算数の授業デザインとは【教科担任制 最前線!! 算数専科を楽しもう】③
今回は、算数の授業デザインを考えていきます。頃橋先生の初任から10年までの授業づくりと現在14年目で志している授業づくりを紹介しながら、先生方の授業づくりに役立つようなマインドをお届けします。
執筆/奈良県公立小学校教諭・頃橋真也
目次
THE 一斉授業からの卒業
主体的で対話的な深い学び。この言葉を耳にするようになり、授業の在り方を見直した先生は大勢いると思います。自分のこれまでの考え方や指導法を変えるのは、ものすごく勇気がいることです。
特に、一斉授業のスタイルで、数多くの実践を積まれて、成果を感じてこられた先生はなおさらです。しかし、私たち教師は、日々自分の授業をリフレクションしてアップデートしていくことが必要です。
私は現在、算数専科として3~6年生の算数の授業(全20コマ)を担当しています。初任から10年目までは、一斉授業を主体として、ペア学習やグループ学習を一部取り入れるという方法を取ってきました。このスタイルの授業を行っているときは、学力でいうと下位層~中流層の子どもに焦点を当て、これらの子どもが分かるような授業を志していました。
そのような考え方で授業をしていたときに見られた子どもの姿は、次のようなものでした。
- チャイムが鳴る前に片づけ始める児童(上位層・下位層)
- 対話があまりない授業(1人で問題を解く)
- 問題を解こうとしない、やる気が起きない児童(下位層、一部上位層)
- 45分座りっぱなしの授業
しかし、新学習指導要領が提示され、「主体的・対話的で深い学びの視点からの授業改善」を行う必要性を改めて感じました。そこで、私が注目したのは、佐藤学先生(東京大学名誉教授)が提唱する「学びの共同体」の学び合いについての考えと、西川純先生(上越教育大学教授)が提唱する『学び合い(二重括弧の学び合い)』の考え方です。コロナ禍では(10年目~13年目)は、ペアやグループでの対話にも制限がかかり、大変苦労しました。しかし、この間に、Afterコロナにどのような授業をデザインしていきたいか徹底的に整理することができました。
「学び合い」と『学び合い』
ではここで、学びの共同体が提唱している学び合いについて説明します。
佐藤学先生は著書『学びの共同体の創造』(小学館)で、
学びの共同体の改革は、授業や学びや教師の研修や学校経営の「改善」ではなく「革命」であり、改革の処方箋ではなく「ヴィジョン」と「哲学」と「活動システム」のトータルな理論的・思想的実践である。
『学びの共同体の創造』(小学館)より
と述べられています。
また佐藤学先生は同著書で、
学びの共同体では授業の前半を教科書レベルの〈共有の学び〉、授業の後半を教科書レベル以上の〈ジャンプの学び〉で組織している。―聴き合う関係を基礎として、「探求と協同の学び」がどの授業においても実現し、子どもたち1人残らず授業の最初から最後まで「学びの主人公」として夢中になって学び合っていること。
『学びの共同体の創造』(小学館)より
と述べられています。
次に、『学び合い(二重括弧の学び合い)』について説明します。西川純先生は著書、「『学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく!」(学陽書房)にて、
『学び合い』は、1人も見捨てられない社会・教育を実現するために生まれました。―第1に「学校は、他の人と折り合いをつけたり、助け合って課題を達成したりすることを通して、他者との社会的なかかわりを学ぶ場である」という「学校観」。第2に、「子どもたちは有能である」という「子ども観」。この2つの考えから、「教師は、目標の設定、評価、環境の整備を行い、学ぶことは子どもたち自身に任せるほうが、子どもが主体的に学ぶことができ、子ども同士の関係も育つ」という「授業観」が導かれます。
『学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく!」(学陽書房)より
と述べられています。
これから、私が紹介する実践は、この2つの学びの在り方から着想を得て、導いた授業のデザインです。
「みんなの教育技術」でも、「ウィズコロナ時代にあるべき学校教育像とは―『学びの共同体の創造~探究と協同へ~』著者インタビュー」で紹介されていますので、ぜひご参照ください。
私の算数の授業デザイン(マインド編)
「私が理想とする算数の授業とはどのような授業だろう?」
この問いの答えを導き出すために、私は過去の自分の授業を見つめ直すことにしました。私のこれまでの算数の授業は反省点だらけ。だからこそ、過去の自分の授業で見られたマイナスな子どもの姿や授業の考えを180度転換することが最もよいと考えたのです。
考えたのは、目指すべき子どもの具体的な姿です。私が考えたのは以下の4つの姿です。
①チャイムが鳴っても問題に取り組もうとする子どもの姿
②自分の考えを進んで表現しようとする子どもの姿
③算数についての対話が活発に行われる子どもの姿
④自分の席だけで留まらず、動きがある子どもの姿
そして、これらを目指していくと、先ほど挙げた佐藤学先生の学びの共同体の取組と西川純先生の『学び合い(二重括弧の学び合い)』を組み合わせるという方法が最もよいのではないのかということについて自分の中で行き着きました。
① 時間を忘れて没頭する
「チャイム(授業終わり)のことを忘れて没頭しているような姿」が見られる授業にしたいと考えました。そのためには、大事なことが2つあると考えています。
・対話がある学び
・上位層の解放
テストでは、問題を解くのは1人です。しかし、授業は別物です。私はまず、すべての問題を友達と席をくっつけていつでも聴き合えるような場をつくりました(コロナ禍以降、座席と座席の間を少し空けている学級も多いと思います)。
現在は、3・4年生のクラスでは3人1組を基本としたグループにしています。5・6年生のクラスは、ペアでもグループでも学びやすい方法ならOKとしています。そのため、子どもは、「ねぇ、ちょっと教えて」が言いやすくなります。問題文を読む段階から近くの子どもといっしょに読みながら考えることができます。このように対話がしやすい場づくりを教師が進めることで、学びやすい子どもが増えると思います。
なかには、席をくっつけずに学びたいという子どももいます。これもOK です。「自分が困ったときは近くの人に声をかけること」と「友達に『教えて』って言われたときは、いつでも反応すること」の2点を伝えておけばよいだけです。
上位層の解放については、発展的な問題にどんどん取り組んでいくことが大切です。佐藤学先生は『学び合う教室・育ち合う学校 ~学びの共同体の改革~』(小学館)でジャンプの課題について次のように述べています。
ジャンプのある協働的学びの効用は、一人ひとりの子どもの思考と探求を発達させ、できる子どもの学びを実現させるだけではない。それ以上に、分からない子、できない子の学びを夢中にさせ、彼らの基礎基本の理解を成就することにある。
『学び合う教室・育ち合う学校 ~学びの共同体の改革~』(小学館)より
私も、この教科書レベルを遙かに超える問題を協同的に探求することの大切さに注目して、課題を子どもたちに出します。実際に、私は4~6年生の算数の授業では、中学校の入試レベルの問題を子どもたちによく課しています。問題を見たとき全員に「???」が浮かび上がります。
そして、その後、対話が起こって、あれこれ言いながら、みんなで取りかかっていきます。
学力の上位層の子どもも下位層の子どもも、みんないっしょにです。
② 静かな授業からの卒業
「自分の考えを進んで表現しようとする子どもの姿」を育てたいと考えたときに私が取りかかったのは、「算数の時間特有の静かすぎる場」の改善です。
先生方のイメージとして、算数の時間は静かに黙々と問題を解くというイメージはありませんか? 実際に、全員が一斉に練習問題に取りかかっているときなど、一斉授業ではよく見られる光景でした。
しかし、学びに最も大切なことは、「分からへん………」というつぶやきであることに気付かされました。だからこそ、「分からない」ときに、「なぁなぁ、ちょっと」と友達に言うことができた子どもがいれば、授業終わりに盛大に褒めることを4月当初は行いました。
算数の授業は静かな場ではなく、友達といっしょに分からなさを共有し、いっしょに考えていく場であるということを教師が受け止めることが大切だと思います。
教師がつぶやきや対話を認め承認することで、算数の授業にも活気が出てきます。
③ 活発な対話を作る秘密
「算数についての対話が活発に行われる子どもの姿」を生み出すために私が考えたのは、教師の説明を限りなく0にするということです。教師が話をすれば、子どもは静かに話を聞きます。発問や指示はしますが、説明を少なくしようとすると、その分子どもが話をする時間が確保されます。
教師は、「説明したい生き物」だと私は思っています。子どもたちの反応がよかったら、どんどん話してしまうときがありませんか? まさに、私も説明したがりの代表です。そこをぐっとこらえて、子どもに委ねてみるということが大切です。
しかし、ときには、算数に関係ない話やとんでもない方向に話が進むときもあるかもしれません。そのときは、子どもの話を「(困り感や考えを)聴いて」「(友達に)つないで」「(課題に)もどして」あげるだけです。
④ 立ち歩き大歓迎
「自分の席だけで留まらず、動きがある子どもの姿」をつくるために私が行ったことは、立ち歩かなければならない状況をつくることです。
私の授業では、算数の教科書の問題の答え合わせは子どもが、教師の指導書を見て行います。
そのため、指導書のある場所まで、移動をして丸を付けます。
実はこのようにすることにも理由があります。
・立ち歩くことで、集中の気持ちが一度リセットされる。
・より多くの友達とも対話をすることができる。
人間の集中力は、45分間維持できると言われています。しかし、極めて高い集中力を維持できる限界は、脳科学的にわずか15分だそうです。つまり、45分間集中しっぱなしというのは、小学校の子どもには難しいことが分かります。だからこそ、答え合わせをするために立ち歩くことは、体を動かしているので、一度気持ちがリセットされ、再び集中しやすくなると私は感じています。
このときに、他にも答え合わせをしにきている子どもがいるので、そこで必ず対話が起こります。
うわ~、間違えてた~‼
えっ、どこどこ⁇
何で答えが違うねんやろ?
見せて、見せて。
このような会話が自然に発生します。
指導書を見せ、答え合わせを子供に委ねるだけで、これほど豊かな会話が生まれていくのです。
先生方の中には、「指導書なんて見せたら絶対あかんやろ!」と思う方もいるかもしれません。実際、私も以前は、このようなアイデアはありませんでした。しかし『学び合い(二重括弧の学び合い)』での多くの実践で指導書を見せて、答え合わせをしている授業風景を目の当たりにしました。
子どもたちは、答え合わせのために指導書を見るのです。答え以外のところを見ようとはしません。さらに言えば、次の問題の答えも見ようとはしません。答えだけ見てノートに書いても、まったく意味がないことくらい子どもたちは分かっています(念のため次の答えのところに付箋を貼って、答えが見えないようにはしています)。
「指導書は見せてはいけない」という常識を疑ってみるべきだと思います。指導書を使って、子どもが自分で答え合わせをすることで、教師は黒板に答えを書く手間が省け、その分、子どもを見取る時間も生まれます。
ぜひ、先生方も、自分の中の常識を疑ってみてください。
学びから1人も逃さない
このように私は、学びの共同体×『学び合い(二重括弧の学び合い)』のそれぞれの学びのよさを生かして、組み合わせることで授業をデザインしています。
そして、佐藤学先生と西川純先生の理論に共通するビジョンとして、「1人も学びから逃さない」という考えが基盤にあると思います。この「1人も」という考えには、学力の下位層だけでなく、上位層も含まれています。
これまでの私の授業のつくり方は、課題のある子どもばかりに目が行き、学力の上位層の子どもの視点に立った授業づくりができていなかったように思います。
私は課題のある子どもを見ると「なんとか、分かるようにさせてあげたい!」と思ってしまいます。その思いが先行するあまり、上位層の子どもを退屈にさせていたのかもしれません。もっと、彼ら/彼女たちが思わず考えたくなるような課題を提供するべきだったのです。
ミニ先生ばかりではなく、もっと挑戦的な課題にみんなでチャレンジさせてあげるべきだったのです。After コロナの今、1人1台端末もあり、私たちは多様な授業のデザインができるようになりました。オンラインを活用した個別最適化な授業づくりが可能となったことにより、個別最適化と協同的な学びをどのように捉えていくのかについて私たちは考えていく必要があります。
頃橋真也(ころはし・しんや)
教員歴14年。県の道徳研究会に13年間所属し、道徳の授業作りについて研究を深める。2021年度「第27回日教弘教育賞奨励賞、2022年度「第21回ちゅうでん教育大賞」教育奨励賞、授賞。X(旧Twitter)でも、情報発信中(ro5ro5先生@小学校の先生 @ro5r_o5)。
イラスト/畠山きょうこ