左側にある場合は左肩が、それぞれ1年以上の四十肩に見舞われるほどでした…(苦笑)。
仕事を進める中で気づいたこと
教育委員会から学校へ、指示や通達がなかなか浸透しないことも衝撃でした。学校から見ると、教育委員会からは常に情報が飛んできているイメージだったのに、いざ発信する側になってみると、まるで「二階から目薬を落とす」ならぬ、「三階から粉薬を落とす」ような感覚です(苦笑)。教育委員会の情報発信力、伝達効果は、実はみなさんの想像よりずっと弱いのです。
さらに、予算に関わる仕事は大変なプレッシャーでした。何せ、市の教育の命運を握る、びっくりするような大きな予算です。その責任の大きさをひしひしと感じたものです。
こうした仕事を経験していくうちに、私は自分の強みと弱みを明確に自覚するようになりました。強みは文書処理やアウトプット、そして研修講師としてのスキル。一方、弱みは苦情対応や生徒指導などの学校問題への対応、そして若輩であるがゆえの学校経営への助言の難しさでした。このメタ認知が、以降の仕事の進め方、自分自身の職業人としての成長に大きく影響したと思っています。
教育委員会勤務で「得たもの」
視野の広がり
教育委員会での勤務は、私の視野を一気に広げてくれました。それまでの私は、自分の学級、あるいは自分の学校しか視界に入ってきませんでした。しかし、指導主事として市全体を俯瞰することになり、学校ごとに実態も課題も大きく異なること、校長の考え方も学校経営も多様であることなどを肌で実感するようになったのです。そして、本市のみならず、他の市町村、県、さらには国の動向にまで視界が広がりました。
組織運営・人材育成の視点
また、校長・教頭との対話を重ねる中で、組織運営に関する大きな学びも得ました。とくに、優れた管理職は強烈なリーダーシップを持ちつつ、部下の力をうまく引き出していることに気づけたことは、人材育成に対する考え方の大きな転機になったように思います。
一人一人の個性や能力を生かすように組織をマネジメントし、人材も育てていくためにどうすればよいか、優れたリーダーは脳みそから汗が出るほど考え続けています。その上で見事に部下のモチベーションを上げながら仕事を任せています。まさに「自分がやって100点より、部下に任せて80点の方が、人材が育ち、組織が育つ」という言葉を地で行く学校の姿を何度も目の当たりにしたのです。
こうした経験から、自分が成果を出す喜びよりも、他者が成果を出すことに関わる喜びの方が大きいと感じるようになったのです。そして
- 今日「1」しかできないなら明日「1.1」ができるように
- 今日は「5」で褒め、明日は「6」で褒める
- 最後の一人の育成は、それまでの99人の育成よりも難しい
といった、人材育成のために必要な多くの視点を持てるようになりました。この視点は『学校リーダーの人材育成術』シリーズ(2025年、明治図書出版)に、合計120項目にわたってまとめていますので、ぜひご覧いただければと思います。前回(連載第14回)に重ねての紹介で恐縮です(笑)。

『学校リーダーの人材育成術』
西村 健吾 (著)
明治図書出版
法令や行政の視点
教育政策や制度に対する理解も深まりました。常に原典に当たる姿勢や、法律・通知の根拠を押さえること、過去の文書を盲信しないことの大切さなどを強く学びました。まさに「論より証拠」を体現するような10年間だったと言えます。
市役所の他部局との協働も貴重な経験となりました。行政委員会としての教育委員会の独自性や、市役所職員との考え方の違いに戸惑う場面はあったものの、コロナ禍などを通して一気に相互理解や協働が進み、人脈も視野も大きく広がりました。
学校現場支援のなかで学んだこと
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