「おまえはオネェか」ツッコミやめて…はるな愛さんインタビュー

特集
各界のプロから教育現場へのエール

第二次性徴期へと突入していく小学校の高学年の子どもたちは、もしかしたら、学校の日常の中で静かに傷ついているかもしれません。

物心ついた時から自分を女性だと認識しながら、男性の体で生まれてきたために苦しみ、現在は性別の壁を越え、自分らしく輝いている、はるな愛さん。

ご自身が子供時代に感じていたこと、今になって思う先生に知っておいてほしいことをお伺いしました。

はるな愛さん

はるな愛●1972年、大阪市生まれ。タレント、実業家。本名、大西賢示。1991年、性転換手術を受ける。2008年、「エアあやや」でブレイクし、『ミス・インターナショナル・クイーン2009』優勝。近年は演歌歌手としても活躍。

「女らしいこと=自分らしさ」を否定され続けてきました

高学年は、体がどんどん成長して、大人の世界のこともちょっとわかってくる時期ですよね。子供から大人へと成長していく、心も体もゆれ動くデリケートな時期だと思います。

私自身もそうでした。五年生の頃は大人になるのがいやで、必死にもがいていたんです。六年生を送り出す行事などがあると、小学校時代の終わりを感じて塞ぎ込んでしまって。

なぜかというと、男としての自分の未来に希望が持てなかったからです。大人になった時に「男としての人生」しかなかったらどうしようと悩んでいたのです。

授業中も、女性の歴史上の人物が教科書に出てくると、先生の話が耳に入ってこなくなってしまう。

例えば、紫式部が出てくれば、「あぁ、紫式部は女性だからこういう生き方ができたけど、私はどうなるんだろう。大人になったら、どうやって生きるんだろう」と。そうやって、常に二択のテーマが頭の中でぐるぐる回っていたんです。

男で生きるのか、女で生きるのか。

自分は女として生きていきたいと思うけれど、女らしいことをするといつも大人に叱られて、「女らしいこと=ダメなこと」という意識を植え付けられていました。だから自分らしさに自信が持てなかったんです。

自分のために生きる女の人生を選ぶのか、親を悲しませないために、親のために生きる男の人生を選ぶのか。本当の自分は男としては生きられないのに男として生きる人生を選んでしまったら、それは果たして人生を生きる意味があるのだろうか。楽しくない人生を生きるくらいならばいっそ、死ぬか・・・。そこまで、追い詰められていました。

日々、そういった二択に苦しめられていたので、1日が終わるたびに「あぁ、刻一刻と自分の進路が決められていく・・・」と暗い気分になっていました。

そんな沈んだ毎日を過ごしていたせいで、実はあまり五年生の記憶がないんです。

六年生の時には校歌の合唱でピアノを伴奏して、「自分が女らしいことをできた年」として、よく覚えています。でも五年生はそんなハイライトもなく、ひたすら「男の子でいる時間」だったので覚えていません。それだけ人生に悩んでいたんです。

テレビでカルーセル麻紀さんを知って、手術をすれば、どうやら男が女になれるらしいということは、なんとなく知っていました。でも詳しい情報はわかりませんし、手術というものが怖かった。なんだかんだいってもまだ五年生です。できればこのまま痛いことをしないで自分の人生を思うままに過ごしたいと、願っていました。

五年生の時に好きだったのは、図書の時間です。その時間だけはよく覚えています。友達は毎回違う本を選んでいましたが、私は誰にも取られたくない1冊がありました。

『人魚姫』だけは譲れない、とっておきの1冊だったんです。体が半分人魚で半分人間という人魚姫のアンバランスさと、自分の心と体のアンバランスさがぴったりと重なって、いつも『人魚姫』を読んでいました。開いた本の間に顔を挟んで、自分だけの世界に入り込むんです。

学校でも、家でも、男の子でいる時間は、現実を突きつけられるつらい時間でした。本の世界に逃げ込んで現実から目を背けることで、自分をコントロールしていたんだと思います。『人魚姫』は何か得るものがあれば、何かを失うという物語でもあります。手術をしても戸籍を変えても、完全な女性にはなれないとわかっていたので、矛盾するようですが、そこはきちんと現実をみておきたいという覚悟のようなものが幼心にあったんでしょうね。

小学生時代のはるな愛さん

テレビ出演で有名になり、学校で歌を披露することも。歌っている時は、本来の自分でいられた小学生時代。

図書の時間に『人魚姫』を読み、家ではこっそりお人形遊びをする。自分の中にすべてを抱え込んで、飲み込んでいました。だって、理解してくれる大人は周囲にいませんでしたから。

生まれ育ったのは市営住宅で、団地は大きいのに人間関係はとても狭かった。ちょうど五年生あたりから、私がテレビで素人の歌番組に出始めたんです。大好きな松田聖子さんのモノマネをしながらフリフリの衣装を着て、聖子さん風のメイクをして。普段は女装をすると親に叱られたけど、オーディションに受かれば、仕事としてOKしてくれたんです。でも、団地社会では、そうはいきませんでした。

「大西さんの家の息子が女の格好をして、テレビに出ている」「息子がオカマになって大変らしい」と、あっという間に私の家のことが噂になったんです。
当時はまだそういう形でテレビに出ている人も他にいなかったし、キワモノのような扱いでなかなか理解してもらえなかった。心が女の子だなんて相談したら、変態のように思われる時代だったんです。

狭い社会ですから、そうやって噂をされていることは私の耳にも入ってきました。私の気持ちが傷つくというよりも、家族に負担をかけているということが申し訳なくて辛かった。

でも、学校で上級生から「オカマ」「女の腐ったやつ」とからかわれた時はさすがにグサッときて、家に帰ってわんわん泣きました。

たぶん、お母さんに知ってほしかったんだと思います。「どうしたの?」と聞かれて理由を話したら、いつもは怒ったりするようなお母さんじゃないのに、サッと私の手を引いて、上級生の家へ行ったんです。

そこで相手のお母さんに、「お宅の息子がウチの息子に、女の腐ったやつと言っていじめている」と抗議してくれました。お母さんの行動は嬉しかったけど、女っぽいところがあるのは自覚していたので、「女っぽくなんかないよ」とは強く言えないんですよね。嬉しい反面、後ろめたさもあって、それ以降ますます、親には悩みを言えなくなってしまいました。

子供は、親よりも先生の方が話しやすいと思います

中学時代には、いじめられて自殺も考えましたが、親には打ち明けることができませんでした。毎日必死に働いてしんどそうな姿をみていると、私がいじめられている問題なんかで負担を増やしたくなかった。親にだけは言えない、言いたくないと思っていました。

子供は親よりも先生の方が話しやすいと思います。

一番身近な大人として、先生の存在はとても大きいものです。だからこそ、先生にはクラスのみんなが心を開ける環境を作ってあげてほしい。

例えば、先生が、個々の子供に向き合っているという空気を作ってくれると、子供も話しやすいと思います。教室で目立つ子に目をやるのではなく、目立っていない子に目を向けてみる。死角になりやすい部分へ先生が目を向けてくれると、子供たちは悩みをアピールしたり、SOSを発信したりできると思います。

逆に、「この先生に話すと反対される」「バカにされる」「間違っていると否定される」と感じたら、絶対に心を開きません。

はるな愛さん2

死角に目をやるというのは難しいことではないと思います。消極的な子供を、「なんで手を挙げないんだ。聞いているのか!?」と責めるのではなく、「ちゃんと理解できているか?」と寄り添う。使う言葉と口調で、先生の気持ちは伝わるはずです。

私は性の悩みを先生に言えませんでした。自分の悩みが恥ずかしい感じで学校中に知らされてしまう気がして、怖かったんです。子供は敏感なので方法論で行動しても通用しません。こうするべきという義務感ではなく、心で向き合う構えがないと、見透かされると思います。

小学校には様々な家庭環境の子供たちが、いろいろな朝ごはんを食べて集まってきます。親が先に出かけていて、冷たいごはんをひとりぼっちで食べてきた子もいるでしょう。同じ教室に机を並べていても、みんな違うんです。浮かない顔をした子供がいたら、どうしたんだろうと考えてみることを、どうか面倒くさがらないでほしいと思います。

私は今、飲食店を経営しているのですが、よく、お客さんの席に座ってみるんです。昨日、あの人があんな風にキツい言い方をしたのは、なぜだろう? なにがあったんだろう?と考えながら・・・。

先生も、悩んだ時には、子供の椅子に座ってみることをお勧めします。子供の目線になると、思いがけない発見があるかもしれません。

「違うことと向き合う」ことがLGBT理解につながります

最近では、人権問題をテーマに学校で子どもたちに話す機会があります。自分の経験も含めて、LGBTについても話します。

LGBTはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとって、性的マイノリティの総称として使われる言葉です。ですが性には男性、女性だけでなく、グラデーションがある。この4文字に分類できる人なんて実はいないんです。

それは、1人1人違う人間だからです。よく「あいつは変わっている」という言葉を聞きますが、変わってはいません。ただ、みんな違うだけ。これは決して、性的マイノリティだけの話ではないんです。人のペースについていけない子供や、右向け右ですぐに右へ向けない子供もいる。

多様性があるのが人間なんです。先生が「みんな一緒」を前提にしていると、子供はどんどん殻に閉じこもってしまいます。

足並みを揃えることが日本の伝統的な考えですが、まずは「みんな違う」と認めることがLGBTの教育につながると思っています。とはいえ、LGBTは単純ではありません。

理論から入るのではなく、手はじめに、愛にはいろいろな形があることを伝えてみるのはどうでしょうか。人を愛するのは男女間の愛だけではありません。左右対称のハート型とは限らない。いびつなハートもあっていい。愛の形は様々です。

先生が「おまえはオネェか」などとツッコミを入れて、ウケを狙うなんて論外です。

楽しく授業をしようと笑いを研究している先生もいますが、子供が第一です。一部の子供は笑えても、すごく傷ついてしまう子供もいるようなことは、絶対にするべきではありません。

心身共に多感で、影響されやすい子供の心を中心に考えてください。どうか、言葉に思いやりを持ってくださいね。

LGBTの授業を巡り、「うちの学校にそういう子はいない」「小学生ではまだ早い」と、先生たちの間で議論が分かれるという話も聞きます。

でも、私は小学五年生でも遅いと思っています。できれば、幼児から教育を始めるべきだと思います。小学校に入る前のお子さんからもお便りをいただくんですが、小学生を含めて、女性だけれど男性になりたい、男性だけれど女性になりたいと、LGBTの悩みを抱えている子供たちは実際にはたくさんいるんですよ。

はるな愛さん3

ハートの形はひとつじゃない。クラスのみんなが自分だけのハートを見つけて、生きていて幸せだと感じられる手助けを、先生にはしてあげてほしいです。子供が笑って泣いて成長していく、かけがえのない瞬間を目の当たりにする素敵なお仕事だと思いますから。

撮影/五十嵐美弥 取材・文/渡部美也 ヘア&メイク/田村俊人

『小五教育技術』2018年5月号より

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