今どき教育事情・腑に落ちないあれこれ(その1) ーある校歌の一節、授業中に歩き廻る子ほかー【野口芳宏「本音・実感の教育不易論」第60回】

連載
野口芳宏「本音・実感の教育不易論」
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植草学園大学名誉教授

野口芳宏

教育界の重鎮である野口芳宏先生が60年以上の実践から不変の教育論を多種のテーマで綴ります。連載の第60回は、【今どき教育事情・腑に落ちないあれこれ(その1)ーある校歌の一節、授業中に歩き廻る子ほかー】です。


執筆
野口芳宏(のぐちよしひろ)

植草学園大学名誉教授。
1936年、千葉県生まれ。千葉大学教育学部卒。小学校教員・校長としての経歴を含め、60年余りにわたり、教育実践に携わる。96年から5年間、北海道教育大学教授(国語教育)。現在、日本教育技術学会理事・名誉会長。授業道場野口塾主宰。2009年より7年間千葉県教育委員。日本教育再生機構代表委員。2つの著作集をはじめ著書、授業・講演ビデオ、DVDなど多数。


1 国葬異聞

某紙、令和5年7月9日の一面トップの見出しは「『日本取り戻す』遺志継ぐ」として、「安倍元首相銃撃一年」の記事を掲載した。一般向けの献花台も設けられ、約5000人が花を手向け、事件現場の献花台にも長い列ができた、とも報じている。

思い出されたことがある。安倍氏の国葬の折に、「国葬に反対する集会」に出席した某野党のトップがそのスピーチで「戦後最悪の安倍政治」と述べたことである。

周知のように、この国葬には参列者4000余人、献花者は23000人超と報じられ、各国の首脳らも特別機で続々と到着、その数およそ700人とのことだった。これほど多くの弔問、弔意を受けた功績者に対して「戦後最悪の安倍政治」との罵声に近い言葉を浴びせられるものだろうか。想定外である。

考え方、受けとめ方は個人によって異なろうし、思想、信条、言論、表現の自由は憲法に明記されていることだから、誰が何を言おうと、それはあっても悪くはない。

だが、もし、これが日本以外の国であったとしたら果たして許されるのだろうか。言論の自由が、これほどまでに許されている日本という国の「自由観」は正常なのだろうか。トップを公選制によって決めるべきだと発言した同志を除名処分にした某党の「言論の自由」はどう解すべきなのだろうか。

いろいろと、腑に落ちにくい思いが浮かんでくる昨今である。めまぐるしい世の中の様々の変化や、次々に起こる大小の事件やら、身の回りの些事に見られる疑問やらについて、少しじっくりと考え合ってみたい。

働き方改革の掛け声にも関わらず、現場の多忙は一向に改まらないようだ。相変わらず多事、多忙の中にあって「根本、本質、原点」に思いを致すゆとりがない。ともすると眼前、当面の処理に振り廻され、応急姑息の対応が根本解決を遠ざけ、その悪循環がいよいよ多忙に駆り立て、教員を疲弊に追いこむことになる。その打開に僅かなりとも役立てば幸いである。

2 ある校歌の一節

某県のさる校長仲間とのくつろいだお喋りの場面での一齣(こま)である。A校長が赴任した学校の校歌の一節に次の文言があった由である。

「一途に尽くせ国の為」──と。

A校長は、「こんな言葉が、今になってもまだ使われていることにびっくりした。また、それが、特別の問題にもなっていないまま過ぎていることにも驚いた」そうである。

読者諸賢はこの一場面をどのように受けとめられるだろうか。くつろいだ場面でのくつろいだA校長の一言である。御尤も! と同感するか、どうというほどのことでもないと聞き流すか。その驚きの方がおかしいよ、とひっかかって反論するか。いかがか。

以下、私見である。「そこまで来たか」というのが率直な思いだった。敗戦後も78年、平和国家も喜寿を迎えたことになる。「敗戦」と言えば、「武力の敗戦」と「心の敗戦」の二つがある、と聞いたことがある。「武力の敗戦」は、文字通り「戦いに敗ける」ことで、それは致し方なく、また当然のことである。だが、「心の敗戦」は武力の敗戦の後のことである。大和民族として「戦いの敗戦」は致し方のないことであるが、「心の敗戦」まではしてはならない、という自戒は、国民として当然持つべき志であろう。

GHQ(連合国総司令部)の日本占領政策の「根本目的」は、「日本国が二度と立ち上がって世界の脅威となれないように、その精神を崩すこと」にあった、ということは、今は隠さず公開されている事実だ。

A校長の言葉に対して、私が「そこまで来たか」と思ったのは、実はこのことである。「一途に尽くせ国の為」という文言は「国民の幸せは国家に支えられている」のだから、その事実を忘れるな、という戒めの言葉であり、校歌の一節にふさわしい言葉なのだ。

因みに、「教育の目的」は、「人格の完成を目指す」ことと、「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた、心身ともに健康な国民の育成」という2点にある。前者は個人としての目的であり、後者は国民、公民としての教育目的である。件の校歌は、後段の教育目的を謳いこんだものであろう。

くつろいだ席でのA校長の言葉は、実感に基づく正直な言葉であろう。それだけに、GHQの占領政策の成果は見事な実りを見せたと言えよう。だが何とも一面無念であり、「そこまで来たか」と私が残念に思ったのも正直な実感である。

A校長は公立校のリーダーであり、一教諭、一担任、一主任とは比べようもない大きな影響力を持つ立場にある人物である。

3 授業中に歩き廻る子ども

次はB校長との、これもくつろいだ場での話である。今の学校は様々な子どもが存在し、ひと昔前の教室とはかなり違ってきている。そのために、今の担任はそれらの子どもらとの対応にかなりの神経を配らざるを得ない。例えば──。

クラスの中で授業中突然立ち上がり、教室の中を走り廻ったりする子どもがいる。他の子どもへの影響も考え、静止を求めるが従わない。担任も、少し声を大きくして注意すると、待ってましたとばかりに彼は反抗的になって大声を発する。

それ以上に事が荒立つと勉強に支障が出るので、相手にすることを諦めて授業に戻るが、こういう事がしばしばあるので担任は困っている。

だが、そのクラスだけではない。どのクラスにもそのような子どもが一人や二人いるのが普通になってきている。校長としてもそのような子どもへのあるべき対応の指導に苦慮している。そういう子どもの家庭ではしばしば担任の子どもへの対し方について校長のところに不平や不満をぶつけてくる──、というような話である。

なるほど、私が在職していた頃とは随分の違いがある。教師の心労も思いやられて辛い気持ちになる。そこで、「そういう事態の要因はどこにあると思うか」と問うと、B校長は「よくは分かりませんが──」と前置きをして、次のような話をしてくれた。

「やっぱり、小さい時からきちんとした躾や教育をされてこなかった、受けてこなかったということの結果ではないでしょうか。昔なら絶対に許されなかったことが、その時々で中途半端に見逃され、見過ごされ、そのまま育ってしまっているからじゃないでしょうか。悪いことをすれば、私の親などは随分怖かったんですが、今の子どもたちにはそういう経験が殆どないように思えます」

「担任が、強い声で叱ったりすると、保護者が学校にクレームをつけてきます。親が謝罪に来た昔とは随分様変わりしてきています。そういう親もまた増えてきているように思われます。根は深いようです」

私はまたしても「そこまで来たか」という思いを新たにした。B校長の述懐に、私はいちいち頷いていた。私もまたほぼ同様の考えを持っていたからである。この話題には、ここではこれ以上触れることを控えて話題を転じてみたい。

4 敗戦後教育は成功しているか

私は、新採用から定年退職に至るまでの38年間を、小学校現場でのみ過ごした。その間、学習指導要領が6回に亘って改訂された。

改訂の度にキャッチフレーズのような文言が生まれた。その旗印に向かって改訂点の具現が叫ばれ、およそ10年を経て、その成果や問題点は明示されないまま、新たに改訂された学習指導要領が示される。すると、また新しいキャッチフレーズに向けて慌ただしく実践がスタートする、ということの繰り返しである。

平成29年、9回めの改訂がなされ、目下「主体的・対話的で深い学び」がキャッチフレーズになって今に続いている。令和もすでに5年を閲(けみ)した。子どもの上に、子どもの姿に、何か特徴的な改善が見られるのだろうか。

いじめの問題、長欠や不登校、高校中退、そして、特別支援教育施設の増加、増設、それらの諸問題は、かなり長期に亘って重点的に実践され、努力はされているのだが、これという好転、前進、向上の実は上がっていないように思われる。戦後教育も78年を経過したのだが、果たしてその成果が上がっていると言えるのだろうか。

学校では「保護者対応」という新しい言葉が生まれ、そういう書名の本も出版されている。「家庭教育力の低下」もかなり深刻な話題にも上っているようだ。

しかし、私はいつも「そういう大人に育つような教育」をしたのは、他ならぬ「学校」であり、「教師」ではないか、という考えをずっと持ち続けている。

先に挙げたA校長の言葉は、「個人、個性」「主体的」「多様性」「人権」というような、一人ひとりの子ども、一人ひとりの私的な大人への視点に偏り、「国家、社会」という公的な視点を失っている表れなのではないか。この件については、次稿でも続けて述べたい。

次に挙げたB校長の「はっきりは分かりませんが」という前置きをして語ったことどもは、「優しさ、思いやり」という面に偏り過ぎ、「ならぬものはならぬのだ」という、強い教育、許さない教育から逃げてきたために、結局は、一般社会の中では生活できないわがままな、不幸な子どもを量産することになったのではないか。

「モンスターペアレンツ」という言葉も生まれて久しいが、普通の温和な親に比べて、モンスターペアレンツの方が幸せだとは言えまい。モンスターペアレンツは、一見加害者に見えるが、本当は、戦後教育のどこかおかしい、どこか狂った教育の申し子(正しい用法ではないが──)であり、戦後教育の犠牲者なのだとも言えるのではないか。

「戦後教育は成功しているのだろうか。このまま続けていけばいいのか。このままではいけないのか」という問いかけを、私はいろいろの場でしてみるのだが、「このままでいい」と言う人は殆どいない。では、どうすればいいのか、と問えば皆口を噤(つぐ)んでしまう。「よく分かりませんが──」とは思いつつ、とにかく、敗戦後の教育はどこかおかしい、とは感じとっている人が大多数のように思えてならないのである。

5 「通念」の衰退、崩壊の世相

冒頭、安倍元総理の国葬に反対する集会の席上、某党首が「戦後最悪の安倍政治」と故人を語った事実を述べた。この一件は、私に言わせて貰えば「通念外れ」ということになる。百歩譲って、故人が名もない人であったにもせよ、その家族にとっては大きな悲しみの日である。だから、「御愁傷様です」というお悔やみの言葉を用いるのが「通念」なのだ。

国家、国民を幸せに導く立場の政治家の、しかもトップの言葉としては「通念外れ」「通念破り」としてしか私には映らないのだがいかがであろう。「通念」とは「一般に共通して認められる考え」である。通念を大切にした教育が健全なのだと私は考えている。

執筆/野口芳宏 イラスト/すがわらけいこ

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