一斉授業の中で「個の学び」を支援する――中野裕己先生の公開授業レポート(「新しい国語実践研究会」研究大会より)

新潟大学附属新潟小学校教諭

中野裕己
一斉授業の中で「個の学び」を支援する――中野裕己先生の公開授業レポート(「新しい国語実践研究会」研究大会より)

夏休み中の8月3日、東京学芸大学附属世田谷小学校で、新潟大学附属新潟小学校の中野裕己先生が会長を務める「新しい国語実践研究会(新国研)」の第1回、夏の研究大会が開催されました(主催:新しい国語実践研究会、明治図書出版)。「一斉授業を問い直す」というテーマで、様々な先生の授業・発表が行われるなか、中野先生自身も公開授業を行いました。今回は、当日行われた中野先生の「ごんぎつね」の授業の模様を中心にレポートします。

「新しい国語実践研究会」第1回研究大会開催

午前中から30度を超える猛暑の中、全国各地から300名を超える先生方が、会場となった東京学芸大学附属世田谷小学校に集まりました。

午前中は、前半は会場となった附属世田谷小学校の髙橋達哉教諭が3年生を対象に「すがたをかえる大豆」の授業を行いました。

午前中に行われた高橋教諭の公開授業。子供たちが考えた教材文にない事例について、それぞれ妥当性を検討していく。
午前中に行われた高橋教諭の公開授業。子供たちが考えた教材文にない事例について、それぞれ妥当性を検討していく。

高橋教諭は「すがたを変える大豆」の教材文に「新たな事例となる食品を考え、著者に提案する」という単元構成を考案。授業では、子供たちが前時までに考えた新たな事例のいくつかが妥当かどうかを全員で対話し考えます。

「食パン」「がんもどき」「テンペ」等々の新たな事例の妥当性について考える過程で、子供たちは本文の叙述をていねいに読み返し、各事例を選んだ著者の工夫やその意図について考えていきました。

続く後半は、約1時間にわたり、土居正博教諭(川崎市立はるひ野小学校)、沼田拓弥教諭(八王子市立第三小学校)、友永達也教諭(神戸大学附属小学校)、三笠啓司教諭(大阪教育大学附属池田小学校)、三浦剛教諭(東京学芸大学附属世田谷小学校)、山田秀人教諭(昭和学院小学校)といった国語教育で名前を知られた先生方が、得意分野の独自テーマでワークショップを開催しました。

冗談も交え、自由に発言できそうな場の空気を醸成する導入

昼休みをはさんで午後の部は、中野裕己教諭の授業からスタート。附属世田谷小学校の4年生を対象に、「ごんぎつね」の授業が始まりました。前時は担任が簡単な単元導入を行ったのみで、事前の交流もなく、子供たちとはこの授業の場で初対面となりました。

授業冒頭、全員を起立させ、場面ごとに音読をさせていく中野教諭。最後の場面では、「読み終えたら座りましょう」と声をかけると次々に子供たちが座っていきますが、読みが遅れた子供が1人、最後まで残って読み切ります。それを見て、「読めなかったところを飛ばさないで、お隣さんに聞いて最後まで読めたね。そういうところ、素敵だと思いました」と言い拍手をすると、子供たちばかりか会場全体から拍手が湧き起こります。

子供を黒板の前に集め、冗談も交えながら心理的な距離を一気に近づけていく中野教諭。
子供を黒板の前に集め、冗談も交えながら心理的な距離を一気に近づけていく中野教諭。

そこで、突然思い出したように、「そう言えば自己紹介がまだだったね」と中野教諭。全員を前に集めて座らせ、自身が新潟県の教員であると話し、「新潟に行ったことがある」と言う数名に嬉しそうに話を聞いていきます。そして⋯…。

「すごく東京は暑いよね。新潟はまだ雪が降っているんだよ」

「え〜っ」「いいな〜」(と多数の反応)

「ごめん、嘘です。純粋すぎましたね。みんな嘘だと思ったら『嘘つけ!』って言っていいからね」
(そう言って笑い、子供たちも笑顔になり会場全体にも笑いが響く。このような会話を通して「安心して自由に話せそうだ」という雰囲気を醸成していく中野教諭)

自分はクラスの子供たちに「ナカノっち」と呼ばれ、低学年の子供からは「キリン先生」と呼ばれていること等を話し、「自由に呼んでください」と言って授業に入っていきます。

「さっき音読をしてもらった『ごんぎつね』ですが、全部で6番(場面)まであったの、分かりますよね。まず1番で何が起こった? どんなことが書いてあった?」(簡単に隣同士で確認し合わせた後、1人の子供を指名)

「まずこぎつねの、ごんの説明をして…⋯」

「ちょっとストップして。こぎつねの『こ』は、この小でいいよね?」

(うなずくC1さん)

(全員に聞く)「小ぎつねのごんの説明をしていたけど、どんな説明をしていたの?」

「ひとりぼっち」「イタズラ好き」

(それを板書しながら問い返す中野教諭)「『イタズラ好き』って書いてあった?」

複数「いたずらばかりしていた」

「『イタズラ好き』とは書いてないけど、『いたずらばかり』していたから、君たちがそう感じたのかな」(こうした確認を通して、物語の叙述を正確に確認するイメージが伝わる)

ここから、改めてC1さんに1場面で何が起こったか聞いた後、それぞれ別の子に2〜6場面も聞いていく中野教諭。途中で、各場面の挿絵も出して貼っていきます。

「自分ならひとりぼっちの兵十にどう声をかけるか」という問い

各場面の出来事を確認した後、挿絵を指して次のように投げかけます。

「これ全部教科書の挿絵なんだけど、今日は『ここから考えたいな』と思うことがあって、教科書にない挿絵を書いてきました。どこか分かる?(うなずく子供たち)ストップって言って」(手に持ったイラストを挿絵の1場面から2場面、3場面へと移動していく中野教諭)

多数「ストップ」(再確認するが全員の意見が3場面で一致)

「これ、何ていう文を絵にしたと思う?」

多数「赤い井戸の…⋯」

「正確に確認してほしいから、確かめに行こうか」(そう話して教室前方から席へ戻す。全員が確認できたところで、『兵十が、赤い井戸のところで麦をといでいました』の挿絵だと共有)

新たな挿絵を示し、ひとりぼっちの兵十に自分なら何をしてあげたいかと意見を求める中野教諭。
新たな挿絵を示し、ひとりぼっちの兵十に自分なら何をしてあげたいかと意見を求める中野教諭。

「もしあなたが、こんな様子の兵十と出会ったとしたら…おっかあと貧しい暮らしをしていて、おっかあが死んでしまって、ひとりぼっち…の兵十と出会ったとしたら、どうしてあげたい?」

「話し相手になってあげて、少しでも寂しさを和らげてあげたい」

「ペットか何かを買ってあげて、プレゼントする」

「お友達になろう!って話しかけてあげる」

「食べ物とか持ってなさそうだから、食べ物を買ってあげたい」

と意見が続き、それぞれに理由を問い返す中野教諭。

子供たちは自分の気持ちを発言したり、本文の叙述の「まずしいくらし」に沿ってそう考えたりしたことなどを発言し、それを評価していきます。

そこで、自分の気持ちは先の意見のどれに近いか挙手させた後、「この中に『ごんも似たことを考えているかも』と思うやつある?」と問い、先のC2〜C5の意見と近いと思うか、改めて挙手を求める中野教諭。

その後、そう思う理由が叙述のどこに書かれているかを探すように指示すると、教材文に線を引いたりメモしたりしている子もおり、「線と丸だけじゃなくて、そこに線を引いた理由もメモしておくといいよ」と良い方法を共有する中野教諭。7分ほど各自での思考やメモ等の時間を取った後、まず近隣で意見交流を行わせます。

聞き耳を立てると、

「2段落の最後の方の、『ごんは、穴の中で考えました』の後のところで、兵十が悲しんでいるということを想像したから、こういう行動を取ったんじゃないなかと思う」

「『うなぎのつぐない』に、頑張りたいという気持ちがあって、食べ物をあげて友達になろうと思ったんだと思う」

「『神様にお礼を言うんじゃあ、おれは引き合わないな』とか『うちのうら口から、こっそり中へ』のところで、自分が毎日持っていっていることを伝えたい気持ちに変わったんじゃないかな」

等々、5分近くにわたって、近くの子供同士で意見交流が続きます。

自分が叙述から読み取ったメモをもとに、対話し、さらに読みを深めていく子供たち。
自分が叙述から読み取ったメモをもとに、対話し、さらに読みを深めていく子供たち。

全体交流での意見を通して問う、ごんと兵十は「分かり合え」ていた?

ここから全体交流に入っていきます。

「ごんの気持ちと一緒だなと思ったのは『食べ物をあげたい』と言うことで…⋯」

「ストップ。『食べ物をあげたい』気持ちがごんにもあったんじゃないかな、分かるよ、と言う人いますか?(多数の挙手)じゃあ理由も聞いていこうね。どうぞ」

「3段落目の、『次の日には、ごんは山でくりをどっさり』の『どっさり』というところで、自分の罪は深いんじゃないかと反省しているんじゃないかと思いました」

「3段落目の、『次の日も、その次の日も、ごんは…』というとことで、毎日持っていってあげているから、自分は悪いことをしたなって反省の気持ちが伝わってくる」

「毎日、くりとかを持っていってあげて…それで…最後は松たけも持っていってあげて…」(詰まり詰まり発言する子供の意見も、うなずきながら待って聞き出していく中野教諭)

「3場面の、『おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か』と(ごんが)言うところで、自分と同じという気持ちで、食べ物をあげたくなったのかなと思いました」

「ちょっと待って。今の彼女の発言は、ここまで発言した人の意見と少し違ったの分かりましたか? 今まで出ていたのは反省の気持ちだよね。何の反省か分かる?」

10「いたずらをして、うなぎを逃したりした」

「そうそうそう。C9さんの発言は反省の話ではなかったよね。反省の気持ちじゃないなと思った人、どれくらいいる? (挙手が少ないため)じゃあ、何の気持ちかもう1回聞いてみようか」

「兵十がごんと同じひとりぼっちだったから、同じひとりぼっちと考えて、食べ物をあげたくなったのかなと」

「反省じゃなくて、何をもとに考えていた?」

11「おなじひとりぼっち。同じ立場ということ」

「同じ立場というのは、あなたの言葉だね」(『おなじひとりぼっち』の叙述の場所を確認)

「ねぇねぇ、なんで同じひとりぼっちで、立場が一緒だと物をあげたくなるの? お隣さん同士で話してごらん?」(自分のメモを見直したりしながら話し合う子供たちに、発言を求める中野教諭)

12「ああ、きっと自分と同じ気持ちなんだなと分かり合えるからじゃないかなと思う」

「ねぇ、分かり合えると言ったこと、意味分かった? 兵十はひとりぼっち。ごんは?」

多数「ひとりぼっち」

「それが同じ立場ってことだよね。ひとりぼっちだから分かり合えるかもしれないってごんは思ったんだよね?(うなずく子供たち)。 ちょっと先生、ここに引っかかったんだけど…⋯」

(そう話して「ごん」と「兵十」の名前を書き、両方に「ひとりぼっち」と書いた上で、双方から「分かる」という矢印を相手側に伸ばし、『分かり合う』を簡単な図式で示す中野教諭)

「『分かり合える』が示しているのはこういう事(図式に示した関係)だよね?
(否定的な反応数名)
何人か引っかかっている人がいるけど、どこに引っかかっているのか隣の人と話してみて」

ごんと兵十は果たして「分かり合う」ことができていたのか、図を示して問い返す中野教諭。
ごんと兵十は果たして「分かり合う」ことができていたのか、図を示して問い返す中野教諭。

動物が主人公であるという著者の意図にまで迫る

改めて子供たちの意見を聞いていく中野教諭。

13「ごんは自分がやっていると思っているけど、兵十は神様が恵んでくださったと思っているから、まだ分かり合えているっていう感じじゃないと思う」

14「まだすれ違っているくらいで、もうちょっとで分かり合えるけど、まだ分かり合えていないすれ違い」

「もうちょっとで分かり合える?」

14「兵十がバンと打ったときにごんの様子を見て『ごん、おまいだったのか』というときに分かり合えたのかなと思う」

15「ごんはもう分かっているけど、兵十の方は、まだ分かろうともしていない」

「分かろうともしていない! …分かろうともしていないんだ」

16「兵十は、おっかあのためにせっかく獲ったうなぎを取られたわけだから、そんないたずらっ子のキツネが自分に栗や松たけをくれるわけがないと思っていた」

17「ごんは兵十がひとりぼっちで自分と同じってことは分かっているけど、兵十はごんがひとりぼっちってことを分かっていない。ひとりぼっちだってことを分かり合えていない」

「なるほど、最初に書いてあるけど⋯」

18「そもそもごんが、栗や松たけを裏口から入っているわけだから、そもそもごんは知られたくなくて⋯」

「そう。知られたくないんだ。それなら神様のしわざって言われてもいいじゃない?」

19(撃たれた後)『ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました』だから、自分だと伝えたい気持ちがあったんだと思う」

18「さっき言っていたことは…知られたいと言う気持ちが芽生えたのは最初からじゃなくて、兵十と加助が『神様のしわざだ』と言っていたときに、自分がやったんだと知ってもらいたい気持ちが芽生えたんだと…⋯」

19「最初は反省してやっていたけど、さっき言ってたみたいに加助が『神様のしわざだ』と言ってから(気持ちが変わって)最初と最後で気持ちの変化があったんじゃないかと思う」

「なるほど、気持ちの変化って国語では大事なことだけど、それがあったんだね」

20「このお話は、ごんが動物だったから面白くなるお話だと思うし…⋯」

(「あ〜」と数名の子供)

「ストップ。みんな聞き取れた? どういうこと?」

20「ごんが人間だったら普通に話せて『こういう気持ちで、こうだったから』と話せるのに、ごんが動物だったから、人間とコミュニケーションが取れないし、気持ちの変化や…(すれ違い)があって面白くなったんだと思う」

「人と人だったら言葉で伝えることができたかもしれないけれども、ごんからは言葉が通じないのでどうしようもないんだよね⋯…。私から1つ意見を言ってもいいかな。ごんからは言葉で伝えられないんだけど、でもさ、多分、あれだけやっていたいたずらはやめているよね。だったら兵十の方が気付いてあげてもいいんじゃない? どう感じる? 近くの人と話してごらん」

(子供たちは改めて教材文の叙述を指さしたりしながら真剣に対話します)

21「気付いてあげてほしいけど、気付かないんじゃないかな…⋯。何でかと言うと、2人だけの家族が死んで、ひとりぼっちになっちゃって、いたずらのことなんて気にもしていないと思いました」

「ごんはいたずらをやめたけど、兵十は気にもしていないってこと? 切ないね。」

「残念ですが時間になりました。今日は先生も参加者みたいになって話し合いに参加できて、とっても勉強になりました。『自分だったらこうだな』と思ってごんを見ていくと、同じところも見つかったし、違うところも見つかったよね。“似ている”や“違う”を探していくと、ごんの気持ちがはっきり見えてきます。また、ごんの気持ちは1つでしたか?
(「違う」と数名)
1つに決めつけないで、いくつもの気持ちを読んでいくと、もっともっとお話を面白く読めると先生は思っているんです」

このように話をして授業を終えました。

古くて新しい一斉授業の在り方

授業後、中野教諭に話を聞くと、次のように「一斉授業」や「新しい国語」と今回公開した授業の関係について話してくれました。

「一斉授業の形式で授業を進行しているので、黒板では“みんなで作っている学び”が展開されています。しかし一方で、子供の手元(の教材文に書き込まれたメモ)では“個々の子供の学び”が展開しているということが、皆で同じことをやって同じように進むという、凝り固まった一斉授業に対するイメージに対する今回の私の主張です。『一斉の学びの中でも個の学びが行われている』ということに目を向けてほしかったのです。

『個別最適な学び』と言う言葉が(中央教育審議会答申で)示されて以降、『自由進度学習』とか『子供に委ねる』というワードばかりが先行して、一斉授業は黒板で展開されるものだけに集約されているというイメージが強くなり過ぎていると思います。そうではなく、一人一人の子供の頭の中で個別の学び(その象徴が手元のメモ)が展開されていることを、子供の姿を通じて見て、考えてほしいと思ったのです」

つまり、表層的な方法論に走りがちな風潮に対するアンチテーゼとして、このような授業を提案したと中野教諭は話します。

ちなみに、個別最適な学びと協働的な学びはバラバラに存在する方法論ではなく、『個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実』とあるように、表裏一体のものであり、個別に学ぶ(多様な視点がある)からこそ協働的な学びが深まるものであり、協働的な学びで意見が深まるからこそ、また個の学びに戻って深まりや新たな可能性を探ることもしたくなるという側面が強くあります。

しかも、そのような個別と協働の往還は、古くから日本の優秀な教師は一斉授業の中で行ってきたものだ、と主張されている中央教育審議会の有識者もおられます。その意味では古くて新しい一斉授業を提案した、というのが今回の中野先生の授業だったのではないでしょうか。

取材・文・写真/矢ノ浦勝之(教育ジャーナリスト)

大好評! 中野裕己先生の連載「明日からできる! 授業技術アップデート」もご覧ください。
『小学校国語授業アップデート』著者で、国語科(読むこと)、対話指導、ICT活用の研究を精力的に進める中野裕己先生による連載です。「発問」「教師の“ポジショニング”」「価値付け言葉」「問い返し」「ICT活用」「話合い活動」「授業準備」の7つの柱をテーマに、“明日から”できて“ずっと”役立つ授業の技を、多岐にわたってお届けしています。

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