ウェルビーイングを学校でつくる! ~SDGsの授業プラン #09 「Goal 4 質の高い教育をみんなに」・その2|長澤元子 先生

連載
ウェルビーイングを学校でつくる! ~カリキュラム・マネジメントで進めるSDGsの授業プラン~

北海道公立小学校教諭

藤原友和
ウェルビーイングを学校でつくる! ~SDGsの授業プラン #09 「Goal 4 質の高い教育をみんなに」の授業・その2

全国各地の気鋭の実践者たちが、SDGsの目標に沿った授業実践例を公開し、子どもたちの未来のウェルビーイングをつくるための提案を行うリレー連載。今回は「質の高い教育をみんなに」を学ぶ授業実践提案の第2回です。提案者は、北海道の高校教諭・長澤元子先生です。

執筆/北海道函館西高等学校教諭・長澤元子
編集委員/北海道公立小学校教諭・藤原友和

1 はじめに

こんにちは。日本の坂100選に選ばれている函館市の八幡坂にある北海道函館西高等学校の国語科の教員、長澤元子(ながさわ もとこ)と申します。
非常に眺めのいい学校で、校舎からは津軽海峡と函館湾を一望できます。函館西高校は進路多用校で、大学から就職まで幅広い進路選択をする生徒が在籍している1学年6クラスの単位制普通高校です。実業系の高校に10年弱いたので、課題研究と国語、探究と国語、英語と国語、地歴公民と国語といったカリキュラム・マネジメントを考えて授業をデザインしてきました。
今回は、日本の高校で教えられることが少ない「自分の思いに紐づけられたアート鑑賞」を国語表現を受講している生徒たちと行った授業実践を紹介します。
普段言語化をすることがない自分の心の中のもやもやの言語化を、鑑賞を通じて追究し、他者の気付きや思いに共感したり理解したりする過程で、選択授業の場を安心安全の場として醸成し、また、アートの鑑賞に親しみを持ってもらいたいと考え、実践しました。

教材は地元の画家、安田祐子氏の『呼びかたがちがうだけ』を選びました。
函館の人なら誰もが馴染み深い大森浜が題材となっています。この実践は、「日本の教育の質から高めてみる」という、やや斜め上からの実践になります。

2 Goal 4 「質の高い教育をみんなに」

SDGsのGoal 4「質の高い教育をみんなに」について解説します。
本来のSDGsの目指す「質の高い教育をみんなに」の達成目標は7つ、その実現のための方法は3つ示されています。
2030年までに世界中の全ての子どもが幼稚園や保育園に通って小学校に上がる準備をし(4−2)、全ての子どもが無償で小学校と中学校の教育を受けられるようにするということ(4−1)、そして全ての人が、無理なく払える費用で技術や職業に関する高等教育を受けられるようになる(4-3)ことをはじめとした7項目が目標となっています。
そのため、ユニバーサルデザインの環境を作って、安全で暴力のない、誰も取り残されない学習環境を届けたり(4-a)、開発途上国の人が先進国をはじめとする他の国で高等教育を受けるための奨学金の数を増やすこと(4-b)、とくに開発途上国で研修や国際協力などを通じて、知識や経験のある先生の数をたくさん増やす(4-c)といった実現のための方法が提示されています。
では、翻って日本で、「最低限の教育は受けられている」かというと、「美術館に行ったことがない」という生徒も多く、十分にアートの鑑賞の経験が保障されていない現状があります。
このために日本の教育ではあまり扱うことのない、地元画家による地元の風景を題材とした絵画の鑑賞を通じて、「質の高い教育」と「言語化」をテーマに授業を行いました。

3 SDGsのGoal 4を扱った授業の実際

⑴対象学年 高校3年・選択31、32クラス(2展開49名)

⑵教科及び領域 
教科:国語表現 
主題名:鑑賞文を書こう
学習材:絵画『呼びかたがちがうだけ』安田祐子(2022、F30、キャンバス、油彩)

⑶ねらい 函館を拠点とする画家、安田祐子氏の地元の海岸の風景を描いた絵画『呼びかたがちがうだけ』(下の画像)を鑑賞し、気付いたこと、考えたことについての情報共有を通じて安心安全の場を生成し、自己の内面を共有される範囲を意識しながら掘り下げて鑑賞文を書く。

⑷評価の視点 
呼びかたがちがうだけ」の鑑賞文を書く。
気付いたところを2点、いいなと思ったところを1点(必ずしもポジティブなものでなくても良いです)、この絵を見て考えたことを1点、それらをそれぞれ1つずつの段落で構成して400字以上で書きなさい。読み取ったことには、必ずそのように思った根拠を書きなさい。ルーブリック(下図参照)に評価の観点が書いてあるので、条件を満たしていると皆満点評価になります(実際にはここから逸脱しても、内容を勘案して満点をつけています)。

↓学習材『呼びかたがちがうだけ』安田祐子(2022、F30、キャンバス、油彩)

※鑑賞時、生徒たちはこの作品の周囲に自由に集まってそれぞれに鑑賞、同時進行でGoogleフォームに感想を書き込んでいきました。

学習材となる絵画『呼びかたがちがうだけ』(安田祐子)

↓この授業で生徒たちにあらかじめ示したルーブリック

図表 生徒にあらかじめ示すルーブリック

⑸授業展開(3時間)
1次(1時) 単元のルーブリック説明と見本の鑑賞文(ゴールイメージ)の提示
           ↓
 絵の鑑賞体験の練習1(モネ『睡蓮』キャプションつき)
※鑑賞後の生徒たちの感想は、無記名のGoogleフォームを用いて同時多発的に書き込みを行い、即時に共有した(以下、鑑賞時には同様に行った)
           ↓
 鑑賞のメタ評価
           ↓
 絵の鑑賞体験の練習2
           ↓
 学習材の鑑賞1(作品名・作者名は非告知・安田祐子『呼びかたがちがうだけ』)

2次(2時) 鑑賞のメタ評価1
 学習材の鑑賞2(作品名・作者名を告知・安田祐子『呼びかたがちがうだけ』)
           ↓
 鑑賞のメタ評価2
           ↓
 学習材の鑑賞3(作者作成の補助資料・安田祐子『呼びかたがちがうだけ』)

3次(3時)  鑑賞文の作成

事後 文章の共有(事前に生徒の許可を得ます)、振り返り・自己評価
※なお鑑賞文の鑑賞は無記名のGoogleフォームを用いて行い、即時に共有し、見方・考え方を深めました。

はじめに授業の目的とルーブリック、ゴールイメージの説明をしてから、モネの『睡蓮』(キャプションつき)で鑑賞の練習をし、絵の見方について練習してから、学習材となる絵画『呼びかたがちがうだけ』(安田祐子)を鑑賞。
計3回の鑑賞を行い、1、2回目の鑑賞の後には、鑑賞のメタ評価を行いました。
また、1回目の鑑賞ではあえて作品名、作者名を教えず、2回目の鑑賞では作品名、作者名を提示し、作者が本校の美術科の先生である安田祐子先生であることを教え、3回目には安田先生が作成した補助資料を読んでから鑑賞し、鑑賞文を作成しました。

また、鑑賞の練習の際に、鑑賞のメタ評価を行い、以下の図のような内容について生徒と共有しました。作品への理解をより深めるため、鑑賞できた内容について積極的にフォームに書き込み、共有することが大切である旨を伝えました。

図表 鑑賞のメタ評価

1度目の鑑賞内容は以下のようなものでした。

1度目の鑑賞内容

1度目の鑑賞の後、作品名と作者名を伝え、気付いたこととその根拠をなるべく述べるよう伝えました。以下が2度目の鑑賞文です。

2度目の鑑賞文

この後、生徒たちは課題である鑑賞文の作成に取り組みました。完成した鑑賞文を以下に二つ提示します。

<生徒の鑑賞文1>
この絵の第一印象は、「暗い」だった。
分厚い雲、くすんだ色の海、黒く湿った砂浜が上から下へ、流れるように目に入った。
水平線から這い出てくるような分厚い雲が水面に澱んだ影を落としている。寄せる白い波とその際にある黒い陰が、波の高さを思わせ、そこに吹く風の強さを感じる。潮の匂いが混ざった冷たい風が、手足の先から体温を奪っていくような感覚に身震いした。
真ん中にぎゅっと集まり、ただじっと絵を見つめていたとき、目の前にある絵に対してそんな感想をもった。その後自分の席へ戻り、振り返ってもう一度絵をみると、先程とは違った印象を絵から感じ取ることができた。黄色から青に段階に濃淡のついた爽やかな空、絵の中央の海面は白が濃くなっていて光を反射している。絵の全体は淡い色でまとまっており、そこから「明るい」雰囲気が感じられた。
それによって、視点を変えて観察することの大切さに気づいた。日頃から、もっと多角的に物事をみるべきだ、と気難しく思う瞬間はあるが、そう思うのもその瞬間のみであり、過ぎ去ればその感情ごと忘れてしまう。絵を観察して、その気付きを得られたことは初めてだった。
その他に、もうひとつ得られた気付きがあった。私が、視点を変えると印象が変わった、と感想をおくった少し前に、同じような感想をおくっていた人がいたことだった。
考えることは、どうしても考えるだけで留まる。自己完結してしまうことが多いと思う。それが、可視化されたところに集まることで、同じような思考回路をもった人がいることに、自分はひとりではない、となぜか安心するような気持ちになった。今まで、自分の考えを否定されたくないと内向的に捉えることばかりだった。考えることは孤独なものだと思っていた。この絵を通して、考えていることを共有することの大切さを知った。
この絵を見て、いいなと思ったところは、この絵の風景が出来すぎた瞬間でないところである。絵として描くとなると、そこでしか見られないような稀有な瞬間を描き起こしたくなるものだと私は思う。
具体的には、雨上がりの虹や、四つ葉のクローバー、さも偶然出会ったようなイルカやクジラの群れの絵などである。そのような絵を、出来すぎていると否定したいわけではない。しかし、この絵は、どこか見たことがあるような、懐かしさを感じるような風景で、見ている人を惹きつけられるような気持ちにさせる。特に海のある街で暮らし、日頃から海を見ることの多い人には、格別に共感性の高い絵なのではないか、と考えられる。よく見るような景色だからこそ、この絵を見た人が、それぞれに感じられることが見た人の数だけ、無数にあるように思えた。

<ながさわから>
大変素晴らしい鑑賞文で、恐れ慄いております。視点を変えることは、絵でも社会に起こる諸事象でも非常に重要でして、指導要領でも学習活動を通じてその獲得を目指すように促されているところです。感想の可視化も、また実は私は自分なりに工夫して発話ではなくフォームで行ったのです。
意図は、無記名にすることで自由な対話に近いことが起こるだろうと推測していたからです。まだ4月〜5月の授業段階で、しかも選択クラスでの自己開示を伴う絵画鑑賞対話は正直難しいだろうなと考えていました。しかし、心理的安全性を確保すれば大丈夫だという確信は、この絵を見た時からありました。
また、この絵を見て気付いたことや感想を共有することで、発話による対話以上の心理的安全性をこの授業で醸成できるだろうと考えました。一方で、この絵をどうしても早くに鑑賞したいともまた考えていました。理由は、君たちが3年生で、これから進路選択や決定で、紆余曲折を経るであろう状況に際して、この絵を年度の初めに鑑賞しておくことで、皆さんに幅広い視野を持って、進路選択をしてほしいと思っているからです。「呼びかたがちがうだけ」という名を持つこの絵は、皆さんの進路のようだと思ったのです。そして、実際に出願期に見ても、この絵をここまで熱心に鑑賞することは残念ながらないかもしれないと思っていたので、早めに見たかったのです。◯◯さんのこの鑑賞文で、私のその見立てと目標は大体達成できていたのかもしれないと思えました。
さて、採点では厳密にいうと、条件を満たしていないのですが、条件などというくだらないものは、書けない人のためにあるのであって、書ける人のためには、そんなものは無用なわけです。条件を満たしていませんが、私の教科担任としての責任を持って、満点とします。

<生徒の鑑賞文2>
「呼びかたがちがうだけ」を見てまず気づいた点は、この絵の見方や捉え方によってそれぞれが持つ感情が違ってくるなと思ったことです。自分はこの絵を見て少し悲しさを感じました。雨が降り始めそうな砂浜で水平線を眺めて1人孤独に空を眺めているというふうな捉え方をして1人で生きられるのだろうか、本当に頼れる人は周りにいるのだろうかと不安などの少し悲しい感情になりました。でもそれは人それぞれなので雨上がりの砂浜でこれからやるぞという感情にとれる人もいるのかなと思います。少し見方や捉え方を変えるだけで心情や風景の見方ががらっと変わる絵でとても面白いなと思いました。
2つ目に気づいた点は、絵枠の外の風景の想像についてです。
1つ目の気づいた点に少々似てはいますが絵枠の外の風景の捉え方もそれぞれによって変わってくるのかなと思いました。この絵の風景を広げ、360度この絵の中に入り込んで見ると後ろには山がある、横にはとても仲いい友達や恋人が、真上にはかもめが飛んでいるなどと自分だけの世界に入り込むことが出来ます。1人1人想像出来るものは違うしパターンは無限にあります。その周りに写る風景によって色々な感情になれてこの絵の鑑賞を楽しむことができるのではないかなと思いました。
そして最後に自分はこの絵を見てどこか懐かしさを感じました。小さい頃母に連れていってもらった浜辺の記憶が少し蘇りました。安田先生と同じくどれだけ同じ時間を一緒に過ごして、同じ音楽を聞いて、同じ本を読み、食事をして、風景を見ていても自分以外の誰かと同じものを見ることは決してない。それがすごく切なく悲しくて何故なのか少し考えさせられました。どれだけ時間を共にしてもこの絵を見た時に何を考えるか、どのような感情になるか、どのような風景を広げるか、それは1人1人違って正解なんかありません。少し悲しい気持ちもあるけれど自分の周りにいる友達、家族、恋人、みんな違った景色を見てるからこそ絵の鑑賞はとても面白いなと思いました。

<ながさわから>
まずですね、〇〇くんが、この国語表現の授業をとても熱心に毎回受けてくれて、それが私は非常に嬉しいです。いつもありがとう。1つめの気付いたことについては、なかなかにセンシティブなので、私には触れて良いのか分かりませんが、〇〇くんが、いろいろ悩んだり、苦しんだりしていることがよく分かります。ちがったらごめんね。でも、人生いろいろで、苦労がある分、人は強くなれるし、困っている人のことをわかってあげられる人になる、私はそう思います。
2つめも、この絵が完全主観の表現であり、それにより絵を見ている視点が作者にかなり近いところ(同じとは言いません。安田先生がこの絵の鑑賞の授業に際して共有してくれた通り、隣で同じものを見ていても、同じようには見ていないのですから。)どうやって見たいか、誰と見たいか、見ている人の気持ちはどうか…。そういったところまで含んで、鑑賞を楽しめる絵ですよね。〇〇くんのいう通り人生には正解なんてありませんが、〇〇くんがいろいろありながらも納得しながら自分の人生を選択してくれることを願います。この鑑賞文を読んでこの授業をやってよかった、って思いました。ありがとう。
さて、採点条件は1個満たしていないのですが、非常に自分の内面や作者、他の鑑賞者にまで想像を膨らませて書いてくれているので、満点とします。

4 授業の成果と課題、他教科とのつながり

【成果】
生徒たちは学習材を鑑賞する過程で、同じ教室で学ぶ生徒たちを、共に学習する仲間と認め、受け容れることができました。
鑑賞の合間にメタ鑑賞を入れ、他の生徒の気付きや考えを共有することで、自分の鑑賞がより早く深まることを知り、また、気付きには段階があることを知ることができました。
地域の学習材を用いることで、生徒が当事者意識を持って鑑賞文の授業に取り組むことができました。
絵画の鑑賞を経験することで、アートの楽しみ方の理解の一端となりました。

【課題】
今回の課題提出においては相互公開を行いませんでしたが、その後さらに安心安全の場づくりが進みましたので、もう少し後にこの授業を行えば、公開を前提にする授業も構成できたはずです。
授業のはじめに授業者が私的な鑑賞体験を開示しすぎたことで、その読みに引っ張られてしまった生徒がいました。

【他教科とのつながり】
今回紹介した国語の授業だけでなく、探究活動において、「観察して気付いたことを問いにする」という学びを、郷土に関する探究の問いづくりに結びつけることができました(高校の授業では、探究活動以外には、郷土について扱う授業が少ないのです)。

5 年度末授業評価から分かるこの単元の振り返り

この授業のルーブリックは前述の通りですが、生徒たちは鑑賞とGoogleフォームによる無記名で対話し、他者のコメントを見たり、時系列ごとにまとめた鑑賞のメタ評価を全体で行ったりするなかで、ルーブリックに限らない学びに向かったようです。

年度末の授業終了時に、受講生たちに、学習指導要領の「国語表現」の2「内容」の項目ごとに、「自分たちはよくよく考えるとこのように学ぶことができていた」という振り返りを、Googleフォームで単元を選択する形で、「年度末評価」として書き込んでもらいました。
その結果、生徒たちが「自分がこの単元で学んだ」とする内容は多岐にわたりました。  

今回は〔知識及び技能〕〔思考力,判断力,表現力等〕の各項目(言語活動例は除く)について三つのフォームで学んだ内容を選択してもらいました。生徒たちの回答は次の通りです(各項目の最初の数字は全回答者数で、括弧内は回答者数)。スペースの都合上、15名以上が選択した項目のみを列記します。

〔知識及び技能〕

(1) 言葉の特徴や使い方に関する次の事項を身に付けることができるよう指導する。(回答37名)

ウ 自分の思いや考えを多彩に表現するために必要な語句の量を増し,話や文章の中で使うことを通して,語感を磨き語彙を豊かにすること。(20名

(2) 我が国の言語文化に関する次の事項を身に付けることができるよう指導する。(回答37名)

ア 自分の思いや考えを伝える際の言語表現を豊かにする読書の意義と効用について理解を深めること。(17名

〔思考力,判断力,表現力等〕

B 書くこと

(1) 書くことに関する次の事項を身に付けることができるよう指導する。(回答者32名)

オ 自分の思いや考えを明確にし,事象を的確に描写したり説明したりするなど,表現の仕方を工夫すること。(21名

カ 読み手に対して自分の思いや考えが効果的に伝わるように書かれているかなどを吟味して,文章全体を整えたり,読み手からの助言などを踏まえて,自分の文章の特長や課題を捉え直したりすること。(15名)

生徒たちが実感を持って学んだと言えるものは、回答の過半数を占めているものと仮定した場合、〔知識及び技能〕の(1)のウ(20名)、〔思考力,判断力,表現力等〕のB「書くこと」(1)のオ(21名)がそれに当たることになります。授業者としても、この生徒たちの回答には十分な妥当性があると感じています。

生徒たちは、無記名でのGoogleフォームは生徒同士で共有する前提で書き、鑑賞文は授業者と学習材提供者の安田先生が読む想定で書きました。
共有する相手と方法が異なったことにより、多岐にわたる学びが生徒それぞれに起きたと思われます。生徒たちの年度末の振り返りの言葉を借りれば、「自分が書いた文をからかわれた経験があって、考えを文にして人に見せることに少し抵抗があったけれど、自分と似た考えを持っていたり、自分の考えに賛同してくれる人が意外といるからそこまで怖がらなくても大丈夫」なことや、「頭で考えたことをそのまま文にするのではなく、いったん共有することによって、自分が想像しているよりもできることの幅が広がる」こと等を学んだようです。

今回学習材をお貸しくださった安田祐子氏に、感謝を申し上げます。

【参考文献】
長井理佐『対話型鑑賞の再構築』美術教育学:美術科教育学会誌 30 (0), 265-275, 2009
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aaej/30/0/30_KJ00006203423/_pdf
平野智紀、三宅正樹『対話型鑑賞における鑑賞者同士の学習支援に関する研究』 美術科教育学会2015 年36巻 p. 365-376
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aaej/36/0/36_KJ00010238414/_pdf/-char/ja
森功次『「ビジネスパーソンのためのアート」本の流行と、教育的に注意すべきこと』 2021
http://journal.otsuma.ac.jp/2021no31/2021_409.pdf
鈴木有紀『教えない授業 美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方』英治出版 2019年
末永幸歩『「自分だけの答え」がみつかる 13歳からのアート思考』ダイヤモンド社 2020年

この連載は、毎週木曜日のAM6:00に公開します。どうぞお楽しみに!

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