誤答の研究─脳科学の研究で分かった「失敗こそが学び」
脳科学者の池谷裕二教授は、2016年と2018年、ネズミを使った学習の実験を行い、研究成果を発表しました。それによると、学習の初期段階で多く間違えた(失敗した)ネズミほどその後の学習が速くなることや、間違える時に塾考した方が学習が速くなることなどが分かったのです。私たち教育関係者がなんとなく感じていた「誤答の重要性」が、脳科学分野でも証明されつつあるのです。
目次
ネズミの学習実験から、失敗の重要性が浮上
私は、ネズミの学習における失敗に関わる二つの実験の研究結果を発表していますが、それは、最初から失敗について研究をしようとしたものではありません。
ネズミの実験では、生まれもっての差がほとんどないように、遺伝子がほとんど同じネズミを使います。しかし、実際に学習をさせてみると、速いものとそうでないものの個体差が大きく表れるのです。そこで、その学習効率の差はどこで生まれるのかを研究していたんです。
ですから、最初から失敗を狙い撃ちにして実験したのではなく、失敗も含め、ありとあらゆるパラメーターを調べました。そうして、学習の速いネズミとそうでないネズミを比べてみると、結局、残ってくるのは、失敗に関連するパラメーターだったのです。
二つの研究結果のうちのひとつは、学習の初期にたくさん失敗した、失敗率の高いネズミほど最終的に学習スピードが速く、学習を達成するまでの日数が短くて済むということです(実験1参照)。
実験1 マウスによる迷路学習
スタートからゴールに到達する経路が7通りある迷路を用意し、マウスが最短ルートを学習するのに何日かかるかを実験します。途中で迷路の一部を閉鎖したり、開放したりして、より複雑にして実験を重ねます。
複数のマウスで実験した結果、3〜18日でどのマウスも最短ルートを見つけることができましたが、行き止まりにはまり込んだマウスほど、速く学習しているということが分かりました。さらに、初期に多様な間違いをたくさんしたマウスの方が、最短ルートや効率的な迂回路を見つけられることが分かりました。
この迷路の学習は、数日でできるので、初日や2日目にたくさん失敗をしたネズミの方が学習が速いわけです。
この研究でもうひとつ分かったのは、同じ回数失敗をした時、多様な失敗をしたネズミほど、最終的な学習の成績がよいことです。つまり、失敗をする時、同じ失敗を繰り返すのではなく、10回失敗をするなら10種類の失敗をしなければダメだということです。
2018年に発表した研究では、もう少し難しい課題にしてみました(実験2参照)。すると、同じ失敗でも、すぐに選んで失敗してしまうネズミと、選択までの時間があって熟考しているように見えるネズミとでは、後者の方が最終的な成績がよかったのです。つまり、「失敗してもいいや」と、ろくに考えずに選んで失敗する「早とちり」はダメなのです。
実験2 ラットによる早とちり実験
小部屋の壁に2つの穴があり、ラットが穴に鼻先を突っ込むと、エサがもらえるということを、事前に学習させておきます。次に、どちらか一方の穴で緑のランプを点灯させ、点灯していない方の穴に鼻先を突っ込んだときのみ、エサがもらえるというトレーニングに切り替えます。このとき、ランプの点灯から鼻先を穴に入れるまでの時間を計測します。
実験では、鼻先を入れるまでの時間が短いラットほど、不正解になりやすく、また、学習する速度も遅いという結果になりました。
つまりは、早とちりする(ランプ点灯から鼻先を入れるまでの時間が短い状態で間違う)のは学習効果がよくない、じっくりと考えた後に失敗するほうが、学習をより促進することが分かりました。
さらに、ただじっくり考えて選択していれば、結果はどうでもよいというわけではありません。実は、じっくり考えて正解するより、失敗した方が成績がよいのです。
それは多分、正解すると反省しないからです。当たり前ですが、正解すると、「やった」「できた」と、それについてあまり考えません。それに対して、じっくり考えて失敗すると、「なぜできないんだろう?」「どこのプロセスが悪かったんだろう?」と、反省をし、さらに考える。それが学習を促進すると考えられます。
このようなプロセスを専門用語では、「検索の失敗が学習を促進する」と言います。つまり、答えをあれやこれやと推測し、考えを巡らせて、それでもなかなか答えが見つからないというプロセスが重要で、パッと考えたらすぐに答えが見つかるのではダメなのです。
失敗は悪いことだというイメージを捨てよう
この記事は「誤答(失敗)」に関するものですが、失敗が教育の特集記事のテーマになるということはおかしなことです。そこには、失敗は悪いもの、避けたいものという世間のイメージがあると考えられますし、実際に先生も間違えると怒ったり、減点してしまったりします。それは失敗することは悪いことだと教えていることになります。だから、失敗することに対し、子供は萎縮するし、めげるし、罪悪感もあるのです。私は、「失敗ってこんなによいものですよ」という、ごく当たり前のことを言っているのですが、教育現場にはそうではない雰囲気があるのだと思います。
もちろん、失敗がいけない局面もあります。
先に、失敗は学習の初期に起きないとダメだと説明しましたが、学習の中盤から終盤にかけて失敗をすると、かえって成績が悪いのです。理由はまだ分からないのですが、単純に失敗が成果に響くということ、また後半になるとネズミ自身も「こうすればエサがある」と思っているのに、エサがないとめげてしまうこと等が考えられます。ですから、後半の失敗は本人にとってもよくないし、課題遂行という点でも時間がかかってしまうのです。
人間でも、社会人になって重役から社長に上がろうというような重要な時期に失敗をすると、大きなダメージがあります。失敗は高齢者、熟達者になればなるほど痛いものです。ですから、失敗に対してネガティブなイメージをもつことは非常によく分かるのですが、それは大人の話です。それにもかかわらず、小学校の子供たちに大人の価値を押し付けてきたということが問題なのです。少なくとも、小学校の時の失敗は、人生の初期ですから問題はないのです。
哺乳類の脳は、失敗を積み重ねて学習する
実は、私たち哺乳類の脳の成長は、基本的に消去法で学習しています。「あれをやってはいけない」「これをやってはいけない」と、失敗を消去しながら成長をしていくのです。「授業中寝てはいけない」とか、「算数で1+1=5とは答えてはいけない」というように、他の選択肢を消しながら、正解への道に近づくという形をとっています。正しいことを学ぶというよりも、何をすると失敗するかという、消去法の色合いの方がかなり強いのです。
もちろん、褒められたいから学ぶという強化学習もあります。しかし、私たちの脳は、基本的に消去法、誤差学習です。誤差学習とは、何かを期待して行動した時に、期待との誤差が出ますが、その誤差を最小限にするように自分の行動を修正し、失敗を繰り返しては修正していく学習です。
実は、人工知能のディープラーニングも、すべて誤差学習です。これをしたら失敗するということを人間が教えてあげて、これだけ性能をあげているのです。人工知能は失敗をしたからといっていちいち凹んだりしませんし、人が人工知能を責めたりもしません。人工知能は粛々と失敗をして、次に行う行動はできる限り正解に近づけるように試行錯誤しているだけです。それによって、あれだけ成長をしているのです。この一事からも、失敗という言葉のニュアンスを変えることの必要性が見えてくるはずです。
ただし、消去法、誤差学習を全部自分でやるのは難しいことです。例えば、「台風の時に海水浴に行ってみよう」とか、「ライオンの檻に入ってみよう」というのも失敗の選択肢ですが、それを直接体験してみようとすると、次がないわけです。ですから、他人の経験を借りて、他人の失敗から学んでもよいのです。
秋田県や新潟市で、「こういう誤答(失敗)ってあるよね」という授業をやっているのは、他人の失敗を追体験することを、システマチックな形で授与しているわけで、脳の生理学からいうと非常に理にかなっています。
ただし、誤答例としてクラスの誰かの誤答を扱うと、傷つく子供がいたり、親御さんが理解してくれなかったりするかもしれません。ですから、典型的な誤答例をビッグデータの解析からいくつか挙げていって、先生を通じて子供たちに考えてもらうようなスタイルをやっていくことが、大切だと思います。ちなみに、そもそもアクティブ・ラーニングも、検索の失敗が学習を促進するというものです。
もちろん、失敗が大事だからと言って、成功体験がまったくなくていいわけではありません。先に誤差学習の話をしましたが、誤差を修正するためには、何が誤差であるかを見極める能力が必要です。つまり、正解が分かっていないと、誤差も分からないのです。
理想である姿、あるいは解答から、今、自分がどれだけ乖離しているかを認知するためには、正解も知らなければいけないし、その上で、自分を客観的に眺めるメタ認知ができないといけないのです。そのためには、最低1回でも、成功した時の快感を知らなければいけないのです。
さらに、失敗体験だけでは、正解に対するモチベーションがなくなってしまいます。成功体験ばかりではダメなのですが、失敗ばかりでもダメなのです。
「失敗したらラッキー」学習は急がば回れ!
これから、授業を行っていく時、先生方には、少なくとも学習の初期において、「失敗したらラッキー」というような雰囲気を子供たちに伝えてほしいと思います。「むしろ今は、失敗をした方がいい」「得した!」くらいの、雰囲気です。失敗すると、たまたま正解したら見つからないことがたくさん見つかるわけです。それは、遠回りではなく、むしろ近道だということです。学習は、「急がば回れ」というところがあります。失敗した方が、むしろ遠回りではなく近道になっているのです。
今後は、市町村レベルの教育委員会で、失敗から学ぶことに意図的に取り組んでみられたらよいと思います。それで成果が上がれば、次第に他の自治体も取り入れていくでしょう。そのようにして、最終的には国全体の指針にしていくことが、本当に求められる動きだと思います。失敗の大切さに気付いた人が、実践しながら部分部分で発信し、その意味を伝えていくことが大事でしょう。私たちは神経科学で脳研究に取り組んできていますが、教育学の視点からその意味を読み取って実践に取り入れていってもらえれば嬉しいところです。
〈取材記者の見方〉
これは、「所詮、ネズミの実験でしょ。人間に当てはめるのは間違い」と考える方もいるかもしれません。しかし、人間もネズミも哺乳類の仲間であり、基本的な構造は、人間の脳もネズミの脳も同じなのだそうです。
もちろん、恋愛や株の取引や言語等は、ネズミの実験ではできません。しかし、学習意欲や学習能力等については、人もネズミもほとんど変わりません。
ちなみに、人を使った実験を行うこともあるそうですが、さまざまな阻害要因があり、データをとるのが非常に難しいということです。
例えば、人の記憶力についての実験を例にとると、被験者が実験の前にどんなものを食べたり飲んだりしたかで誤差が生まれてしまいます。コーヒー(カフェイン)やチョコレート等は、記憶力にプラスの影響があり、二日酔い等はマイナスの影響があります。それらを完全に排除して実験しなければなりませんが、かなり条件が難しいそうです。
一方、ネズミやウサギ等は、いつでも一生懸命取り組むため、記憶や学習のような雲をつかむような実態を見たい実験に適しています。
池谷先生は、「『ネズミの実験なんて意味がない』と考える人がいるとしたら、逆に『所詮、人の実験でしょ?』(人の実験なんてあてにならない)と言いたいです」と答えてくれました。
取材・文/矢ノ浦勝之
イラスト/高橋正輝
『小二教育技術』2018年9月号より