図工で子どもたちの制作中に、教員が他の仕事をすることについて


図工の時間、児童たちが自分の作品に向き合っている制作時間のことを、あなたはどんなふうに捉えていますか? さまざまな業務を抱えているみなさんは、もしかしたら「これは空き時間だ!」と考えて、ドリルの丸つけや宿題のチェックに使ったりしてないでしょうか? 時間の有効活用かと思いきや、いいことはありませんでした。今回は、筆者の失敗談を交えてご紹介していきたいと思います。
題字・イラスト・執筆/埼玉県公立小・中学校教諭 坂齊諒一
連載【いちばん楽しいアート】#17
1、丸付け(別の活動)をしたくなってしまう原因を考えよう
「この少し空いた時間に〇〇をやってしまえば間に合う」という状況になることは珍しくありません。私も何度もそうなったことがあります。時間が足りずに準備が間に合わなかったときもあれば、ふっとした瞬間に「あれがあったら授業で役立つかもしれない」といい考えが浮かんだときもあります。詳しく原因を考えてみましょう。
●児童が作品に集中していて、こちらから声を掛ける必要がない。
●図工が苦手だから、変に声を掛けずに自由に行わせた方がいい。
●技術指導ができないから、声をかけることができない。
●次の授業で使う物の準備をしたい。
●宿題のチェックをしてしまえば、昼休みや業間休みに児童と遊ぶことができる。
●絵を描いている(作品を作っている)ことがわかっているので、何か起きたときに丸つけをしていてもすぐに対応できる。
このような原因があるのではないでしょうか。確かに丸付け(別の活動)は終わるかもしれませんが、良いことはそれだけです。弊害の方が遥かに多く、後から取り戻すことができないのです。では、どのような弊害があるか考えてみましょう。
2、取り返しのつかない弊害がある
⑴ 児童から「図工に対して熱がない」と見抜かれる
児童は本当によく先生のことをよく見ていて、小さな変化や何気ない言動までよく覚えています。我々教師の行動や言動は常に児童に影響を与えます。その先生が図工の授業中に別のことをしているとどうでしょうか。きっと「先生はあまり図工が好きじゃないんだな」「適当だな」とすぐに気がつくでしょう。教師の熱量がないものに児童は積極的に取り組むでしょうか? また、児童に「こう描いてみようよ」「時間まで描きましょう」と言ったとて、それが説得力をもつでしょうか。
それに、「すごいね!よくこんな表現思い付いたね!」などと児童に声をかけても「先生丸付けしてたから見てないでしょ?」と思われてしまいますね。
⑵「何かを表現するって楽しい」という気持ちが育たない
何かを表現するということは、「誰かに見てもらう」ということとセットになっています。子どもも大人も表現して満足、とはならないのです。児童が何かを表現したときに、その表現に対して考えを伝えられる人は「先生」です。経験則になりますが、自発的に友だち同士でお互いの作品を見合って褒め合い、表現の楽しさを高め合う様子は見たことがありません。先生が積極的に関わり表現に対して何かを伝えることで「表現って楽しい」という気持ちが育ちます。また、作品を見合って表現を認め合うという姿勢や雰囲気が芽生えます。
⑶ 教師からの声掛けがないがために、児童の表現の幅が狭まる
児童は「何を描けばいいだろう」「こう描きたいけれど方法が分からない」「描いた絵を見てほしいな」といろいろなことを考えています。その考えに対して適切な声掛けができないということは、それだけ授業が楽しくなる芽を潰してしまっていることになります。声掛けについては別記事で詳しく書いています。
⑷「内職をしてもいい」ということを教師が暗に示してしまう
ふだん、児童たちに「やるべきときに、やるべきことをしよう」と伝えている方は多いのではないでしょうか。
そして、もしも授業中に児童が別のことをしていたら、「それは今やるべきことですか?」と、あなたは注意するのではないかと思います。
もちろん児童と教員という立場の違いもありますが、仮にも授業中であれば、その授業の内容や目的に合致したことをしなければ、児童に対して言っていることと、自分がしていることが違っていると思われても仕方がありません。今後の教師の発言に説得力がなくなってしまいます。
