東京都町田市や北海道旭川市で起きた痛ましい事件のように、時として子供たちの命を奪う「いじめ」。日々の確かな学級経営によって予防すべきですが、それでも起きてしまった場合、一刻も早く事実確認をし、適切に対応、解決しなければなりません。具体的でリアルなプロの対応術を解説する話題沸騰の連載マンガ、第2話を公開。主人公たちは、いよいよ加害者への指導を開始します。
不敵な笑みを浮かべる少女は、天使か、闇の女王か!? 怒濤の展開と大きな感動が待ち受けるこの後のストーリーは、絶賛発売中の単行本『いじめと戦う!プロの対応術』(←書名をクリックすると販売サイトへ移行します)でお楽しみ下さい。
目の前のいじめがなくなったからと言って、いじめが解決したことにはなりません。被害者が自分に対する自信を失い、集団に対する不安を抱えたままでは、「またやられるんじゃないか」「どうせ自分が悪いんだ」「誰も信用できない」と、いじめられているときと変わらない心理状況が続いているのです。被害者の自尊心を回復させ、安心できる居場所をつくることが解決のゴールになります。
では、加害者についてはどうでしょうか。加害者にとっては、「攻撃性をコントロールできるようになる」ことがゴールです。人を攻撃することで得られる「あいつよりマシだ」といった偽りの自尊心ではなく、「いじめなんてしたくない」という本当の自尊心を持てるようにすることがポイントです。
誰かをいじめることで得ていた「ストレスを解消できた」という思いや、「他人を自分の思い通りにしたい」といった気持ちを捨て、「自分の話を聞いてくれる人がいる。自分に自信がもてる」と、ポジティブに感じられることが、加害者にとってのゴールです。
担任している学級の子供たちに対する温かい関わりは足りているでしょうか。自分自身が満たされていれば、人は他人に寛容になれます。
そもそも子供たちは「違い」に敏感です。その他大勢と違っている子の違う部分を攻撃してしまうこともよくあります。「みんなと違った人」がいるのではなく「みんながそれぞれに違っている」、そして違っているそんな自分もみんなに受け入れられている――。学級の中に、そんな感覚を醸成することが大切です。
「変わっている」ことを善いことだと捉え直すために、私は子供たちの前で、次のような語りをよくします。
「寝食を忘れて一つに没頭できる人って、他のことが気にならないから、周りからは変わった人に見えるものだよ。そしてじつは、世の中で凄い発明をしたり、大きな変化をもたらしたりする人って、そういう変わった人ばかりなんだよね。
どんな人にも子供時代があるから、将来大きな仕事を成し遂げる変わった人も、普通に教室に一緒にいたりする。その人をもし、「変わっているから」という理由でみんなでよってたかっていじめたら、その人はどうなってしまうだろう。
最悪、自ら命を絶ったり、自信がもてなくなって、何もできなくなるかもしれない。もし将来難病を治す画期的な新薬を開発する人が、子供時代にいじめで力を発揮できなくなったら、人類みんなの損失だよね。すごく変わった人は、将来あなたが大人になってかかる病気の特効薬を開発する人かもしれない。その人をあなたが攻撃したら、あなたの病気も治らないかもしれない――。だから「変わっている」からと言って人を攻撃しても、何も良いことはないんだよ」
執筆/千葉孝司(北海道公立中学校教諭)
時として子供たちの命を奪ってしまう「いじめ」。日々の学級経営によって予防すべきですが、それでも起きてしまった場合、一刻も早く事実確認をし、適切に対応、解決しなければなりません。そこには、プロとしての具体的でリアルな対応術が求められます。
いじめ対応実践の第一人者、千葉孝司先生(北海道公立中学校)の監修のもと、『江戸城再建』等の作品があるビッグコミック連載作家・黒川清作先生が描き下ろした新連載をお届けします。
この物語の全話は、絶賛発売中の単行本「いじめと戦う!プロの対応術」(←書名をクリックすると販売サイトに移行します)に収録されています。ご購読ください。
いじめ指導の基本的な流れは、事実の確認 → 加害者への指導 → 被害者への謝罪 → 傍観者への指導 です。
最初にするのは事実の確認です。
事実には客観的事実と心理的事実の2種類があります。
客観的事実とは、誰の目から見ても一致する事実や行為ですが、子供たちの心理的事実を無視してそこに到達することも難しいものです。
「遊んでいただけです」と言う加害者に対し「それはいじめだろう」と言っても平行線をたどることがあります。まずは否定せず行為の際にどんな気持ちであったかを聞き出した上で、改めて振り返らせると、「悪かった」「やりすぎだと思います」という言葉を口にします。
Aさんが「ちらっと見た」(客観的事実)ことを「にらまれた」(心理的事実)と捉えている被害者もいます。まずはどう感じているのかという心理的事実を語らせたうえで、客観的事実に迫っていきます。
被害者からのヒアリング中には、先週されたことを聴いているのに、もっとさかのぼった過去の出来事が混在してしまうことがあります。被害意識が強い場合もありますが、そこに過去の経験が影響を与えていることもあります。被害者の心理的事実を受け止めることは、心のケアそのものにもなっていきます。
被害者と加害者の心理的事実同士をぶつけ合っても、全体像がぼやけてしまい、指導が中途半端になります。「わざとぶつかった」という心理的事実を引き出したとしたら、そこにとどまらず、「ちらっと目があってからぶつかった」というような、「誰が見ても一致する客観的事実」に到達し、置き換えておく必要があります。
先の見通しを持つのが苦手、人の気持ちを想像し理解するのが苦手、つい衝動的に動いてしまい考えてから行動するのが苦手……。加害者の中にはそういった特性を持つ子も多いものです。自分の行為で相手や周囲がどんな気持ちになるか、その行為が続いていくと最悪どんなことが待っているのか、一緒に考えていく必要があります。
いじめはされた側よりもした側にとって「黒歴史」となるのだ、ということも伝えます。「あ、これはまずい」と納得させたうえで、自分の行為の悪い点、どうすればしなくてすむのか、そのために必要な考えや行為、これから相手にどうしたらよいかなどを考えさせます。
そして二度とその行為をしないことを約束させます。するとそれ以降、「先生との約束をきちんと守っているね」というポジティブな声かけが出来るようになります。
加害者に「先生に言われたから仕方なく謝っているだけだ」と思わせてはいけません。謝罪内容を一緒に考え、実際に言わせてみることが大切です。そしてその言葉を聞いた相手がどう思うかを想像させます。加害者が「謝ってもらったけど不安だと思う」と言った場合は、不安を取り除く態度や方法についても考えさせます。
〈謝罪の言葉の例〉
「自分が人の気持ちをきちんと考えなかったせいで、すごく嫌な思いをさせてしまいました。今はとても悪いことをしたと反省しています。これから二度と同じことをしないことを約束します。どうもすみませんでした」
いじめの場面をただ傍観していたことがいかに悪いことであるかを伝え、そうした場面を目撃した際の具体的な行動の方法と、教師の決意を伝えます。
以下は、傍観していた学級の子どもたちに対して教師がどう話すかの一例です。
「例えば幼児がよちよち歩きをしながら崖へと向かっていたら、どんな悪人でも駆け寄って止めるはずです。『自分は突き落としてはいない、見ていただけだ』と言っても、そうした場面で何もしないことは許されることではありません。いじめはする側もされた側も見ている側も、全ての人を傷つけます。
クラスでつらい思いをしている人がいたら、先生に伝えてください。直接言うのが難しければ、「〇〇さんが嫌な思いをしています」という紙を先生の下駄箱に入れてください。
先生はあなたたち一人ひとりを大切にしたいと思っています。でも全てを見ているわけではありません。どうか協力してください。必ず一人ひとりを守ります」
執筆/千葉孝司(北海道公立中学校教諭)
「いじめ対応の本質と、解決のための具体的手順がよくわかる」と、学校の先生方、そして子育て中のお母さんたちの間で好評の『マンガで解説 いじめと戦う! プロの対応術』。待望の第3話を公開しました! 今回のテーマは「いじめを否認する加害者への指導」。 経験の浅い若手男性教員が、手強い「女子いじめグループのリーダー」と対決。物語は波乱の展開を迎えます。
怒濤の急展開と大きな感動が待ち受けるこの物語の全話は、絶賛発売中の単行本「いじめと戦う!プロの対応術」(←書名をクリックすると販売サイトに移行します)に収録します。どうぞご期待ください!
保護者の中には、わが子と自分自身との心理的距離が極めて近い人もいます。わが子が先生に叱られると、まるで自分が叱られたかのように感じ、強く抗議してくるタイプの人です。加害者の子供の保護者がそういうタイプだった場合、
「わが子もいじめられていたことがある」
「わが子がそうするには、それだけの理由がある」
「わが子だけでなく、他の子もやっている」
といった主張をし、子供への指導が困難になることがあります。被害者の子供の保護者がこのタイプの場合は、不利益を被ったことに対して、「どうしてくれるんだ」と学校を責め立てる場合もあります。
十分な準備をせずに双方の保護者を会わせてしまうと収拾がつかなくなってしまうことは想像に難くありません。ヒートアップしている保護者の心の根底にあるものは不安です。それぞれが感じている不安は何で、どんなことに困っているのだろう、と、保護者の心情を理解しようとする姿勢が何よりも大切です。
保護者と学校が対立する構図になりやすいのは、解決の主体を互いに押し付けようとするからです。「家でもしっかり指導してください」と伝えるのではなく、学校で起こったことは学校の責任で指導します。そして保護者に対しては、「足りない部分を協力してもらえないでしょうか。なぜなら、あなたのお子さんが大切だからです」というスタンスで接します。そういうスタンスは対立を生みにくくします。いじめという罪を子供だけに背負わせるのではなく、保護者に押し付けるのでもなく、学校が一緒に背負っていきます、という姿勢が必要です。
執筆/千葉孝司(北海道公立中学校教諭)